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グロいのに…『ゴールデンカムイ』に女子がなぜハマる?個性的すぎる男前軍人が大渋滞!

2020-08-31 | アイヌ民族関連
excite.co.jp 2020年8月30日 17:00
数々のマンガ賞を受賞し、10月からはアニメ第三期の放映が予定されている『ゴールデンカムイ』に今、ハマる女子が続出……!? その理由は?
男性向けバトルマンガであっても、女性ファンを多く獲得する作品があります。
『週刊ヤングジャンプ』で2014年から連載されている『ゴールデンカムイ』(著:野田サトル先生)もその一つ。
ファンは男女半々と言われており、女性によるSNSでのイラスト投稿なども目立つ人気作品です。
今回は、軍人、元新撰組……とバラエティに富んだキャラクター達とストーリーを軸に、『ゴールデンカムイ』が女子に人気の理由は?

『ゴールデンカムイ』にハマる女子が続出する理由は? 画像
via ゴールデンカムイ 23 アニメDVD同梱版 (ヤングジャンプコミックス)
現代では出会えない?強靭な軍人たち
本作の舞台は、明治時代末期の北海道と樺太。
日露戦争を生き抜いた元陸軍“不死身の杉元”とアイヌの少女・アシㇼパを中心に、陸軍第七師団、元新撰組一派らの金塊をめぐるバトルと、アイヌの文化を描いた“和風闇鍋ウェスタン”です。
キャラクターたちは、金塊の地図となる入れ墨が掘られた脱獄囚らを探し、地図を完成させるため競い合っています。
2020年10月にはアニメ第三期の放映を控える『週刊ヤングジャンプ』の看板作品のひとつで、作者の野田先生による徹底したアイヌ文化や狩猟の取材も評価され、2018年「手塚治虫文化賞」マンガ大賞、「マンガ大賞2016」大賞など多くの賞を受賞しました。まず特筆すべきは、「とにかく男らしい!」と言われる軍人のキャラクターたち。
「殺してみろッ 俺は不死身の杉本だッ!!」
「人間を殺せば地獄行きだと? それなら俺は特等席だ」
主人公の杉元佐一(CV.小林親弘さん)を含む軍人or元軍人キャラたちは、過酷な戦争を生き抜いた強靭な猛者で、敵と出会えば迷わず殺します。
『ゴールデンカムイ』に女子がハマる理由は? 画像
主人公の杉元佐一(すぎもと さいち)(CV.小林親弘さん)via 『ゴールデンカムイ』1巻(集英社)しかし、彼らを構築しているのは肉体の強さよりも「絶対に生き抜いてやる」という精神力。
杉元の場合、戦死した幼なじみの寅次から寅次の妻で目が見えない梅ちゃんを託されており、どこかにある金塊を見つけて、そのお金で梅ちゃんに手術を受けさせるまで死ぬわけにいきません。
「絶対に死なない」という強い決意で数々の修羅場を生きのびたことが、“不死身の杉元”と呼ばれるようになった所以でもあるのです。
私利私欲でなく、ただ幼なじみとの誓いを守るために金塊を探すぶれない姿勢も、読者にはまさに“男の中の男”に映るのでしょう。
脇役まで個性的で人気が高い
また、杉本をはじめラスボス的存在の鶴見中尉や、鶴見中尉の部下でストイックな月島軍曹(本誌人気投票3位)らは皆、戦争により自分の中で“何かが変わってしまった”男たち。
「以前の自分には戻れない」という苦悩や哀愁も、女性をキュンとさせるようです。
現代の日常では出会うことが難しい男性達だからこそ、その生きざまがかっこよく映り、多くの女性が惹きつけられるのではないでしょうか。杉本以外で特に人気なのが、“孤高の山猫スナイパー”尾形百之助(CV.津田健次郎さん)。
本誌人気投票では1位の杉本に次いで2位にランクインし、土方歳三一派と戦った『茨戸の用心棒編』はコミックス15巻の特典DVDにもなっています。
『ゴールデンカムイ』に女子がハマる理由は? 画像
尾形百之助(おがた ひゃくのすけ)(CV.津田健次郎さん)via 『ゴールデンカムイ』8巻(集英社)「親殺しってのは、巣立ちのための通過儀礼だぜ」
未だに何が目的で誰の味方なのかも不明で、生い立ちの闇深さも半端ないミステリアスなキャラクター。
一方で、意外と冗談好きな一面も。
凄腕スナイパーという設定自体かっこいいのですが、猫のような気まぐれさも魅力です。
アニメ版での声優が色気たっぷりの津田健次郎さんというのも、はまり役ですね。そして、今どんどん株を上げているのが、尾形を敵視する若きエリート・鯉登少尉(CV.小西克幸さん)。
「おぉおのれよくも…私の部下たちをッ」
鯉登少尉は、『ゴールデンカムイ』では唯一と言えるほど“邪気が無い”軍人。
鶴見中尉が大好きなあまり写真を持ち歩く、興奮すると早口の薩摩弁になるなど最初は「また濃いキャラが増えたな」と言われていたのですが、貴公子と呼ばれる見た目や優れた身体能力、恐れず敵に斬りかかる勇敢さなどでカリスマ性を発揮。
『ゴールデンカムイ』に女子がハマる理由は? 画像
鯉登(こいと)少尉(CV.小西克幸さん)via 『ゴールデンカムイ』16巻(集英社)特に『樺太編』で月島軍曹を負傷させた相手を「待ってろ!」とばかりにやっつけに行ったシーンは、「本気になるとかっこいい」と評判を爆上げしました。
鯉登少尉のまっすぐさは“闇を背負った”月島軍曹らを救っており、「将来はこの人が生き残って軍を引っ張る存在になる」という声も。
脱走した尾形といつか対峙する時が来るのか?についても読者はわくわくしているようです。また、『ゴールデンカムイ』には、温泉で全裸でバトルなど筋肉をさらけ出す男性向けのギャグシーンも多いのですが、野田先生の絵は男性がごつすぎないのが特徴ともされているので、そこも女性がとっつきやすい理由でしょう。
バトル×ほっこり、考察要素の多さで飽きないストーリー
そして、ひとりひとりの魅力はもちろんですが、男達が集まってわいわい旅をする様子も『ゴールデンカムイ』の見どころ。
敵同士であるキャラクター達のコントのような掛け合いや、皆でアイヌの食事を囲むほっこりシーンが挟まれることで、女性も楽しみやすいストーリーになっていると思われます。
https://www.excite.co.jp/news/article/Numan_KiVJp/

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択捉出身アイヌ女性の生涯を紹介 択捉島水産会が講演会

2020-08-31 | アイヌ民族関連
2020年8月30日 3時00分
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https://digital.hakoshin.jp/news/national/65523

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【米大統領選2020】学者や政治家らの意見から解き明かす、カマラ・ハリスの歴史的な「副大統領候補指名」の意義

