朝日新聞 2012年05月31日
北海道の名付け親として知られる幕末の蝦夷(えぞ)地探検家、松浦武四郎(1818~88)=現在の松阪市出身=の功績をたたえる記念碑が、北海道新ひだか町のアイヌ民俗資料館に建てられた。アイヌの人たちによる武四郎の記念碑建立は、弟子屈(てしかが)町の歌碑に次ぎ二つ目。
武四郎は蝦夷地調査の過程でアイヌの人たちと交流した。「心情の率直で純朴なことは、たとえようがない。アイヌの人たちの美しい心を知ってほしい」という言葉を残している。
今回の記念碑建立は、松阪市で毎年開かれる「武四郎まつり」に昨年2月、道内の「静内民族文化保存会」の会員が招かれたのがきっかけだった。
アイヌ民族と武四郎の結びつきを多くの人に知ってもらおうと、保存会の会員が所属する北海道アイヌ協会新ひだか支部(大川勝支部長)の有志が、アイヌ民族の英雄シャクシャインゆかりの地、新ひだか町に建てることにした。
碑文には「アイヌ民族と武四郎の絆は今なお輝いている。民族を超えて、ともになし得た功績をたたえる」と記した。
150冊にのぼる蝦夷地の調査記録や28分冊の地図を残した武四郎は、約9800に及ぶアイヌの地名を調べた。安政の大獄が始まった1858(安政5)年には、静内川などをさかのぼり、同町周辺のアイヌコタン(集落)を訪ねて回ったとされる。
松浦武四郎研究会(事務局・札幌市)によると、道内には、武四郎の銅像や顕彰碑などが確認できるだけで50カ所以上ある。間宮林蔵や伊能忠敬など、ゆかりのあるほかの人物の碑に比べても突出した数という。
今月12日の除幕式に招かれた松浦武四郎記念館(松阪市)の山本命(めい)学芸員(36)は、武四郎が3度訪ねて記録した当時の静内の様子について講演。山本さんは「アイヌ民族の思いや武四郎とのきずなの深さを知り、改めて武四郎の存在の大きさに触れた」と話している。(森山敏男)
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000001205310003
北海道の名付け親として知られる幕末の蝦夷(えぞ)地探検家、松浦武四郎(1818~88)=現在の松阪市出身=の功績をたたえる記念碑が、北海道新ひだか町のアイヌ民俗資料館に建てられた。アイヌの人たちによる武四郎の記念碑建立は、弟子屈(てしかが)町の歌碑に次ぎ二つ目。
武四郎は蝦夷地調査の過程でアイヌの人たちと交流した。「心情の率直で純朴なことは、たとえようがない。アイヌの人たちの美しい心を知ってほしい」という言葉を残している。
今回の記念碑建立は、松阪市で毎年開かれる「武四郎まつり」に昨年2月、道内の「静内民族文化保存会」の会員が招かれたのがきっかけだった。
アイヌ民族と武四郎の結びつきを多くの人に知ってもらおうと、保存会の会員が所属する北海道アイヌ協会新ひだか支部(大川勝支部長)の有志が、アイヌ民族の英雄シャクシャインゆかりの地、新ひだか町に建てることにした。
碑文には「アイヌ民族と武四郎の絆は今なお輝いている。民族を超えて、ともになし得た功績をたたえる」と記した。
150冊にのぼる蝦夷地の調査記録や28分冊の地図を残した武四郎は、約9800に及ぶアイヌの地名を調べた。安政の大獄が始まった1858(安政5)年には、静内川などをさかのぼり、同町周辺のアイヌコタン(集落)を訪ねて回ったとされる。
松浦武四郎研究会(事務局・札幌市)によると、道内には、武四郎の銅像や顕彰碑などが確認できるだけで50カ所以上ある。間宮林蔵や伊能忠敬など、ゆかりのあるほかの人物の碑に比べても突出した数という。
今月12日の除幕式に招かれた松浦武四郎記念館(松阪市)の山本命(めい)学芸員(36)は、武四郎が3度訪ねて記録した当時の静内の様子について講演。山本さんは「アイヌ民族の思いや武四郎とのきずなの深さを知り、改めて武四郎の存在の大きさに触れた」と話している。(森山敏男)
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