クーリエ12/30(月) 15:01配信
インドで続く政治的な混乱には、ドイツのファシズム思想の影響を受けた「ラシュトリヤ・スワヤムセワク・サンガ(通称RSS)」というヒンズー至上主義団体が大きく関与している。モディ首相や与党BJPとも太いパイプを持つRSSの実態に、ブッカー賞作家のアルンダティ・ロイ氏が迫った。
インドを蝕むヒンズー至上主義団体
いまインド国内で起きているインクルージョン(包摂)の暴力とエクスクルージョン(除外)の暴力は、この国を根底から覆し、世界におけるインドの意味とその位置付けを考え直さなければならなくなるかもしれない、社会的動乱の前兆なのです。
インド国憲法は、「インドは世俗の社会主義共和国である」と定義しています。ここで私たちインド人の考える「世俗」とは、世界の他の地域の考え方と若干異なっています。私たちにとってそれは、法の下ですべての宗教に同等の権利が保障されている社会を意味します。
実際には、インドは世俗であったことも社会主義国であったこともありません。インドは、これまでずっと高位カーストのヒンズー教徒の国として機能してきました。
ただ、世俗主義であるという妄想がたとえそれが偽善的であったとしても、インドを「可能」にしてきた唯一の小さなより所だったのです。この偽善が、私たちが持っているなかで最善のものでした。それを失えば、インドは終わりを迎えるでしょう。
2019年5月、2期目の勝利が確実になった総選挙後のスピーチで、ナレンドラ・モディ首相は誇らしげに「今回の選挙キャンペーンでは、どの政党のどの候補者も『世俗主義』という言葉を使う勇気がなかった」と声高に語りました。そして、世俗主義の箱はもう空っぽになったと言ったのです。
そう、とうとう公になったのです。インドは、「空っぽの道」をひたすら突き進んでいると。そして私たちは、いまさら「偽善」を懐かしく慈しんでいるのです。なぜなら、良識はもはや名残りとどめるていど、あるいはあるように見せかけているていどになってしまったのですから。
インドは「国」ではありません。インドは「大陸」なのです。ヨーロッパ全域よりも、もっと複雑で多様性に富み、もっとたくさんの言語を話し──最新の調査では、方言を含めずに780にも上りました──もっとたくさんの先住民族が住み、もっと数多くの宗教が存在している場所なのです。
想像してみて下さい。この果てしなく広がる土地、このもろくて統制が難しい社会のエコシステムが、単一民族、単一言語、単一宗教、単一憲法の教義を高々と掲げる「ヒンズー至上主義団体」によって突然乗っ取られたのです。
イスラム教徒はユダヤ人
その団体とは、1925年に設立され、現政権のバラティヤ・ジャナタ党(BJP)の支持母体である「ラシュトリヤ・スワヤムセワク・サンガ(通称RSS)」のことです。RSSの創始者たちは、当時のドイツやイタリアのファシズムに大きな思想的影響を受けました。彼らはインドのイスラム教徒をドイツのユダヤ人に見立て、ヒンズー教徒の国であるインドには彼らの居場所はないと信じていました。
今日のRSSは、その考え方からは一定の距離をとっているようにみえます。ただ、その根底には、常にイスラム教徒は信用できない「よそ者だ」という考え方があり、私たちは、BJPの政治家たちのスピーチや支持者集会で繰り返し叫ばれるスローガンに、それを垣間見ることができます。
たとえば「イスラム教徒に残されている場所は、墓場かパキスタンだけだ」などです。2019年10月、RSSの最高リーダーであるモハン・バグワットはこう発言しました。「インドはヒンズー国家である。決して妥協することは出来ない」と。
このアイデアは、インドの美しいすべてのものを泡に変えてしまいます。
世界最大級の愛国団体
RSSは現在、彼らがやろうとしていることは画期的な革命であると印象づけようとしています。つまり、ヒンズー教徒の手によって、ついにこれまで支配者だったムスリム王朝の数世紀にわたる圧政を取り除くことができたと。
しかし、この歴史解釈は捏造されたフェイク・プロジェクトに過ぎません。インドの数百万人に上るムスリムは、カースト制度の残酷な差別から逃れるために、ヒンズー教からイスラム教に改宗した人々の子孫たちだからです。
ナチスドイツがあの構想を大陸全体に(またそれを越えて)広めようとしようとした国だったとするならば、RSSが支配するインドは、ある意味まったく逆のベクトルを目指しているといえるでしょう。大陸を、ひとつの国に委縮させようとしているからです。
いえ、国でもなく州や県というべきかもしれません。原始的な単一民族と単一宗教の行政単位です。