2020-08-31 | 先住民族関連
ハーパーズ バザー・オンライン 8/30(日) 11:41配信
「これは、とんでもなく(fucking)でかい政策だ」と、ジョー・バイデンは2010年、医療費負担適正化法成立の署名式でバラク・オバマ大統領を紹介した直後に、彼に囁こうとした。それは個人的なヒソヒソ話に終わらず、多くのメディアのカメラやマイクが4文字言葉を拾って、生放送された。意表をつくfワードを発したのはいかにもバイデンらしかった。荒削りで向こう見ず、だが、正直。医療費負担適正化法は不完全で物議を醸した法案だったが、実際、まさにとんでもなく大きな政策だった。
2020年8月12日(現地時間)、初めて揃って人前に姿を見せ、バイデンが副大統領候補のカリフォルニア州上院議員のカマラ・ハリスを紹介した際、私は彼がまたフィルターを外して、ありのままの真実を漏らしてくれないかと秘かに期待した。これもまた、とんでもなく大きなディールなのだから。
ハリスを指名したことは、バイデンのキャンペーンに待望の命を吹き込み、結果的に寄付金が急増し、数えきれないほどの記事に見出しが踊り、前例のないバーチャル党大会を前に熱狂が生まれた。今や国民は、主要政党公認の副大統領候補に選ばれた初の黒人女性である彼女の影響力は、歴史的に重大だと見ている。
バイデンがハリスを選んだというニュースに、私は勇気づけられ、葛藤を覚え、疲れ果てた。私は自分のことを、民主党が黒人女性を選挙で勝つための中心かつ基盤であるととらえるように声をあげてきた一人だと考えている。バイデンがハリス上院議員を選んだことは、そのメッセージが受け止められたという励みになるサインだ。それでも、メイソン=ディクソン線(ペンシルベニア州、デラウェア州と、メリーランド州、ウェストバージニア州との間の州境の一部を定める境界線)より南に支持者を獲得しようとしたステイシー・エイブラムス(2018年のジョージア州知事選挙で善戦し、民主党内で急速に頭角を現したため、一時、大統領選への出馬も検討していた黒人女性政治家)の努力に献身した南部人のひとりとして、私は、手堅い西海岸の上院議員を選んだことには葛藤を覚える。
それに、今後数カ月、人種差別的で性差別的なイジメがハリスを待ち受けていることを想像するとぐったりしてしまう 。ハリス本人はこうしたさまざまな攻撃に立ち向かうだけの厚顔さと筋の通ったしぶとさを持っていることは実証済みだが、トランプ政権下で耐えざるを得ないことが多かったように、人種差別的で性差別的な暴力性を見るのは、私の精神を確実に蝕んだ 。“カマラ”を正確に発音するようソーシャルメディアで言わなければならないという、一見悪気がないことにすら、疲れ切った。
何より、他の黒人女性は今この時、何を考え、どう感じているのかが気になる。そこで、私より若い女性たちの見方を探るために、女性グループを集めて、この件についての考え方を聞いてみた。まず私は、Next100の政策起業家で、社会正義と教育の平等の支持者で活動家のロケル・クラッチャーと、カリフォルニア生まれで現在はNY市立大学クレイグ・ニューマーク・ジャーナリズム大学院のアイダ・B・ウエルズ(ジャーナリストで教育者、公民権運動の初期リーダー、全米有色人種振興協会の創設者のひとり)奨学生のNoelle D. Lilley(ノエル・D・ライリー)に声をかけた。
次に、ベイエリアの学者で活動家、「Grantmakers for Girls of Colo(有色人種の少女たちを支援するチャリティ)」のエグゼクティブディレクターで「National Black Women’s Justice Institute」の創設者モニーク・モリス、カリフォルニア大学サンフランススコ校のモニカ・マクルモアにも、ハリスの選挙区民という長年の立場から得た洞察を探った。
また、私の古くからの友人で同僚であり、ノースカロライナ州立大学の歴史学准教授ブレア・ケリーと、ハワード大学神学校で初の女性学部長になったヨランダ・ピアスにも声をかけた。どちらも黒人女性の歴史を研究する学者で、ハリスの出身校であるハワード大学と個人的なつながりがある。
さらに、「Girls for Gender Equity」の創設会長でCEOのジョーン・スミス、社会学者で「GrassROOTS Foundation」の会長、ジャニス・ジョンソン・ディアスも加えた。ふたりとも黒人移民第一世代だ。ジョーン・スミスはハイチ人とアメリカ人のミックスで、ジョンソン・ディアスはジャマイカ人、黒人の少女たちのために活動するNPO組織を率いている。
そして、コミュニケーション戦略家で、2020年大統領選の民主党候補指名争いを闘っていたピート・ブティジェッジの元広報官を務めていたニーナ・スミスと、「Ms. Foundation」 のコミュニケーションディレクターで『Out Magazine』の元エグゼクティブディレクターとして、ハリスが指名されたことに鋭い洞察ができるラケル・ウィリスも。最後に、「Planned Parenthood Action Fund」会長で CEOのアレクシス・マクギル・ジョンソンにも、ハリスに今後待ち受けている道のりについて貴重な考えを聞いた。
私たちの会話は、あくまでひと 握りの黒人女性の懸念と希望の一例である 。一致するポイントがあれば、異なるポイントもある。が、私たちの誰もが、この節目が持つパワーと可能性を生かそうとしている。私たちは一緒になって懸念も表したが、興奮と可能性にも言及した 。我を忘れて喜ぶというより、過度の防衛意識と相まった慎重な楽観主義というのが私たちの見方だ。ピアスとマクルモア を除いては。彼女たちはふたりともハリスと同じく、1908年にハワード大学で創設されたアメリカ初の黒人女子学生の社交クラブ、「アルファ・カッパ・アルファ(AKA)」のメンバーだ。Black Twitter(特に米国の黒人たちにとって関心の高い問題を活発に議論し、仮想コミュニティ的に機能するアフリカ系アメリカ人のツイッターユーザーの集合体)をチラリと見ただけでも、今回の歴史的な候補指名に対する「AKA」のメンバーの誰はばかることのない熱狂ぶりがわかる。
とは言え、私たちのグループのほとんどは、ニーナ・スミスが「私は恐怖と希望が入り混じった気持ち。それを一言で表す言葉ってある?」と言った心情をシェアしている。それは、ある。勇気だ。
1988年、大統領候補指名争いをかけたジェシー・ジャクソン牧師の歴史的な闘いは、4人の黒人女性活動家、ドナ・ブラジル、ヨランダ・キャラウェイ、リア・ドートリー、ミニョン・ムーアによってまとめられ、指揮されたものだった。彼女たちは、マサチューセッツ州知事のマイケル・デュカキスが民主党候補に指名されると彼の支持に回ったが、デュカキスの選挙チームは彼女たちを除外しようとした。それに対してドナ・ブラジルとミニョン・ムーアは会議室を占拠 し、ドアに手書きの文字で『COLORED GIRLS…WE SHALL NOT BE MOVED』(有色人種の女性たち……私たちは決して動じない)と書いた紙をテープで貼った。
2018年、こうした“埋もれていた人々” は、40年にわたる自分たちの党活動とリーダーシップのストーリーを『For Colored Girls Who Have Considered Politics』に書いた。2016年のヒラリー・クリントンの大統領選を闘った新しい世代の黒人女性スタッフは、自分たちは「元祖Colored Girls」の精神を受け継ぎ、彼女たちのレガシーを広めていると理解していた。彼女たちこそ、不屈の戦略を持ったチームの元祖だった。
会話の中で最初にそのことを引き合いに出したのはニーナ・スミスだ。
「この候補者指名は、長年、民主党の活動をしてきた有色人種の女性にとっては純粋な喜びです」。マクギル・ジョンソンもその心情に同意する。「これは、今年は黒人女性が必ず関与するという戦略です。元祖Colored Girlsから今日の活動家まで、バイデンはこの基盤を頼りにすることを選んでいるのです」。
2008年と2012年の大統領選において、黒人女性の有権者 からの圧倒的支持と歴史的な得票数を得たおかげでオバマ大統領が勝利した民主党にとって、ハリスの指名が戦略的チョイスであるのは間違いない。が、ジャマイカ人の父親とインド人の母親の娘であるハリスの黒人としての具体的な経験と、彼女が黒人コミュニティ にどのように受け止められてきたかには複雑なところがある。ハリスは、2008年にオバマ上院議員を苦しめた「十分に“黒人” といえるのか?」という不安にはつきまとわれていない。その代わり、ハリスの信頼性につきまとう疑問は、カルチャーと経験、政策のチョイスに根ざしたものだ。
学者でオーガナイザーのジョンソン・ディアスは、ハリスについて、慎重な読みを提示する。「私たちがカースト制度を基盤とするふたつの文化システムから生まれた黒人女性の副大統領候補が出てきたのと同じように、イザベル・ウィルカーソンが新著『Caste: the Origins of Our Discontents』(カースト制度:私たちの不満の源泉)を出版したのは時宜を得ています」と、彼女。ジョンソン・ディアスは、ハリスの父親と同じジャマイカ出身で、「ジャマイカ人として私は、アメリカには先住民族の黒人を特定の憎悪に根ざした反黒人主義に染まっていることを認めることが極めて重要だと理解しています。これはハリスの過ちでも私の過ちでもありませんが、認識する責任はあります。私たちは声のトーンや食べ物の好み、ルーツについての議論などで 『私はこういう黒人とは違う。私は別の人間だ』という、ある種のシグナルを送るために使っているすべての方法について正直になるべきです。彼女は、反黒人に傾いていくべきではありません。他の人が自分のアイデンティティを使って、自分の反黒人性を正当化し隠すことを許してはいけないのです」
ジョンソン・ディアスが自分の分析で触れた箇所は脆弱な部分で、ほんの少しプレッシャーを加えただけでも痛みを伴う。ハリスは黒人のアメリカ人奴隷の子孫ではない。彼女はシスジェンダーでヘテロセクシュアル(異性愛者)だ。彼女の肌の色は明るく、髪は直毛だ。彼女は白人女性による主流の基準では美しい。彼女が体現しているこうしたリアリティは彼女がコントロールできることではないし、彼女のアイデンティティや忠誠を何ら示唆するものではない。同時に、黒人女性は、こうした具体的に体現された特徴を他者がどう解釈するかを知っている。肌の色が明るく、多人種のルーツを持つ “きれいな ”女の子は、学校や仕事、ヘルスケア制度ですら、恵まれた条件で歩んでいけるのだ。
ライリーは、「彼女は痩せていて、普通に見て美人で、容認できる“ブラックネス”の代表です。だからと言って、彼女が黒人であることを否定するものではありません。が、私は、ステイシー・エイブラムスに浴びせられた辛辣な言葉を考えないわけにはいかず、彼女には太った人に対する嫌悪やミソジニーのヴェールが薄くかけられていたのを見なかったことにするのは難しい」と述べる。
「私は長年、鏡を見なさいと言ってきた」と、何十年にもわたる私の親友で同僚のケリーはジョークを言って、私の多人種的なバッググラウンドと肌の白さを指摘する。それはもっともな批評で、おそらく、だからこそ私は自分が有効な支持者であると主張し、恵まれていることは認識すべきで、その立場から努力せずに利益を受けることを拒否するのだ。私はハリスが世間に対して、私やハリスが持つ “バージョン”の黒さは、なんとなく安全で世間体がよく、許容できるものであると仮定する反黒人層に公衆の目を向けてほしいのだ。
一方ライリーは、ハリスのアイデンティティはまったく問題にならないのではないかと考えている。
「今は2008年ではありません。2012年でもありません。アイデンティティ・ポリティクス(特定のアイデンティティを持つ集団が社会的地位向上を目指して行う活動)は重要ですが、『肌の色が同じ人だからといって親類とは限らない』という諺があります。黒人の女性候補者を指名したからといって、特に有色人種の若者たちの間では投票を保証するものではないのです」と、彼女。
「カリフォルニア生まれの私は、ハリスが行った刑事司法の経歴を懸念します。特に、彼女は地方検事や州検事だった当時、不登校者を厳しく処罰しました。私はこの歴史を懸念しているので、適切に対処したり説明責任が果たされなかったりしたら、左派が結集することが重要である時に、他の進歩的な人々からのサポートの欠如につながることを懸念しています」
ハリスを副大統領候補に指名したことで、バイデンは、黒人の政治史の中心に身を置いたことになる。アメリカ初の黒人大統領の副大統領を務め、初の黒人女性副大統領候補の上に立つ大統領として。1年のうちに大統領の弾劾やグローバルなパンデミック、スズメバチ襲来の可能性があった2020年には、驚きの連続だ 。
バイデンがこの主に象徴的な空間を占めている時でさえ、第2波のパワフルなブラック・ライヴズ・マター運動(Black Lives Matter)は、アメリカの刑事司法制度が実質的に変化することを余儀なくしている。現場では、ムーブメントは勝利を収めていて、何が可能かという私たちの理解を変えつつある。刑務所の廃止や警官への資金援助の打ち切りが今や市議会のアジェンダになっている。こうした壊れやすい変化はどちらに転ぶかわからず、ハリスの副大統領としての役割にかかっているのではないかと考える人は多い。
ハリスがサンフランシスコ地方検事やカリフォルニア検事総長であった時代が、彼女が民主党の大統領候補予備選で支持を得られなかった大きな理由だと見る人たちがいる。黒人有権者は、ハリスやコリー・ブッカー上院議員、フリアン・カストロ元住宅都市開発長官が予備選から去った後、白人だけが候補者として残ったことを嘆き悲しんだ。
「The Ms. Foundation」のウィリスは、黒人女性が警戒する原因を明かし、「刑務所の有り様を解体することが主要な話になるのは初めてのことで、キャリアを通してその刑務所の有り様を支持してきた人をバイデンは副大統領候補に選んでいるのです。ワクワクしたいところですが、ハリスはキャリアのほとんどで弱い立場に置かれている黒人女性を仕事の中心に据えなかったことを思うと、難しいですね」と、嘆く。
モリスは、市警長官だった当時のハリスと直接、ベイエリアの活動家として仕事をした自身の経験から、彼女について別な見方をする。
「今、私たちは、数十年前に推し進めていた改革ではなく、(正当に)構造改革や抜本的変革について話をしています」と、彼女。「が、それをするには、話を聞いたり学んだりすることにオープンなリーダーシップのあるチームが必要です。私からすれば、彼女はその能力があることを示しました。彼女はサンフランシスコに、元服役者が再びコミュニティに戻る手助けをする“Back on Track Initiative”や、アメリカ中の政治演説に広がっていた“Tough on Crimes(犯罪を厳しく取り締まる)”という発言に挑んだ“Smart on Crime Initiative”(犯罪を賢明に取り締まるイニシアチブ)を立ち上げています」
『Pushout, the Criminalization of Black Girls in Schools』の著者であるモリスと彼女の研究に刺激を受け、アヤンナ・プレスリー下院議員は黒人の少女たちのための学校の規律にトラウマに基づいたアプローチをする法案を提案した。ハリスとのモリスの個人的な記憶は特に注目を集める。
「私は個人的に、彼女が少女たちの商業的性的搾取を止める助けがしたいという意欲があったのを覚えています」と、プレスリー。「約20年前、私は、ベイエリアで少女たちを性的搾取する人身売買が増える傾向にあるのを懸念する女性たちの小さな会合に出席していました。ほとんど誰もそんな話をしていませんでした。ほとんどの政治家は私たちの懸念などニッチなものだと片付けました。しかし、カマラ・ハリスは自分に何か手伝えることはないかと純粋に関心を示してミーティングに参加してきたのです。彼女は被害者たちとその問題について議論もしましたが、そのほとんどは黒人の少女たちでした」
だが、皆がその話に納得したわけではない。
「彼女が検事として、学校に行かない子供の親たちを収監すると脅したことを忘れることはできません」と、ジョーン・スミスは振り返る。「彼女が(そしてバイデンも)害を及ぼし、収監という解決策からこの国の組織的人種差別へいかに方向転換したかを認めることは、大いに役立つでしょうね。権力を持つ人は、謝罪を弱さだと考えるのですが、そこがバイデン+ハリスが自分たちをこれまでの体制、最も大事なのは現政権から、切り離すポイントなのです」
サンフランシスコ在住の医療専門家で主には黒人の母親と子供たちとの仕事をするマクルモアは、ハリスの全経歴を考慮するよう促す。
「彼女は2019年に『Maternal CARE Act(母子保健法)』を導入し、健康の平等に向けた重要な第一歩になりましたが、 その時も、私はその法案が助産婦とドゥーラ(医療スタッフではないが出産のアドバイスやサポートをする女性)を優先するよう変わるのを見たいと思いました」。
マクルモアはハリスの仕事の全体的な方向性を称賛しつつも、彼女の漸進主義的アプローチがこの会話の中の何人の心を捉えるかには批判を残す。
「彼女を解放者として見ることはできません」と、ジョンソン・ディアス。「時間をかけて彼女の経歴を研究しましたが、彼女はまるで精霊のような存在だと思いますね 。ランプを掲げてくれている人に代わって自分のパワーを使うのです。黒人コミュニティが間違いなくランプを掲げていてくれるようにすることが鍵ですね」。
ブラック・ライヴズ・マター運動の桁外れのデモと政策活動は、ハリスが確かに黒人コミュニティの懸念に応えられるようにするポジションにうまく置いたように見える。「彼女が司法長官時代にきちんとやったことを憶えておくことが重要です」と、マクギル・ジョンソンは言う。「彼女は、警察のデータを収集し、公表するように求めてきたという点で、非常に先見の明がありました。ブラック・ライヴズ・マター運動は、彼女とバイデンが政権についたら、パワフルなツールになると信じています」
ハリスにとってもっとも手強い制約は、コミュニティの関心というよりは、バイデンと、ふたりが選挙に勝利した場合にハリスが自主的に活動するスペースをバイデンがどの程度作れるかということのほうにありそうだ。
「まず、バイデンから始めましょう」と、スミスは主張する。「ハリスが政権内で意味あるパワーを持たない限り、彼女には何も期待できません。彼女はシンボル以上の存在になるべきです。ポートフォリオを作る必要があります。もし私がアドバイスするとしたら、彼女が堂々と戦うことができる余裕を持ち、政権の目玉である『The BREATHE Act』を進めることが重要だと強調したいですね」
ジャクリーン・ウッドソンが2014年に書いた回想記『Brown Girl Dreaming』は、黒人の少女時代と成人女性の無限の可能性を思い起こさせる。そのおおらかで楽観的な可能性に満ちたスペクトラムに、ハリスが指名されたことについて語り合い、喜びを感じながら、黒人女性の仲間たちは常に回帰していく。私たちは一緒になって、ハリスのために黒人女性の夢をシェアしているのだ。
私たちの夢は全員で共有するものであって個人的なものでもあり、実質的であって象徴的なものだ。そしてもちろん、私たちの夢の中には少し楽しいこともある。ピアスは、「大統領就任舞踏会でAKAの団体が歩くのを見たらかなり幸せ」だと言う。
「私は、カマラ・ハリスが草の根組織と会話をすることで人々が求めるリーダーになるのを夢見ています 」と、ウィリス。「彼女がパワーの輪を広げて移民や障害者、服役者、トランスやの人々、クィアーの人々、そしてすべての黒人が自分たちについて話すことができるように影響力の輪を広げていくことを夢見ている」。ウィリスの夢を私たちは皆、シェアする。
ジョーン・スミスはハリス副大統領が“Black Girls Bill of Rights”(黒人少女の権利)を採用するのを夢見る。ジョンソン・ディアスの夢は、ハリスが、奴隷状態から逃れてブルーマウンテンに黒人の自由なコミュニティを設立した18世紀のジャマイカ人リーダー、クィーン・ナニーから戦略的な知恵を学ぶことだ。
「彼女が、クィーン・ナニーが『彼らがあなたの人々を苦しめることができないようにしなさい。彼らにあなたと戦わせなさい』と言う声を聞くのが私の夢」。マクギル・ジョンソンは「私は彼女が私たちみんなに自由な黒人女性とはどんな風に見えるものかを示してくれるのを夢見る」と、言う。
ハリスが黒人女性の自主的な行動や自由の可能性のシンボルになるかもしれないことは、副大統領候補に求める私たちの政策的野心を補強するものだ。政策起業家のクラッチャーは自分のもっとも大胆な夢は、ハリスが「本物で堂々とした存在になる」ことだと言う一方で、『この国の黒人女性について話し、働き、考え、保護し、関与する方法を変えること』を夢見る。
非常に多くの黒人女性が、本当の自分を隠しながら、ひっそりと、自由も認められず労働してきたからこそ、この歴史的な節目でハリスが注目を集めている。私たちの多くが副大統領候補に対して持つ夢は、自分たち自身に対して持つ夢なのではないかと私は思う。先祖に敬意を表する仕事をし、子供たちにインスピレーションを与え、自分たちのコミュニティを築き、そしてなおかつ、完全に自分自身になるための余裕も残す。
シャーリー・チザム(1968年末の米下院選挙に当選し、アフリカ系アメリカ人女性として初の米連邦議会下院議員となった。1972年に民主党の大統領指名候補者予備選挙に出馬)は「私は、自分を憶えていてくれる歴史が欲しい。アメリカの黒人女性として初めて大統領選に出馬した人としてではなく、20世紀に生き、堂々と自分自身であろうとした黒人女性として。“アメリカの変革の触媒”として私は記憶に残りたい」と、書いた。それは、ハリスにとっても価値のある夢だ。
Translation: Mitsuko Kanno from Harper's BAZAAR.com
https://news.yahoo.co.jp/articles/8fcb1f179252b91a18feca7067f76e4060f74ec8

