このブログのブロバイダである「グーブログ」には「アクセス解析」という項目があってその一部に過去記事のランキングが日替わりで掲載されている。
先日、そのランキングの上位にあったのが「オペラ魔笛の想い出」だった。2009年に投稿したものなので今から9年も前のブログだ。
エーッ、こんな昔のものまで目を通している方がいるんだと驚いたが、どういう内容かさっぱり忘れていたのでざっと目を通してみるととても真面目な内容なのに我ながら驚いた(笑)。
現在のオーディオ一辺倒の記事とは大違いで、自分で言うのも何だが音楽を愛する真摯な姿勢が垣間見えるような気がして、これこそ我が「音楽&オーディオ」の原点なんだと、思わず身が引き締まった。
そういうわけで、昔日の真面目な面影を知っていただくために、以下のとおり一部修正のうえ再掲させてもらいました。「音キチ」からのイメチェンにつながればいいのですが~(笑)。
オーディオ専門誌「無線と実験」の読者交換欄を通じて「アキシオム80」を譲ってくれた千葉県のSさんとはその後もメールの交換を頻繁に行っている。
お互いに「音楽&オーディオ」好きなので話題は尽きず毎回、Sさんがどんな内容を送ってくるのかが愉しみだが、7月27日付けのメールは次のような内容だった。題して「魔笛の想い出」。
Sさんの友人のNさんは美大を卒業後ご夫婦でドイツに留学、画家として将来を嘱望されていたが精神を病んで極度のウツ症状となり帰国後病院通いをしながら最後はとうとう自殺されてしまった。
当時の14年前のクリスマスの頃、丁度SさんがNさんご夫婦とお会いする機会があり、内田光子さんのモーツァルトのピアノソナタのLPを買ってプレゼントしたところ奥さんが「ありがとう、今は魔笛なの、魔笛ばっかり聴いてるの」と力説されていたのが最後の想い出となってしまった。
そこで、このメールに大いに触発されて返信したのが次の内容だった。
モーツァルトの創作活動の集大成とも言える魔笛のあの「透明な世界」と「人間が消えて失くなること」とが実に”しっくり”きていて胸にジンときました。たしかに魔笛の世界には人間の生命を超越したものがあってとても言葉なんかでは表現できない世界なんですよね。
自分にも是非、「魔笛の想い出」を語らせてください。
あれは丁度働き盛りの37歳のときでした。それまで、まあ人並みに出世の階段を昇っていたと思っていたのですが、その年の4月の異動で辺鄙な田舎町の出先機関に飛ばされてしまいました。
今となっては「そんなくだらないことに拘ってバカみたい」ですが、人生経験の浅かった当時はたいへんなショックでした。
傷心のまま、片道1時間半の道のりをクルマで2年間通勤しましたが、1時間半もの退屈な時間をどうやって過ごすかというのも切実な問題です。
丁度その当時コリン・デービス指揮の「魔笛」が発売されクラシック好きの知人がカセットテープに録音してくれましたので「まあ、聴いてみるか」と軽い気持ちで通勤の行き帰りにカーオーディオで聴くことにしました。
ご承知のようにこの2時間半もの長大なオペラは一度聴いて簡単に良さがわかるような代物ではありません。
最初のうちは何も感銘を受けないままに、それこそ何回も何回も通勤の都度クセのようになって何気なく聴いているうち、あるメロディが頭の中にこびりついて離れないようになりました。
それは「第二幕」の終盤、タミーノ(王子)とパミーナ(王女)との和解のシーンで言葉では表現できないほどの、それは、それは美しいメロディです。この部分を聴いていると後頭部の一部がジーンと痺れるような感覚がしてきたのです。
そう、初めて音楽の麻薬に酔い痴れた瞬間でした。こういう感覚を覚えたのは魔笛が初めてです。ベートーヴェンの音楽もたしかにいいのですが、強い人間の意思力を感じる反面、ちょっと作為的なものを感じるのですが、モーツァルトの音楽は天衣無縫で俗世間を超越したところがあって生身の人間の痕跡が感じられないところがあります。
魔笛という作品はその中でも最たるものだという気がしますが、文豪ゲーテが晩年になってモーツァルトの音楽を称し「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と語ったのは実に興味深いことです。
それからは「魔笛」の道をひた走り、病が嵩じて「指揮者と演奏」が違えばもっと感動できる「魔笛」に出会えるかもしれないと、とうとう44セットもの魔笛を収集してしまいました。これも一種の病気なんでしょうね~。ちなみに、我が家のすべての魔笛を引っ張り出して撮ってみました。
左からCD盤、DVD盤、CD(ライブ)盤です。
ただし、あれからおよそ30年以上になりますが、あの「ジーン」と頭が痺れるような感覚はもう二度と蘇ってきません。おそらく感性が瑞々しい時代特有の出来事だったのでしょう。
今振り返ってみますと、37年間の宮仕えで一番つらかった失意の時期が自分の精神史上最もゆたかな豊饒の実りをもたらしてくれたなんて、まったく人生何が幸いするか分かりませんよね。
「人間万事塞翁が馬」という”ことわざ”を自分は完全に信用しています。人生って結局この繰り返しで終わっていくんでしょう~。
これから、久しぶりに魔笛を聴いてみようと思います。トスカニーニ盤、ベーム盤(1955年)、デービス盤、クリスティ盤どれにしましょうかねえ。
と、以上のような内容だった。
現在のようにオーディオに熱心なのも、「夢よもう一度」で再び「後頭部の一部が痺れるような感覚」を追い求めているからだが、たとえ今後どんなに「いい音」を手に入れたとしても、あの感性の瑞々しい時期に遭遇した「いい音楽」との出会いにはとうてい敵わないような気がしている。
当時のお粗末なカーステレオの音でそういう感覚を味わったのは実に皮肉ですねえ・・(笑)。