この過程は、想像できないような暴力的なものになるでしょう。それはまるで、スローモーションで核分裂が起こり、放射線が放たれ、その周りのすべてを汚染してしまうような政治プロセスです。それは彼らにとって自滅の道であることは間違いありません。問題はその過程で他に何が、誰が、どれくらい巻き添えになってしまうかです。
いま、世界で勃興する白人至上主義者やネオナチの団体、そのいずれもRSSが誇るマンパワーやインフラにはかなわないでしょう。
RSSには、インド全土に1万7000もの「シャカス」とよばれる支部があり、武装し訓練を受けた「ボランティア」、つまり民兵組織のメンバーを60万人も擁しています。
RSSは数百万人の生徒たちが通う学校も運営しており、傘下の診療所や協同組合や農民団体やメディアや女性団体も組織されています。最近、彼らはインド軍に志願するためのトレーニングセンターを開設したと発表しました。「バグワ・ドワージ」と呼ばれるサフラン色のシンボル旗の下、RSSの「ファミリー」であるすべての右翼団体(サンガ・パリワール)は、繁栄・繁殖していくようにデザインされています。
これらの団体は、いわば民間企業にとってのダミー会社に匹敵するものですが、マイノリティの人々に対してショッキングな暴力行為を働くことを任務とし、これまで数千人もの人が命を落としています。暴力、コミュナル暴動、偽旗作戦が彼らの組織的戦略であり、これまでの彼らの選挙戦略のまさに中核となってきたものなのです。
ナレンドラ・モディ首相は、彼の人生を通してRSSのメンバーでした。
彼は、まさにRSSの申し子なのです。高位カースト出身ではないもののインド史上、彼以上にRSSをインドで最も権力ある団体に変貌させるべく力を注いできた人物はおらず、また、やがて訪れるであろう最大の栄光の時代に向け、新しい章を執筆しているのが彼なのです。
モディが首相の座に就くまでの物語をまたお話しなければならないのは本当に胸がムカつくのですが、それについては、記憶喪失にかかってしまったので、もはや義務として何度も繰り返さなければいけないということにしましょう。【第3回に続く】
※この記事は2019年11月に行われた、ジョナサン・シェル・メモリアル・レクチャーの講演記録を翻訳したものです。
Arundhati Roy
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191230-00000004-courrier-int
インドで続く政治的な混乱には、ドイツのファシズム思想の影響を受けた「ラシュトリヤ・スワヤムセワク・サンガ(通称RSS)」というヒンズー至上主義団体が大きく関与している。モディ首相や与党BJPとも太いパイプを持つRSSの実態に、ブッカー賞作家のアルンダティ・ロイ氏が迫った。
インドを蝕むヒンズー至上主義団体
いまインド国内で起きているインクルージョン(包摂)の暴力とエクスクルージョン(除外)の暴力は、この国を根底から覆し、世界におけるインドの意味とその位置付けを考え直さなければならなくなるかもしれない、社会的動乱の前兆なのです。
インド国憲法は、「インドは世俗の社会主義共和国である」と定義しています。ここで私たちインド人の考える「世俗」とは、世界の他の地域の考え方と若干異なっています。私たちにとってそれは、法の下ですべての宗教に同等の権利が保障されている社会を意味します。
実際には、インドは世俗であったことも社会主義国であったこともありません。インドは、これまでずっと高位カーストのヒンズー教徒の国として機能してきました。
ただ、世俗主義であるという妄想がたとえそれが偽善的であったとしても、インドを「可能」にしてきた唯一の小さなより所だったのです。この偽善が、私たちが持っているなかで最善のものでした。それを失えば、インドは終わりを迎えるでしょう。
2019年5月、2期目の勝利が確実になった総選挙後のスピーチで、ナレンドラ・モディ首相は誇らしげに「今回の選挙キャンペーンでは、どの政党のどの候補者も『世俗主義』という言葉を使う勇気がなかった」と声高に語りました。そして、世俗主義の箱はもう空っぽになったと言ったのです。
そう、とうとう公になったのです。インドは、「空っぽの道」をひたすら突き進んでいると。そして私たちは、いまさら「偽善」を懐かしく慈しんでいるのです。なぜなら、良識はもはや名残りとどめるていど、あるいはあるように見せかけているていどになってしまったのですから。
インドは「国」ではありません。インドは「大陸」なのです。ヨーロッパ全域よりも、もっと複雑で多様性に富み、もっとたくさんの言語を話し──最新の調査では、方言を含めずに780にも上りました──もっとたくさんの先住民族が住み、もっと数多くの宗教が存在している場所なのです。