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開業30周年の登別マリンパークニクス支配人 須川英治(すがわ・えいじ)さん

2020-08-30 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/29 09:18
 イワシ1万匹が群れをなして泳ぐ登別市の水族館「登別マリンパークニクス」の常設展示「銀河水槽」。心が癒やされるような曲に合わせ、明るさや色が変わる。写真映えを狙った展示は、照明設備を導入した2015年以来、会員制交流サイト(SNS)への投稿が相次ぎ、水族館の目玉に。「これを見るために来るお客さんがいる。新しい見せ方に挑戦して、従業員が積極的になった」と新たな展示方法に貪欲に取り組んでいる。
 ニクスは先月、開業30周年を迎えた。新型コロナウイルスの影響で客足が落ち込み、「まだ先は見えない」と苦しい胸の内を明かす。それでも9月以降は、隣町の胆振管内白老町にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開設され、修学旅行が増えるなど明るい材料も見え始めた。
 札幌市出身で、道都大卒業後、加森観光(札幌)グループに入社。夕張市の系列ホテルなどで支配人を務め、13年からニクスを運営する同社傘下の北海道マリンパークへ。台湾や中国などへの営業に力を注ぎ、来場者のうち半数が外国人になった。「水族館は畑違いだったが、お客さんに笑顔で帰ってもらうという点では同じ」と考え、アジア圏で人気の金魚の展示を17年から開始。水槽を鏡張りの部屋に置いて多方面から見せるなど工夫を凝らしてきた。
 今後は「10年、20年先を見据え、水族館のあり方を考えたい」と話す。海外の先進的な展示方法にも注目。「噴火湾のイルカがどんな餌を食べているか分かるような、教育的な展示も考えたい」。51歳。(久保耕平)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/454933

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【まとめ】大御所スター5人の熱量高めな出演映画25選!

2020-08-30 | 先住民族関連
Safari Online 8/29(土) 9:00
[シルヴェスター・スタローン]Sylvester Stallone
『ロッキー』
製作年/1976年 監督/ジョン・G・アビルドセン 共演/タリア・シャイア、バート・ヤング
伝説シーンが凝縮された傑作!
シルヴェスター・スタローンの代表作と誰もが認めるうえに、ボクシング映画としても最も人気の高い1作として、映画史に燦然と輝く。モハメド・アリの試合を見てアイデアが浮かんだスタローンが自ら脚本を執筆。
当時、俳優としては無名だった彼自身がロッキー役を演じた結果、主人公の挑戦とスタローンのスターとしての大ブレイクが鮮やかに重なった。その結果、アカデミー賞作品賞という栄冠までつかんだのである。
30歳を迎えて、ボクサーとしての夢を失っていたロッキー。しかし、世界ヘビー級チャンピオンのアポロが、無名のボクサーと対戦すると発表。その相手に選ばれたロッキーが、人生をかけてトレーニングに挑む。
ビル・コンティの音楽とともにフィラデルフィア美術館の階段へ向かう早朝ランニング、生卵の一気飲み、ラストのセリフなど、“伝説”となったシーンが多数。スタローンは、このロッキー役を、2018年の『クリード 炎の宿敵』まで、42年間演じ続けたことになる。
『ランボー/怒りの脱出』
製作年/1985年 監督/ジョージ・パン・コスマトス 共演/リチャード・クレンナ、チャールズ・ネイピア
究極のサバイバル戦に興奮!
2019年に最新作(日本は6月26日(金)公開)『ランボー ラスト・ブラッド』が完成するなど、スタローンにとってロッキーと並ぶ“生涯の当たり役”となった、ベトナム帰還兵のジョン・ランボー。シリーズが成功するかどうかのカギは2作めだといわれるが、このランボーも2作めの『怒りの脱出』が好きだというファンが多い。服役していたランボーが、自由と引き換えに与えられた任務は、今もベトナムのジャングルで捕虜となっているアメリカ兵の調査だった。
ベトナム時代の上官で、1作めにも登場した国防総省のトラウトマン大佐が「地獄はランボーの戦場」と語るように、この2作めはトラウマを作ったベトナムが舞台になることで、より過酷で壮絶な戦いが用意された。
ランボーといえば、弓矢の達人というイメージだが、そのアクションが確立されたのも今作。捕虜救出のミッションは怒涛のサバイバルになだれ込むが、現地の案内人であるベトナム女性との切ない恋も展開。シリーズでは珍しく、ランボーのキスシーンもある。
『オーバー・ザ・トップ』
製作年/1987年 監督/メネハム・ゴーラン 共演/デビッド・メンデンホール、ロバート・ロッジア
挫折をバネに立ち向かう姿こそ醍醐味!
妻子を残して家を飛び出したコンボイ運転手が、妻の病気をきっかけに10年ぶりに息子と再会。しかし父と息子の間には、深い溝ができあがっていた……。複雑な親子関係を、スポ根ストーリーと合わせて描く映画はよくあるが、今作の場合、そのスポーツがアームレスリングというのが斬新だった。
公開時の1987年、日本では“腕相撲”という名称が常識だったが、この映画によってアームレスリングという言葉も一般レベルで浸透。アームレスリング大会が盛んになるという、ちょっとした社会現象も起こした作品。
広大なアメリカを、コンボイトラックが疾走する。そんな映像からテンションが上がり、最大の見どころである“筋肉対決”は大盛り上がりの状態。スタローンの上腕には目がクギづけである。もちろん勝負の行方は、息子とのエピソードが左右し、定番の流れとはいえ、ストレートに感動を呼び起こし、目頭が熱くなる。
ロッキーやランボーもそうだが、今作で演じたリンカーン・ホーク役も、屈折や挫折をバネに強敵に立ち向かうという構図が、ほかのアクションスター以上にスタローンにはよく似合うと証明する。のちにプロレスラーとなり、日本のリングで活躍するスコット・ノートンも出演している。
『クリフハンガー』
製作年/1993年 監督/レニー・ハーリン 共演/ジョン・リスゴー、マイケル・ルーカー
高所恐怖症を克服して挑んだ山映画!
日本では年間トップ(1994年度)のヒットを記録するなど、スタローンのキャリアの中でも人気の高いのが、この山岳アクションだ。同僚の恋人を死なせてしまったレスキュー隊員のゲイブ。気落ちする彼にロッキー山脈からのSOSが届き、国際犯罪組織の罠に巻き込まれていく。
特殊効果は最小限に抑えて、徹底的に肉体のパワーを強調したスペクタクルが見もので、高所や山岳を舞台にしたその後のアクション映画は『クリフハンガー』を引き合いに出されることが常識となった。
『ランボー』のアクション撮影でケガをしたのがきっかけで、高所恐怖症になったというスタローン。そのトラウマを消すために、インナーマッスルと握力を鍛えて今作に挑んだ。絶壁の雪山を素手で、しかもTシャツ1枚で登るなんて、スタローン以外には不可能だとファンならずとも惚れぼれ! 
もちろんスタントマンも大活躍。上空を行く2機の飛行機の間をワイヤーで渡るなど、信じがたい実写シーンも登場する。近年のスーパーヒーローのアクション映像を観慣れた人にとって、このリアル感は貴重。ややヒット作が少なくなってきた時期のスタローンにとって、一発逆転作品としても記憶にとどめておきたい。
『バレット』
製作年/2012年 監督/ウォルター・ヒル 共演/サン・カン、サラ・シャヒ、クリスチャン・スレーター
ベテランらしい抑えた演技が光る!
監督は『ストリート・オブ・ファイヤー』などのウォルター・ヒルで、スタローンとはこれが初の作品ながら、長年、親しい関係だったという2人。そうした信頼感から、監督はスタローンに“抑えた演技”も提案したという。そうした演出によって、スタローンの多くの主演作の中でも独特のムードが生まれたのが、この『バレット』だ。
スタローンが演じるジミーは、スゴ腕の殺し屋である元海兵隊員。少しだけランボーも連想させるが、裏社会に生きる男だ。そんな彼が、相棒を殺されたことで復讐の鬼と化す。敵に近づくため、ジミーが手を組むのは刑事のテイラー。殺し屋と刑事。普通なら協力することのない彼らがコンビとなるわけで、正義と悪の混沌とした世界へと進んでいく。
スタローンも邪悪さとヒーローの両面を好演。すでに60代半ばになっていたので、たしかに全盛期のような肉体のキレはない
[アーノルド・シュワルツェネッガー] Arnold Schwarzenegger
『ターミネーター2』
製作年/1991年 監督・脚本/ジェームズ・キャメロン 共演/リンダ・ハミルトン、エドワード・ファーロング
無骨なアクションヒーロー像を確立!
2019年には最新作も公開され、誰もが認めるアーノルド・シュワルツェネッガーの代表作シリーズ。その中でも最高の人気を誇るのが、この第2作。1作めではヒロインのサラ・コナーを抹殺するために未来から送り込まれたターミネーターのT-800。つまり“悪役”だったわけだが、この続編では、サラの息子ジョンを殺そうとするT-1000に対し、ジョンを守ろうとする。悪役が“味方”に変貌したことで、観る者の心をグッとつかんで離さない。
液体金属として姿を自在に変えるT-1000。公開当時はその驚異のビジュアルが話題になった。一方のシュワのT-800が、やや旧式のパワーで、あくまでも真っ向勝負に挑む。マシンなので基本的に無表情。ジョン・コナーから人間の心を学ぶ姿も微笑ましく、無骨のアクションヒーローというシュワの原型が完成した1作と言っていい。日本では1991年、ぶっちぎりのナンバーワンヒット。あの有名なラストシーンや、「地獄で会おうぜ(アスタ・ラ・ビスタ)、ベイビー」といった名セリフなど、いつまでも心に残っている人も多いはず。
『コマンドー』
製作年/1985年 監督/マーク・L・レスター 共演/アリッサ・ミラノ、ヴァーノン・ウェルズ
勢いにまかせた豪快アクションが存分に味わえる!
『コナン・ザ・グレート』の史劇の世界の剣士、『ターミネーター』のT-800と、どこか非現実的な役でスターへの階段を駆け上がっていたシュワルツェネッガー。そんな彼が“現実的”なヒーロー役で初めて認知されたのが、この『コマンドー』だ。
シュワが演じたのは、元陸軍特殊部隊(=コマンドー)の隊長、ジョン・メイトリクス。南米でクーデターが起こり、彼の娘が誘拐される。犯人に大統領暗殺を強要されるジョンだが、その依頼には従わず、単独で敵地に乗り込む。
T-800役からさらに進化した銃撃など、シュワのアクションが確立された1作。セリフ回しがややぎこちなかったりもするが、それさえも魅力に変える、カリスマ的オーラが漂っている。娘を奪還するジョンの行動は、とにかく迷いがなく勢いまかせ。しかし、その勢いが爽快感につながり、作品の持ち味になったという、ある意味で“奇跡”のような作品。シュワのファンには彼の本質を心から味わえるという意味で、根強い人気を保っている。
『プレデター』
製作年/1987年 監督/ジョン・マクティアナン 共演/カール・ウェザース、エルピディア・カリーロ
地球外生命体とのタイマン勝負に血が騒ぐ!
人間を相手にした戦いでは物足りないとばかりに、シュワルツェネッガーが地球外生命体と格闘する。敵となる“プレデター”の、ありえないほど不気味なビジュアルも話題を集めた。シュワが演じるのは、元グリーン・ベレーの隊員で、通称“ダッチ”。南米で消息不明となった要人を探し、ダッチが指揮をとる特殊コマンド部隊がジャングルに分け入っていく。
前半はゲリラ軍との死闘が展開。このあたりはバトルアクション映画のド迫力で、中盤は正体不明の敵がいつ襲ってくるかわからないサスペンス風のムード。地球外生命体のプレデターは肉体を透明化する能力をもち、獰猛な肉食という点が斬新だったが、シュワのほかの作品を観慣れた人には、1対1の戦いが明らかにシュワに軍配……という安心感も!?
『プレデター』は続編も作られ、後にエイリアンと人気キャラ対決する映画も公開された。けれども、ダッチは1作めの後に亡くなったという設定なので、シュワが出演したのは今作のみ。その意味でも貴重。
『ツインズ』
製作年/1988年 製作・監督/アイヴァン・ライトマン 共演/ダニー・デヴィート、ケリー・プレストン
コメディセンスを遺憾なく発揮!
シュワルツェネッガーがほかの大物アクションスターと違うのは、コメディセンスが独特な点。初期の『コマンドー』でも片鱗は覗いていたが、純粋なコメディ作品に主演するのは、これが初めて。製作と監督は『ゴーストバスターズ』のアイヴァン・ライトマン。今作と『キンダーガートン・コップ』で、新たな才能がマックスで発揮された。日本では一時、CMにも出ていたりしたので、こっち側の彼を“シュワちゃん”と呼び、ファンになった人も多い。
シュワが演じるのは双子のひとり。とはいっても、もうひとりは外見が似ても似つかぬダニー・デヴィート。遺伝子操作の実験によって、片方は長身で運動神経バツグン、頭脳も優秀。もう片方は、すべて逆という双子が誕生。大人になって再会した2人が母親を探す旅に出る。
もちろん主演2人の凸凹感が見どころなのだが、すべて優秀のようなシュワ演じるジュリアスが、実は世間知らずで純粋な性格という味つけが笑いを加速。ホッコリするラストまで、シュワ主演作としては安心感も満点!
『ラストスタンド』
製作年/2013年 監督/キム・ジウン 共演/ロドリゴ・サントロ、フォレスト・ウィテカー、ピーター・ストーメア
無敵じゃないキャラが新鮮!
2003年、カリフォルニア州知事に就任し、基本的に俳優業は休止状態となったシュワルツェネッガー。知事の合間に『エクスペンダブルズ』などへの特別出演はあったが、2011年に任期を終えて映画界に本格復帰。2003年の『ターミネーター3』以来、約10年ぶりに主演を務めたのがこの作品だ。演じたのは、メキシコ国境に近い田舎町の保安官。国境を超えて逃亡しようとする凶悪犯の麻薬王を、なんとか阻止しようとする。
公開時、シュワは70歳。作品の中でも年齢にまつわる自虐ネタを披露するし、演じる保安官は無敵のヒーローというわけではない。そんな男が銃をかまえる姿は哀愁も漂い、シュワの新たな方向性が示された1作だ。
過去の作品では基本的にメインとして戦ってきたが、ここでは保安官仲間、武器マニアら町の面々とのチームプレーがメイン。ヒーローのイメージとは遠い彼らの奮闘と絆に、思いのほか感動してしまう。レアな銃器も登場したりと、マニア心もくすぐるはず。
[ロバート・デ・ニーロ]Robert De Niro
『ディア・ハンター』
製作年/1978年 製作・監督/マイケル・チミノ 共演/ジョン・カザール、メリル・ストリープ
若きデ・ニーロの共感力がスゴイ!
ロバート・デ・ニーロの初期の代表作といえば、『ゴッドファーザー PART2』や『タクシードライバー』を挙げる人が多く、早くから強烈なキャラクターを自分のものにする“怪物的名優”と認知されていた。そんな初期のキャリアの中で、“どこにでもいそうな若者”を名演した大傑作が『ディア・ハンター』だ。
アメリカ、ペンシルヴェニア州の鉄鋼の町に住むマイケルは、仲間とともにベトナム戦争に出征することになる。壮行会となるパーティや鹿狩り(ディア・ハンター)という日常風景が一変。ベトナムでのドロ沼の苦境から、あの有名なロシアンルーレットへとなだれ込む。基本的には戦争映画なのだが、出征前の友情を描くシーンがことのほか長いので、観終わった後は、ヒューマンドラマとしての感動が強い。
マイケル役としてのデ・ニーロは、戦争という極限状態で狂気をちらつかせる瞬間もあるものの、強い個性の仲間を思いやる、穏やかな印象が強い。そこに素直に共感させるところが、若きデ・ニーロの才能だ。親友に思いをはせるラストシーンの彼の表情は忘れがたい。アカデミー賞では作品賞など5部門受賞。
『レイジング・ブル』
製作年/1980年 監督/マーティン・スコセッシ 共演/ジョー・ペシ、キャシー・モリアーティ
体重を27kg増やした伝説的作品!
最近ではクリスチャン・ベールや、日本の鈴木亮平のように、役に合わせて極端な体重の増減に挑む俳優が増えたが、その原点といっていいのが今作のデ・ニーロだ。すでにアカデミー賞では助演男優賞を受賞済みで、主演男優賞にも2度ノミネートされていた彼が、念願のその主演男優賞に輝いた記念すべき一作である。
デ・ニーロが演じたのは、実在のミドル級ボクサー、ジェイク・ラモッタ。納得のいかない判定負け、八百長試合などを経験し、タイトルマッチで復活するも、性格が災いして破滅的人生にも導かれる。デ・ニーロはボクサーらしい肉体を作り上げたうえに、引退後の太った姿を再現するため、なんと体重を27kgも増量。信じがたい変貌は、いま改めて観ても驚くばかり!
全編、モノクロ(タイトルなど一部のみカラー)なのだが、その美しさは、ため息が出るほど。生々しさに徹するボクシングのシーンも、モノクロゆえの荘厳さが漂っている。そんな極上の映像美とともに、栄光と挫折、プライドが激しく交錯する劇的な男の運命が強烈に迫ってくる、まぎれもない傑作だ。
『ケープ・フィアー』
製作年/1991年 監督/マーティン・スコセッシ 共演/ニック・ノルティ、ジェシカ・ラング、ジュリエット・ルイス
静かなる狂気に震える!
強烈な役が多かったキャリアの初期を経て、俳優としての円熟期に入ったデ・ニーロが、再び過激な持ち味を全開にしたのが、この作品。若い時代のような振り切った感じではなく、静かに、そして不気味に狂気を漂わせる演技に、名優の底知れぬ実力がマックスで発揮されている。
1962年の名作『恐怖の岬』のリメイク。少女暴行の罪で14年の刑期を終えたマックスだが、自分を救えなかった弁護士への恨みが消えず、その一家に近づき、家族を崩壊させていく。マックスは復讐のために直接、手を下すのではなく、法を犯さないレベルでじわじわと弁護士家族を支配し、彼らの心を操る。映画を観ているこちらも、精神的な恐怖に陥っていき……というサイコスリラー。