想像してみて下さい。この果てしなく広がる土地、このもろくて統制が難しい社会のエコシステムが、単一民族、単一言語、単一宗教、単一憲法の教義を高々と掲げる「ヒンズー至上主義団体」によって突然乗っ取られたのです。
イスラム教徒はユダヤ人
その団体とは、1925年に設立され、現政権のバラティヤ・ジャナタ党(BJP)の支持母体である「ラシュトリヤ・スワヤムセワク・サンガ(通称RSS)」のことです。RSSの創始者たちは、当時のドイツやイタリアのファシズムに大きな思想的影響を受けました。彼らはインドのイスラム教徒をドイツのユダヤ人に見立て、ヒンズー教徒の国であるインドには彼らの居場所はないと信じていました。
今日のRSSは、その考え方からは一定の距離をとっているようにみえます。ただ、その根底には、常にイスラム教徒は信用できない「よそ者だ」という考え方があり、私たちは、BJPの政治家たちのスピーチや支持者集会で繰り返し叫ばれるスローガンに、それを垣間見ることができます。
たとえば「イスラム教徒に残されている場所は、墓場かパキスタンだけだ」などです。2019年10月、RSSの最高リーダーであるモハン・バグワットはこう発言しました。「インドはヒンズー国家である。決して妥協することは出来ない」と。
このアイデアは、インドの美しいすべてのものを泡に変えてしまいます。
世界最大級の愛国団体
RSSは現在、彼らがやろうとしていることは画期的な革命であると印象づけようとしています。つまり、ヒンズー教徒の手によって、ついにこれまで支配者だったムスリム王朝の数世紀にわたる圧政を取り除くことができたと。
しかし、この歴史解釈は捏造されたフェイク・プロジェクトに過ぎません。インドの数百万人に上るムスリムは、カースト制度の残酷な差別から逃れるために、ヒンズー教からイスラム教に改宗した人々の子孫たちだからです。
ナチスドイツがあの構想を大陸全体に(またそれを越えて)広めようとしようとした国だったとするならば、RSSが支配するインドは、ある意味まったく逆のベクトルを目指しているといえるでしょう。大陸を、ひとつの国に委縮させようとしているからです。
いえ、国でもなく州や県というべきかもしれません。原始的な単一民族と単一宗教の行政単位です。
この過程は、想像できないような暴力的なものになるでしょう。それはまるで、スローモーションで核分裂が起こり、放射線が放たれ、その周りのすべてを汚染してしまうような政治プロセスです。それは彼らにとって自滅の道であることは間違いありません。問題はその過程で他に何が、誰が、どれくらい巻き添えになってしまうかです。
いま、世界で勃興する白人至上主義者やネオナチの団体、そのいずれもRSSが誇るマンパワーやインフラにはかなわないでしょう。
RSSには、インド全土に1万7000もの「シャカス」とよばれる支部があり、武装し訓練を受けた「ボランティア」、つまり民兵組織のメンバーを60万人も擁しています。
RSSは数百万人の生徒たちが通う学校も運営しており、傘下の診療所や協同組合や農民団体やメディアや女性団体も組織されています。最近、彼らはインド軍に志願するためのトレーニングセンターを開設したと発表しました。「バグワ・ドワージ」と呼ばれるサフラン色のシンボル旗の下、RSSの「ファミリー」であるすべての右翼団体(サンガ・パリワール)は、繁栄・繁殖していくようにデザインされています。
これらの団体は、いわば民間企業にとってのダミー会社に匹敵するものですが、マイノリティの人々に対してショッキングな暴力行為を働くことを任務とし、これまで数千人もの人が命を落としています。暴力、コミュナル暴動、偽旗作戦が彼らの組織的戦略であり、これまでの彼らの選挙戦略のまさに中核となってきたものなのです。
ナレンドラ・モディ首相は、彼の人生を通してRSSのメンバーでした。
彼は、まさにRSSの申し子なのです。高位カースト出身ではないもののインド史上、彼以上にRSSをインドで最も権力ある団体に変貌させるべく力を注いできた人物はおらず、また、やがて訪れるであろう最大の栄光の時代に向け、新しい章を執筆しているのが彼なのです。
モディが首相の座に就くまでの物語をまたお話しなければならないのは本当に胸がムカつくのですが、それについては、記憶喪失にかかってしまったので、もはや義務として何度も繰り返さなければいけないということにしましょう。【第3回に続く】
※この記事は2019年11月に行われた、ジョナサン・シェル・メモリアル・レクチャーの講演記録を翻訳したものです。
Arundhati Roy
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191230-00000004-courrier-int