全身タトゥーで、過剰に鍛え上げた肉体。外見もインパクト大なうえに、相手の弱みを瞬間的に察知し、利用する動物的本能、そして人のよさそうな態度がモンスターのように豹変する瞬間と、デ・ニーロの演技はトラウマになるほどの迫力。弁護士の娘との危険なやりとりなど、心ざわめかせるシーンが多数!
『グッド・シェパード』
製作年/2006年 製作・監督/ロバート・デ・ニーロ 共演/マット・デイモン、アンジェリーナ・ジョリー
監督としての力量も発揮!
ロバート・デ・ニーロの長いキャリアの中で、『ブロンクス物語/愛につつまれた街』に続いて2本めの監督作。もともとフランシス・フォード・コッポラが監督する予定だったが、コッポラは製作総指揮に回り、デ・ニーロにバトンが渡された。とはいえ、重厚かつ骨太な演出力で、監督としての手腕をきっちりと発揮。マット・デイモン、アンジェリーナ・ジョリーという大スターが共演し、デ・ニーロ自身も主人公を諜報機関に誘う将軍役で登場する。
大学生のエドワードが秘密結社に参加したのをきっかけに、やがてCIAの有能な諜報員になるまでを描く。愛する女性がいながら、友人の妹を妊娠させ、結婚するなど私生活のドラマと、世界の運命も左右する仕事の両面を、じっくりと見据えた力作。
デ・ニーロによると「実際のCIA職員が完成作を観て、納得してくれた」とお墨付きをもらったそうで、内部の裏切り者や対立する国のスパイとの攻防など、徹底してリアルだ。メリハリのある展開で、2時間47分という長さを飽きさせない。
『マイ・インターン』
製作年/2015年 製作・監督/ナンシー・マイヤーズ 共演/アン・ハサウェイ、レネ・ルッソ
一歩引いた受けの名演技に唸る!
最近のロバート・デ・ニーロは、“老いて、なお過激”と“いい人オーラ”という両面で活躍中。前者の代表格が『アイリッシュマン』での暗殺も請け負うドライバー役なら、後者は『マイ・インターン』だろう。
通販サイトの会社に、シニア・インターン制度で採用された、70歳のベン・ウィテカー役。パソコンの使い方にも疎い彼だが、自然体でやさしい人柄のおかげで、若い社員にとって“癒し”の存在になっていく。なかでも仕事とプライベートの両面に問題を抱える女社長ジュールズには、ベンが長い人生経験を生かした最高のアドバイスを与える。
年齢差によるカルチャー・ギャップでほっこりした笑いを届けつつ、シリアスなトラブルには冷静に、的確に対処して胸を熱くさせる。そんなベン役で、デ・ニーロはあくまでも自然体。ジュールズ役のアン・ハサウェイを前に、一歩引いた受けの演技には、長年のキャリアの余裕が感じられ、デ・ニーロのファンなら感動せずにはいられない。
ストーリー自体はわりと予想どおりだけれど、そうした安心感もデ・ニーロ映画としては異色。若い世代にとって、“理想の上司”“理想のおじいちゃん”が、ここにいる!
[ジョージ・クルーニー]George Clooney
『フロム・ダスク・ティル・ドーン』
製作年/1996年 監督/ロバート・ロドリゲス 共演/クエンティン・タランティーノ、ハーヴェイ・カイテル
テレビスターから映画へと進出!
『ER緊急救命室』のロス先生として大ブレイクした後の初主演映画。脚本は出演もしている奇才クエンティン・タランティーノ。『エル・マリアッチ』『デスペラード』で注目された、当時、新進気鋭のロバート・ロドリゲスが監督を務めたクライムアクション……と思いきや、途中からいきなりヴァンパイアホラーに華麗に転換するという斬新さが面白い1本。
銀行強盗を繰り返しながら逃亡し、メキシコ国境の怪しげなナイトクラブまでやってきたクルーニー演じる兄と、タランティーノ演じる弟のゲッコー兄弟。しかしそこはヴァンパイアの巣窟で、セクシーなダンサーたち(サルマ・ハェック様がダイナマイト級の美しさ)が突如牙をむき大パニックに! 
目の前で繰り広げられる血の饗宴に、ゲッコー兄弟と、人質の牧師(ハーヴェイ・カイテル)とその子どもたちが立ち向かう。タランティーノらしいトークもハチャメチャ展開も血みどろアクションもごった煮のうま味MAX、クセになる1本だ。牧師の娘を演じたジュリエット・ルイスがかっこいい。
『オーシャンズ11』
製作年/2002年 監督/スティーヴン・ソダーバーグ 共演/ブラッド・ピット、マット・デイモン
人柄や“らしさ”が発揮されたS級作品!
詐欺師や泥棒などそれぞれ犯罪のスペシャリスト11人がダニー・オーシャン(ジョージ・クルーニー)のもとに集結し、ラスベガスのカジノから大金を盗み出すという軽妙なクライムドラマ。クルーニーをはじめ、ブラッド・ピット、マット・デイモン、アンディ・ガルシア、ジュリア・ロバーツ、ドン・チードル、ケイシー・アフレックなどなど、超豪華オールスターキャストなので彼らがスクリーンの中で一堂に会しているのを観るだけで眼福!
銃を使わずに切り抜けるあっと驚く計画や、スピーディかつスタイリッシュな展開で、これぞザ・ハリウッドなエンターテインメント。観終わった後も爽快感バッチリ。兄貴的存在のクルーニーを中心にプライベートでも親しくなったキャストたちの息の合ったやり取りも見どころ。彼ら自身が楽しそうに演じているのが実に印象的だ。
クルーニーは続編の『オーシャンズ12』『オーシャンズ13』では製作総指揮を担当。『12』ではキャサリン・ゼタ・ジョーンズやヴァンサン・カッセル、『13』ではアル・パチーノなど、新たなスターが加入、オーシャンの仲間たちも全員勢揃いしたのはクルーニーの人望と人脈のおかげか。
『グッドナイト&グッドラック』
製作年/2005年 監督/ジョージ・クルーニー 共演/デヴィッド・ストラザーン、ロバート・ダウニー・Jr.
信念が詰まった監督作!
ジョージ・クルーニーが『コンフェッション』に続いてメガホン(兼脚本)を執った実話を基にした社会派ドラマ。“赤狩り”の恐怖が横行していた1950年代を舞台に、実在のニュースキャスター、エドワード・R・マローが、真実と正義のためにマッカーシズムに立ち向う姿が描かれる。
当時の雰囲気を再現する美しいモノクロ映像、ジャズをベースにした効果的なサウンドトラックはもとより、静謐な筆致でありながら当時の緊迫感を伝える描写や、ヒシヒシと伝わってくるマローのジャーナリスト魂にアツくなる。
アメリカではセレブが政治的発言をするのは当たり前だけど、クルーニー自身も積極的に発言するタイプで、過去には「俺はリベラルだ」と語ったことも。父ニックがニュースキャスターだったことや、幼い頃よりマローをヒーローだと思っていたということも含め、彼の信念が詰まった渾身の逸品!
『マイレージ、マイライフ』
製作年/2009年 監督/ジェイソン・ライトマン 共演/ヴェラ・ファーミガ、アナ・ケンドリック
クールでスマートな大人の男を好演!
クルーニー演じるライアンは企業の“リストラ宣告人”。アメリカ中を飛び回り、1年のほとんどが出張という生活だ。そのせいか人生哲学も「バックパックに入らない人生の荷物は背負わない」。気軽でドライな人間関係を好む独身だ。
そんなライアンが「出張を廃止し、オンラインでリストラを」と提唱する野心満々の新入社員ナタリー(アナ・ケンドリック)と、旅先で意気投合して大人の関係になるアレックス(ヴェラ・ファーミガ)というふたりの女性との出会いによって、自らの人生や生き方を見つめ直していく。
空港でのスマートかつスムーズな行動の極意、飛行機や滞在先のホテルでの過ごし方など旅慣れたクールな大人の男像を体現するクルーニーはさすがのかっこよさ。けれど、後半、これまでの人生哲学に疑問が生じた彼がふと、自分の“居場所”を考えてみると……。
原題の『Up in the Air』は“上空”とか“浮ついた”という直訳のほかに、“地に足がついていない”というライアンの生き方を差しているのだろう。人との繋がりの大切を感じさせてくれるビタースウィートな珠玉作だ。
『ファミリー・ツリー』
製作年/2011年 監督/アレクサンダー・ペイン 共演/シェイリーン・ウッドリー、ボー・ブリッジス
フツーの男を魅力的に演じ上げる!
ジョージ・クルーニーというと、映画でもプライベートでもセクシーでリア充でモテモテなイメージがあるけれど、本作で演じるのは人生の袋小路に迷い込み、あたふたするごくフツーの男だ。ハワイ在住の弁護士マットは周りには悠々自適な生活をしていると思われがちだが、実際は仕事に忙殺されて家庭を顧みる余裕もない。ある日、妻がボートで事故に遭って昏睡状態になったことをきっかけに、妻には浮気相手がいて離婚を考えていたことが発覚する。
家庭をおろそかにしてきたため意思疎通がうまくいかないふたりの娘、回復見込みのない妻の看取り、妻の浮気相手との対峙。さらにマットは先祖代々に伝わる広大な土地の売却問題にも悩まされる。扱っている要素はシリアスだけど、全体的にはコミカルな雰囲気。
情けなかったりかっこ悪かったりうまくいかなったり思い通りにいかなかったり。誰もが多かれ少なかれ感じる人生のダメな部分を愛してあげたくなる、静かに心揺さぶる作品。アカデミー賞脚色賞受賞。
[ジョニー・デップ]Johnny Depp
『妹の恋人』
製作年/1993年 原案・脚本/バリー・バーマン 監督/ジェレマイア・チェチック 共演/メアリー・スチュアート・マスターソン
演技の原点がわかる!
初期の代表作といえば、『クライ・ベイビー』や『シザーハンズ』を思い浮かべる人が多いかもしれない。が、彼の俳優としての持ち味が役にマッチし、なおかつ、その後の演技の原点が見られる意味で、『妹の恋人』を挙げたい。
撮影時、ジョニーは29歳。俳優としての方向性が見えてきた時代。ここで演じるサムは、風変わりなんだけど、相手の心を癒してくれるという難しい役どころ。それをいとも簡単にこなしているジョニーの才能に改めて驚いてほしい。
幼いときに両親を亡くしたジューンは、心の病を抱えたまま大人になった。兄と一緒に暮らす彼女の前に現れたのが、パントマイムのように動く青年、サムである。変な行動を繰り返すサムに、ジューンは閉ざした心を開いていく。
アイロンでパンを焼いたり、テニスのラケットでポテサラを作ったりを、真顔でこなすジョニー。バスター・キートンやチャップリンのモノマネなど映画通が観たら楽しめる“芸”も多数。彼が演じていなければ、屈折した心をもつ主人公2人のキスシーンが、こんなにもピュアにはならなかったに違いない。
『アリゾナ・ドリーム』
製作年/1993年 監督・脚本/エミール・クストリッツァ 共演/ジェリー・ルイス、フェイ・ダナウェイ
孤独な魂の男がよく似合う!
ケンタッキー州出身で、先住民族チェロキーの血も受け継ぐジョニー・デップは、大都会ではなく、どこか寂しげな町で生きる孤独な魂の男がよく似合う。
『ギルバート・グレイプ』や『デッドマン』などの傑作が証明しているが、そんな王道ではなく、このアリゾナ州を舞台にしたマニアックな逸品をチョイス。ジョニーが演じる主人公のアクセルは、ニューヨークから故郷のアリゾナへ戻ってきた青年だ。
アメリカン・ドリームにとりつかれた叔父、映画マニアの男、空を飛ぶことを夢みる未亡人と、自殺願望を抱えるその継娘。そんな周囲の変人に翻弄されるアクセルは、アラスカで釣りをする人生の目的も捨て、彼らの夢に寄り添っていく。
この“翻弄される”シチュエーションこそ、ジョニーの魅力が発揮される要因で(年上女性キラーの役が多い!)、素顔に最も近いジョニー・デップが、この映画に刻印されている気もする。
監督は旧ユーゴスラビア出身の、世界的鬼才、エミール・クストリッツァ。魚が空中を浮遊するなど不思議な映像も心に残るし、今作を観たことのない人もメインテーマは耳にしたことがあるはず。それほど音楽も有名な一作だ。
『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』
製作年/2003年 製作/ジェリー・ブラッカイマー 監督/ゴア・ヴァービンスキー 共演/オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ
徹底したキャラ作りに脱帽!
映画ファンの間では確実にトップスターの地位を築いていたジョニー・デップが、子供から中高年まで、超メジャーな人気を獲得したのが、このジャック・スパロウ役。ディズニーランドのアトラクションを基にしたとはいえ、ここまでの特大ヒットになったのは、ジョニーのキャラ作りの賜物といえる。
結局、2017年の第5作まで製作。ジョニーにとっても最大の人気シリーズとなったし、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたのも、今作が初めて。
海賊船ブラックパール号の船長として、大海原を駆け巡るという、一見、カッコいい役ながら、とぼけた味わいやズレた行動が目立ち、愛すべきキャラとなったジャック・スパロウ。
その裏には、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズや、アニメキャラなどを研究したジョニーの、ひらめき的な役作りがあった。ファッションやメイクにも話題が集中。そしてポイントでは、劇的な運命を背負った海賊の孤独や悲哀もにじませたりして、誰もが憧れる男の姿が、ここにある。
『ネバーランド』
製作年/2004年 原作/アラン・ニー 監督/マーク・フォースター 共演/ケイト・ウィンスレット
スマートでストレートな演技もピカイチ!
ジョニー・デップが演じた役の職業で、意外に多いのは執筆業。『シークレット・ウィンドウ』の作家や『リバティーン』の詩人のほか、ジャーナリストや教授など“ものを書く”職業は彼のイメージに合うのかも。
その代表的な作品が『ネバーランド』だ。演じたのは、『ピーター・パン』を書いた実在の劇作家、ジェームズ・マシュー・バリ。新作の不評で落ち込んだ彼が、4人の子供を育てる未亡人と出会うという、ピュアなストーリーでもある。
未亡人の三男であるピーターに、自分の少年時代を重ねて、新作劇に取り組む。そんなバリを演じるうえで、ジョニーは徹底的に素直なアプローチで挑んだ。強烈なキャラや、外見も変身しての過剰な演技が人気となった時期だけに、ファンからは「ジョニーって、こんなハンサムだったのか」と驚きの声も上がった作品でもある。
その結果、ジャック・スパロウ役に続いて、2度めのアカデミー賞主演男優賞にノミネート。しっとりと温かな感動を誘うクライマックスも、ジョニー作品としては異例かもしれない。
『チャーリーとチョコレート工場』
製作年/2005年 監督/ティム・バートン 脚本/ロアルド・ダール 共演/フレディ・ハイモア、ヘレナ・ボナム=カーター
白塗り特殊メイクが得意!
『シザーハンズ』『アリス・イン・ワンダーランド』など“白塗り特殊メイク系”が似合いすぎる……というか、得意としているのがジョニー・デップ。なかでも強烈なインパクトを残したのが、このウィリー・ウォンカ役だ。
しかも監督は、ティム・バートン。ジョニーとは声の出演作も含めて、なんと9本の映画を一緒に作っただけあって、カルト的なテイストにどう観る者を引き込むのか、心得ている感じ。実際に、奇妙キテレツな世界なのに、ジョニー=ウォンカの魅力に魔法をかけられ、めくるめく映画体験が待ち受ける。
ウォンカは自社が販売するチョコレートに5枚の当たりチケットを同封。その商品を買った子供たちが、秘密のチョコレート工場の内部を見学することができる。夢のような体験に心躍らせる5組の親子が、工場内で衝撃の運命に巻き込まれる物語。
チョコレートを作る“ウンパ・ルンパ”という小さな人たちや、クルミを割るリスの集団など、とにかくシュールで摩訶不思議な世界が展開。内容はブラックなのに、映像はカラフル。“怖い絵本”のような世界に、ジョニー・デップの怪しい笑顔がハマりまくっている。
文=斉藤博昭、熊谷真由子
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1a71e884b9ff041a67f8052c95295b78950f088

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ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち 劇場公開日 2020年8月7日

2020-08-30 | 先住民族関連
Eiga.com 8月29日
これはインディアンと呼ばれ色々な意味で弾圧され続けた先住民族が現代の音楽に与えた影響を検証する貴重な作品。音楽好きは必見だ。
思えばたかが500年の出来事。ヨーロッパ諸国から多くの人がアメリカへ移住し、先住民族を殺し、土地を奪い、生き残った者を居住区へ押し込んだ。奴隷としてアフリカから運んだ黒人たちを人間として扱わなかった。世界最強となって久しいアメリカは現在も迷走している。
閑話休題、今作はロックギター🎸のリンク・レイからスタート。今作のタイトルにもなったランブルをリリースしたのが1958年。余りにも早過ぎたロックだった。ザ・フーのピート・タウンゼントを例にとり後進のギタリストたちへの強い影響をうたった。
ブルースのチャーリー・パットン、ジャズ・ボーカルのミルドレッド・ベイリーにバトンを繋ぐ。
ここに真のオリジネーターの姿があった。
根底には先住民族の血と音楽があった。
ベイリーから歌を学んだというフランク・シナトラ、16歳から20歳までベイリーしか聴かなかったというトニー・ベネットのコメントにグッとくる。ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルド、ビング・クロスビー等が影響を受けた天才だった。
知らないことばかりだった。自分はビリー・ホリディの前に遡ることがなかった。ザ・バンドのロビー・ロバートソンやジミ・ヘンドリックスがインディアンの血を引いていることを知らなかった。ジミヘンはさほど黒くなかったが黒く見せたかったなんてねぇ。
その他、バフィー・セント・メリー、ジェシ・エド・デイヴィス、ランディ・カスティーヨなどの貴重なエピソードが目白押しだ。
https://eiga.com/movie/92880/review/02392411/

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8月29日は米先住民ヤヒ族最後の一人・イシが発見された日! 西洋社会から隔絶した「野生のインディアン」

2020-08-30 | 先住民族関連
TOCANA 2020.08.29
 1911年8月29日は、アメリカ・カリフォルニア州の先住民族であるヤヒ族インディアンの最後の一人・イシ(ヤヒ語で人の意)が、ラッセン山麓丘陵地帯の先祖伝来の土地を離れサクラメント近郊オロヴィルの屠畜業者の囲いへ現われた日である。
 イシはその後、保護され白人文明の影響を受けていない最後のインディアンとして注目を集め、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の人類学博物館へ移住。
 死去するまで同館で人類学者アルフレッド・L・クローバーらによって調査された。
https://tocana.jp/2020/08/post_168016_entry.html

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幻のセコイア州の歴史、米国先住民の権利ふたたび

2020-08-29 | 先住民族関連
7月に最高裁判決、「やっと約束を守ってくれた」と部族の代表者
ナショナルジオグラフィック 2020.08.28

1893年9月16日、オクラホマで土地を得るために、馬に乗って一斉に駆け出す入植者たち。米国政府は、この地域を永久的に先住民部族へ与えると約束したが、白人たちはこのように先住民の土地を次々に手に入れ、それが後のオクラホマ州成立につながった。(PHOTOGRAPH BY TULSA CHAMBER OF COMMERCE, NAT GEO IMAGE COLLECTION)
 米国中南部に位置するオクラホマ州の名は、「赤い人々」を意味する米国先住民チョクトー族の言葉に由来している。一方、オクラホマ州のニックネーム「スーナー・ステート(“抜け駆け移住者の州”の意)」のスーナーは、先住民の土地に入り込んできた白人開拓者を指している。現在は一つの州であるオクラホマはかつて、白人の土地と先住民の土地に分かれていた。(参考記事:「米国先住民の苦闘と希望」)
 2020年7月、米連邦最高裁判所は、オクラホマ州東部の大部分を米国先住民の居留地と認める判決を下した。この歴史的判決に至るまでには、誰がオクラホマの大草原と丘陵地帯を所有し、誰がそこに居住するかをめぐって長い闘いの歴史があった。今あるオクラホマ州が2つの別の州に分かれていた可能性すらあった。
 始まりは米国南東部だった。現在のノースカロライナ州からミシシッピ州にかけての広い土地には、チェロキー族、チカソー族、チョクトー族、マスコギー族(クリーク族とも呼ばれている)、セミノール族が住んでいた。
 18世紀後半~19世紀にかけてこれらの土地へ流入してきた白人の開拓者たちは、そこに住んでいた部族が経済と社会交流の構築に前向きだったことから、彼らを「文明化五部族」と呼んだ。それでも、白人たちは先住民を土地から追い出すよう米国政府に圧力をかけた。(参考記事:「馬と生きる 北米先住民」)
オクラホマ州の先住民が自治権を取り戻すまで
1890年:オクラホマ州東部の大部分は、元々先住民のために確保されていたが、オクラホマ州成立にいたるまでの過程で彼らから奪われていった。
1907~2020年6月
先住民はオクラホマ州各地に暮らしているが、居留地に指定されている土地はごくわずかしかない。
2020年7月
2020年7月、米連邦裁判所はオクラホマ州東部の大部分を先住民居留地と認める判決を下した。つまり、そこに暮らす先住民は、オクラホマ州ではなく彼らの部族政府の管轄下にあることを意味する。だが、非先住民はこれには当てはまらないと、法律専門家は考えている。(SOREN WALLJASPER, NG STAFF, SOURCE: OKLAHOMA HISTORICAL SOCIETY; US CENSUS BUREAU; USGS)

故郷を追われた「涙の道」
 1830年、議会は「インディアン移住法」を可決させた。この法律は、南東部の先住民部族に西部の土地を与える代わりに、先祖代々彼らが住んできた土地を明け渡すよう求める権限を、時のアンドリュー・ジャクソン大統領に与えた。五部族は、ほぼ強制的に様々な協定に署名させられた。その中のひとつ、1833年の協定では、「全てのクリーク族に永久的な居住地」を保証することが約束されていた。
 先住民の多くは抵抗することなく移住に応じたが、なかには銃を突きつけられて家から追い出された者もいたという。1830~1850年の間に、約10万人の先住民が故郷を追われた。この強制移住は、後に「涙の道」と呼ばれた。
 1000キロ以上離れた移住先は「インディアン準州」内の、現在のオクラホマ州中央部と東部にあたる一帯だった。そこには既に21の部族が住んでいたが、文明化五部族は彼らのすぐそばに定住し、新たな生活を始めた。その後も長い年月をかけて、連邦政府は次々に先住民の土地を獲得し、インディアン準州は今のオクラホマ州の大きさにまで縮小した。
 1880年代、連邦政府が移住政策から割当政策へと方針転換したことで、準州はさらに縮小した。部族政府が管理していた共有の土地を細かく分割して先住民個人の所有地にすることで、先住民たちを白人社会へ同化させるのが狙いだった。
 五部族はこの政策から除外されていたが、オクラホマ西部に住んでいたその他の部族の土地は、細かく切り分けられて個人に与えられた。ところが、土地を与えられた多くの先住民は、結局それらを白人開拓者や米国政府へ売り渡してしまった。
 白人たちはまた、オクラホマ州中央部にある8000平方キロの「未割当地」と呼ばれる土地も手に入れようとした。ここは、1861~1865年の南北戦争で南軍について戦ったマスコギー族とセミノール族の土地だったが、政府がそれを強制的に譲渡させていた。ブーマーと呼ばれた入植希望者たちがこの土地に居座り、その後数年間のロビー活動の末、連邦政府は1889年に土地を白人に開放することに同意した。
 ニュースを聞きつけた5万人の白人たちがオクラホマへ押し寄せ、土地が開放されるのを待った。1889年4月22日正午、人々は一斉にスタート地点から駆け出し、自分たちの土地を確保した。こうしてわずか1日で、約1万1000の自営農地が誕生した(この日よりも前に違法に土地に入った者もいた。彼らは、スーナー(sooner=“抜け駆け者”の意)とあだ名された)。
 それから約1年後の1890年、連邦政府は未割当地と西部オクラホマをまとめてオクラホマ準州とした。白人の開拓者たちは、連邦議会での議席を確保するために、準州を州へ昇格させようとしたが、住人も議会も、その際に五部族の土地も含めてインディアン準州をオクラホマ州へ併合させるか、それとも別の州にするかで意見が分かれた。
 議論が続く間も、白人たちは次々にオクラホマへ移住し、インディアン準州にも住み着いた。白人でも、部族政府から購入した余剰地に住むことを認められていたためだ。やがて、インディアン準州に住む白人の数は、先住民の数を大きく上回った。
先住民が統治する「セコイア州」成立を目指して
 連邦政府は、1898年にカーティス法を可決させ、オクラホマを州に昇格させる道を開いた。部族政府を1906年3月をもって廃止すること、これまで対象外だった五部族に対しても割当法を受け入れることを強要したのだ。間もなく自分たちの自治権が失われ、連邦政府からも認められなくなると悟った五部族は、最後の抵抗として、自分たちの州を成立させることを決めた。
 1905年8月と9月に、部族代表者は州憲法を起草し、先住民が統治する「セコイア州」の創立を提案した。インディアン準州の住民投票では、先住民も白人も圧倒的多数でこの発議案を可決したが、連邦議会がこの問題について投票を行うことはなかった。
 その背景には、政治的思惑があったとされている。当時、共和党が多数派を占めていた連邦議会と共和党大統領のセオドア・ルーズベルトは、歴史的に南部とのつながりが強いこの地域に先住民の州ができれば、民主党の上院議員を議会へ送るだろうと懸念したのだ。しかし、歴史家のバーバラ・A・マン氏も言うように、白人による白人のための州政府を望んでいた白人議員たちにとって、セコイア州は受け入れ難かったことも、理由のひとつだろう。
 議会は結局、オクラホマ準州とインディアン準州を併合してオクラホマ州とする法律を可決させた。州の代表者たちは州憲法を作成し、州都を選定し、1907年11月16日、オクラホマは合衆国第46番目の州となった。
 現在、オクラホマ州の先住民人口は全米で2番目に多く、州全体の人口の13%以上を占めている。だが、個人の先住民に割り当てられた土地が次々に非先住民に売り渡されたり、税金の代わりに州に没収された結果、州の東部は今でも先住民の土地とみなされるのかという議論が活発になった。
ようやく果たされた約束
 そして2020年7月、最高裁の「マクギート対オクラホマ州事件」の判決により、その長年の議論についに終止符が打たれた。争点となっていたのは、1996年に性犯罪で州裁判所に起訴されていたセミノール族出身のジムシー・マクギートさんに下された有罪判決だった。
 マクギートさんの弁護人は、犯行現場は、1830年代に連邦政府がマスコギー族に保証した土地であるため、州はマクギートさんを裁判で裁く権限を持たないと主張した。米国では、先住民居留地で発生した先住民が関わる犯罪は、州ではなく連邦裁判所または部族裁判所の管轄下にあると定められている。
 9人の判事から成る最高裁の判決は、5対4でこの主張を支持した。マスコギー(クリーク)族やその他の部族は、オクラホマ州東部地域の土地が居留地として認められた歴史的判決であるとして歓迎した。
 多くの人にとって、今回の判決はオクラホマ州の先住民たちが長いこと求めてきた自治権へ一歩近づいたことを意味する。マスコギー族大使のジョノデヴ・チャウドゥリ氏は、判決後に『インディアン・カントリー・トゥデイ』紙に次のように語った。「多くの人が喜びの涙を流しています。これまで何度となく約束を破ってきた米国政府が、やっと約束を守ってくれたことに、部族も市民も励まされました」
文=ERIN BLAKEMORE/訳=ルーバー荒井ハンナ
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/082700497/

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米連邦政府、唯一の先住民死刑囚の刑執行 居留地は反対

2020-08-29 | 先住民族関連
AFPBBNEWS 2020年8月28日 20:37 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 米国 北米 ]
【8月28日 AFP】米インディアナ州で26日夜、国内唯一の先住民出身の死刑囚の刑が執行された。先住民居留地「ナバホ・ネーション(Navajo Nation)」は、死刑判決は同居留地の自治権に対する侮辱だとし、刑の執行に反対していた。
 レズモンド・ミッチェル(Lezmond Mitchell)死刑囚(38)は、インディアナ州テレホート(Terre Haute)の連邦刑務所で、薬物注射による死刑が執行された。ミッチェル死刑囚は2011年に女児(9)とその祖母(63)を殺害し、有罪判決を受けた。
 同死刑囚の弁護団は、連邦裁判所が「先住民族が不当に扱われてきた長い歴史に、新たな一章を加えた」と述べた。
 ほとんどの犯罪は州法によって裁かれるが、連邦裁判所は特定の条件下、例えば先住民居留地など州の管轄外での犯罪を扱っている。
 連邦裁判所が死刑判決を下すことはめったになく、刑が執行されることはさらに珍しい。1988年から今年7月までに連邦刑務所で刑が執行されたのはわずか3人だった。
 だが、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領政権は死刑執行を進めるよう要請しており、執行数が増加している。
 ナバホ・ネーションは、1994年の先住民自治について定めた法律を引き合いに出し、殺人事件はアリゾナ州のナバホ居留地で発生し、加害者・被害者共にナバホ出身だったことから、米当局はナバホ・ネーションに死刑の許可を求めるべきだったと主張している。
 ナバホは先住民に死刑を適用することを拒否しており、被害者の遺族はミッチェル死刑囚を終身刑にするよう求めていた。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3301624

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民主ハリス氏、トランプ大統領のコロナ対応「大惨事」と批判

2020-08-29 | 先住民族関連
産経新聞 2020.8.28 11:46
 【ワシントン=平田雄介】米民主党の副大統領候補、ハリス上院議員は27日、世界最悪の18万人超の死者が出ている新型コロナウイルスをめぐり、「トランプ大統領が中国の初期対応を称賛し、感染防止策より市場の動向に執着したことが、今の大惨事につながった」と厳しく批判した。
 ハリス氏は、トランプ氏が共和党大会で大統領候補の指名受諾演説を行う数時間前に演説した。新型コロナの被害は「黒人やヒスパニック(中南米系)、先住民族に多い」とし、「この現実は共和党大会で語られなかった」と指摘。「共和党大会の目的はトランプ氏のエゴを満たすことになっている。国民の健康と安全、幸福が目的であるべきだ」と訴えた。
 ハリス氏は、米国で初の感染者が出た1月に「トランプ氏は『ウイルスは消えるから心配しなくてよい』と語り、初期対応から間違いを重ねた」と非難。「トランプ氏は新型コロナ対応に取り組めば市場と自らの再選への打撃になると確信していた。国民を守るより自分のことが大事だった」と持論を展開した。
 一方で、民主党の大統領候補、バイデン前副大統領については「1月に新型コロナへの警戒を訴え、3月に国家戦略を策定した」と指導力をアピール。政権を担えば「マスク着用を義務化する」と述べた。
 米中西部ウィスコンシン州ケノーシャで23日に黒人男性が警官に銃撃された事件にも言及。「被害者は昼間に3人の息子の前で背中を7回撃たれた」と警察改革の必要性を強調した。
https://www.sankei.com/world/news/200828/wor2008280018-n1.html

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インド小島の少数先住民10人がコロナ感染、全人口50人余り

2020-08-29 | 先住民族関連
AFPBB News 2020年8月28日 19:33 発信地:ポートブレア/インド [ インド アジア・オセアニア ]
【8月28日 AFP】インド当局は27日、インド洋(Indian Ocean)の小さな島に暮らす少数先住民10人が、新型コロナウイルス検査で陽性と診断されたと発表した。この島のあるインド直轄領アンダマン・ニコバル諸島(Andaman and Nicobar Islands)には複数の先住民がおり、感染拡大の懸念が高まっている。
 このほど新型コロナ感染が確認されたのは、ストレート島(Strait Island)に住む先住民、大アンダマン人(Great Andamanese)で、現在の民族人口は50人余り。インド政府が食料や住居の支援を提供している。
 AFPの取材に応じた当局者によると、感染が確認された10人のうち6人は既に回復し、自宅隔離中だという。残る4人は、地域の病院で治療を受けている。
 アンダマン・ニコバル諸島全域の人口は約40万人で、新型コロナ感染者2268人、死者37人が報告されている。
 大アンダマン人の一部は政府関係の仕事に就いており、ストレート島と諸島の最大都市ポートブレア(Port Blair)を行き来している。ポートブレアで最近行われた新型コロナ検査で、大アンダマン人6人が陽性と診断されたことから、インド当局は23日に保健当局者をストレート島に派遣。37人を検査し、うち4人の感染を確認した。
 人類学者や孤立先住民の保護活動家らは、19世紀に英国人が到来した当時は5000人を超える大アンダマン人が複数の島に暮らしていたと指摘する。だが、先住民人権団体「サバイバル・インターナショナル(Survival International)」によれば、英国人から土地を守ろうとした戦いで数百人が命を落とし、さらに麻疹(はしか)やインフルエンザ、梅毒の流行で数千人が死亡したとされる。
 また、最近はアンダマン・ニコバル諸島の近海で密漁が相次いでおり、大アンダマン人をはじめ先住民に新型コロナ感染が広がる懸念が指摘されていた。(c)AFP
https://www.afpbb.com/articles/-/3301589

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ジェイソン・デケアレス・テイラーによる海中美術館が、グレートバリアリーフにも誕生 海に潜りながらアート鑑賞!

2020-08-29 | 先住民族関連
ELLE 2020/08/28
今年8月、オーストラリアのグレートバリアリーフにオープンした海中美術館「MOUA」(Museum of Underwater Art)は、イギリス人彫刻家のジェイソン・デケアレス・テイラーが、サンゴ礁の保護を目的に海の中にアート作品を設置する美術館。
ほとんどのアート作品が海の底に沈められているため、シュノーケルやダイビングをしながらの鑑賞となるのがユニークだ。海の中に展示されている作品群は、海洋生物に悪影響を与えないステンレスと特殊素材の中性ph(ペーハー)で制作されており、年月とともにアート作品上にサンゴが繁殖し、やがて魚たちの住処となる。美しい彫刻とサンゴ礁が融合した作品は神秘的であり、自然の生態系について考えるきっかけにも。

4つの展示からなる美術館で、唯一海の上に展示されているのが「オーシャン・サイレン」というモニュメントだ。グレートバリアリーフへの玄関口となる街、タウンズビルの湾岸に設置され、ビーチから誰でも鑑賞することができる。先住民族をモデルにしたモニュメントにはLEDライトが搭載され、近海のデイビスリーフ測候所で観測された海水温度がリアルタイムで反映される。
アートをきっかけに、自然の尊さや保護活動への意識を高める海中美術館。オーストラリアへ旅行できる日を楽しみに、今はクイーンズランド州政府観光局より公開された動画(https://youtu.be/FVIcq0t4J_4)をチェックしておこう。
https://www.elle.com/jp/decor/decor-interior-design/a33789652/moua-200828/

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潜水艦に瑞祥動物は不向き

2020-08-29 | アイヌ民族関連
Japan In-depth 8/28(金) 21:39配信
・ 海自は潜水艦に日本海軍の空母艦名を踏襲させようとしている
・ しかし、艦名として馴染みのない漢語艦名が連続してしまった
・ 主力艦にふさわしい名前を与えるなら固有語の利用が望ましい
瑞祥動物の名前採用は失敗ではないか?
海自は潜水艦の命名規則を改めている。以前は「くろしお」「うずしお」と「潮」で統一されていた。それを15年ほどまえに瑞祥動物つまり竜や鳳凰の名前も使えるように改められた。日本海軍の空母名を踏襲するためだ。
しかし、この改正は今一つとなった。これは「そうりゅう」型の迷走で明らかである。「龍」で統一したものの3番艦以降は馴染みがない艦名が連続したのだ。
なぜ、艦名変更はうまくいかなかったのか?
瑞祥動物は主力艦の名前に向かないからだ。第1は由緒艦名の少なさである。第2は漢語としての座りの悪さである。第3は名前のちから強さの欠落である。
■ 現代の主力艦、潜水艦
潜水艦は海自にとって最も重要な戦力である。
なによりもその効用は大きい。潜水艦は海を自由に使わせない力を持つ。潜水艦を送り込んだ海域では敵対国の艦船活動を大幅に制約される。また敵対国海軍に海域での対潜戦も強要できる。それにより日本正面への戦力集中を困難にできる。
そのため好待遇が与えられている。乗員の給料は護衛艦乗員や海自パイロットよりも手厚い。基地も充実している。例えば潜水艦ごとに陸上事務室や倉庫が用意されている。極めつけはビジネスホテル水準の乗員待機所である。艦内居住となる下士官兵むけの陸上宿舎が準備されているのである。
艦名規則の変更も高待遇の一つである。潜水艦は今日の主力艦となった。だからふさわしい艦名として日本海軍の空母艦名を与える。そのために命名規則を瑞祥動物名に改めたのである。
■ 由緒艦名が少ない
だが、瑞祥動物名の採用は失敗した。
理由の第1は由緒艦名の少なさだ。瑞祥動物の殊勲艦名は2隻あるいは4隻と案外に少ない。
文句なしの殊勲艦は2隻だけだ。「蒼龍」「飛龍」だけだ。正々堂々と戦って沈んだ「瑞鳳」「祥鳳」を足しても4隻だ。
それ以外は不運の印象がつきまとう。「大鳳」「雲龍」(*1)  はあきらかにそうである。また建造や改修の経緯から「龍鳳」も近い印象がある。この3隻は使いにくい。(*2)
その他は瑞祥動物では括れない。
殊勲艦で示すなら「赤城」「加賀」「瑞鶴」「翔鶴」はそうだ。前二者は山岳名と律令国名、後二者は吉祥だが実在動物である。
それに次ぐ活躍をした六隻も同様である。「隼鷹」「飛鷹」も実在動物に近い。「鳳翔」と「龍驤」は形容詞的艦名である。「千代田」「千歳」は縁起地名ともいうべき艦名だ。
瑞祥動物では掛け値なしの由緒艦名は4隻分しか確保できないのである。旧空母名すべてを踏襲しても7隻しかない。吉祥動物として鶴と鷹を含めても11隻しかないのだ。
対して潜水艦保有数は24隻まで増加する。その点で潜水艦に由緒艦名を与えるには不適当な命名基準なのである。
■ 漢語艦名として座りが悪い
第2は漢語としての座りの悪さだ。瑞祥動物を名前とすると造語は避けられない。由緒艦名も少ないが動物名そのものも少ない。そして造語をすると和臭を伴う微妙漢語になりやすい。
「そうりゅう」型3番艦以降はそうなっている。はっきり言えば微妙な造語である。
なにより安直だ。「龍」の前に色を付す。あるいは日本海軍に倣い「瑞」「翔」をつける。または勇猛となるように「剣」と「神」と「闘」を前置した形である。
本来なら漢籍の裏付けが必要だ。軍艦名の「蒼龍」は『史記』の五帝本紀から「飛龍」は『易経』の「飛龍在天、利見大人」から取っている。
それを海自はやっていない。例えば「けんりゅう」は漢籍の裏付けを全く欠く。それ以外の艦名も四書五経には出てこない。正史まで広げて出てくるかどうかだ。(*3)
艦名としての収まりは悪くなるのは当然なのだ。
■ ちから強さを欠く
第三はちから強さの欠落である。
これも瑞祥動物を採用した結果だ。実物が存在しない動物の上、言葉として馴染みがない名前となった。そのため重みがない名前となってしまった。
もともと艦名は和語であった。明治海軍以降はおおむね固有語、やまとことばが宛てられた。なかでも雅な語句を選んで艦名とした。「敷島」や「初瀬」「八雲」「千早」はその好例である。(*4)
だからちから強くなった。日本語話者には風格ありしかも口馴染む艦名となったのだ。
漢語艦名ではそれは見込めない。明治海軍が例外的に命名した「清輝」には風格や力はない。この点で不適なのである。
これは空母艦名も変わらない。大正期以降に幕末以来の漢語艦名が復活した。だが当時としても一品下る艦名であった。鳳凰、龍、鯨は直接敵と砲火を交えない二線級の軍艦向けとして航空母艦や潜水母艦に用いられたのだ。
「蒼龍」や「飛龍」も本来は二線級の艦名なのである。
これは後の基準変更からも窺える。日本海軍は戦争中に空母艦名を山岳名に改め「天城」や「葛城」の伝統艦名をつけた。これは空母の待遇改善である。つまり山岳名は龍、鶴、鳳、鷹の名前より価値が高いのだ。
■ アイヌ、沖縄を含めた固有語がふさわしい
潜水艦の名前に瑞祥動物は向かない。
主力艦にふさわしい艦名を与えるなら固有語の名前を使うべきであった。
今ならば「かぜ」である。命名規則上で空いており近いうちに既存艦2隻も退役する。
そうすれば由緒艦名が使える。古語の「天津風」「時津風」、王朝文学に由来する「松風」や「野分」、そしてなにより「雪風」以下の殊勲艦名が利用できる。
なお、固有語利用では沖縄やアイヌへの配慮も必要である。和語利用はヤマト民族やヤマト人のエスノセントリズムの押し付けでもある。それを避けるにはアイヌや沖縄固有語を用いる。上の例ならそれぞれの風の名前を含めるべきである。
(*1)「雲龍」は「そうりゅう」型2番艦の艦名に継承されている。
(*2)日本海軍の艦艇名には「福龍」も存在する。日露戦争で捕獲した水雷艇である。ただ「伏龍」との通音から海自は忌避する名前である。
(*3)中央研究院(台北)の漢籍電子文献で検索しても剣竜はヒットしない。偶然の並びで「剣、龍」が出てくるだけである。その他の艦名も四書五経では出てこない。
(*4)地名艦名には漢語起源も含まれていた。ただ言葉として咀嚼されており名前としても馴染みはふかい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/00a980270a4d839cdfa0252e6669056568ee0f92

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木彫り熊の芸術性体感 白老の資料館 道内各地の230点展示

2020-08-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/28 08:03 更新
 【白老】昭和期に地域の観光産業を支え、アイヌ民族の作者も多い土産物「木彫り熊」をテーマにした企画展「白老、北海道の木彫り熊を巡る考察展」が、仙台藩白老元陣屋資料館(陣屋町681)で開かれている。白老の作品に限定した昨年とは異なり、今年は渡島管内八雲町や旭川市など道内各地の作品230点を展示している。
 白老町や札幌市で活動する芸術団体や商業振興会、住民有志らで構成し、文化や芸術で地域活性化を目指す「ウイマム文化芸術実行委員会」などが主催。白老の作品と共に、当時の制作の様子などを町民に聞き取った調査結果を展示した昨年の企画展の続編として開催した。
 木彫り熊発祥とされる八雲町で「面彫り」という手法で制作された木彫り熊は、小さな面を連ねたような形状でクマを表現している。八雲町や旭川市の作品から影響を受け、白老で制作された作品も並ぶ。直立した「立ち熊」やサケを背負った「背負い熊」、四股を踏んだ「ドスコイ熊」などさまざまで、作風や特徴から木彫り熊のルーツや歴史を体感できる。
 国立アイヌ民族博物館が所蔵する木彫り熊があしらわれた「イクパスイ(捧酒(ほうしゅ)べら)」などの展示品もあり、一部の木彫り熊は触れて楽しむこともできる。
 資料館の武永真館長は「土産品としてではなく、芸術品としての観点からお気に入りを見つけてほしい」と来場を呼びかけている。
 9月は12日午後2時からTシャツなどにクマのイラストをプリントする体験、22日午後2時半からは展示を監修した作家によるギャラリートークを開催する。いずれも参加無料。
 9月22日まで。午前9時半~午後4時半。8月31日、9月14日は休館。入館料300円(小中学生150円)、町民無料。同期間はサテライト会場としてホステル「haku(ハク)」(大町3)でも展示する。(斎藤佑樹)
◆ウイマムのムは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/454367

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菅長官「適切な時期に対応」 未開催のアイヌ政策会議

2020-08-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/27 22:38 更新
 菅義偉官房長官は27日の記者会見で、自ら座長を務める「アイヌ政策推進会議」が1年半以上開かれていないことについて「施策の推進状況などを見ながら適切な時期に対応したい」と述べた。
 同会議は政府のアイヌ政策に対し、アイヌ民族の声を反映させる場。菅氏は未開催が続いている原因を問われたが、説明しなかった。内閣官房アイヌ総合政策室は、昨年5月にアイヌ施策推進法が施行され、今年7月には民族共生象徴空間「ウポポイ」がオープンするなど、政策が一定程度進んでいることを踏まえて「現時点で開催する必要はない」としている。
 次回から会議メンバーとなる鈴木直道知事は27日の記者会見で「引き続き、アイヌ施策の一層の推進に努めたいが、開催については国において適切に判断されるものと考える」と述べた。
 推進会議は2010年、アイヌ民族を含む14人で発足。施策推進法やウポポイ開設のほか、道外のアイヌ民族の実態調査や教科書発行者対象のセミナー開催なども実現してきた。アイヌ民族からは議論するべき課題が多いとして早期開催を求める声が出ている。(石井努、村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/454354

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