つい先日、NHK BSプレミアム「英雄たちの選択」という番組で「平将門」(たいらのまさかど)特集を放映していた。
「平将門」といえば周知のとおり関東地方で朝廷に対して謀反を起こし最後は討ち死にした武将である。
将門は若年の頃に同僚と一緒に朝廷に仕えたことがあり、同僚はうまく組織に馴染んだものの、将門は無骨そのものの武者だったので官僚組織に馴染めず厄介払いとなり故郷に戻されたという。
どうやらその辺のトラウマが後年の謀反につながったのではないかという解釈だった。
人間には組織にうまく馴染んで融け込めるタイプとそうでないタイプがあるようで、将門は後者のタイプだったのだろう。
これに関連して、高校時代の同窓生から電話がかかってきたときの会話を思い出した。
「マリア・カラスのCDどうもありがとう。それはそうと、いつぞやのブログに書いてたけど谷沢永一の”可愛げが一番”という話は実によくわかるんだよねえ。」
「へぇ~、どんな風に?」
「実は以前、自分が部長をしていた時に他所(よそ)の部門から異動してきた部員がいてね、適齢期なのに課長になり損ねて回されてきたんだ。」
「ほぉ~」
「元の部門の部長とは仲が良かったんだけど、”〇〇君を課長に出来なかったけど、お前のところでぜひ課長にしてやってくれよ”なんて虫のいいことを言うから、思わず”そんなことを言うくらいならなぜお前のときに強力に推さなかったんだ”と、言ってやったんだ。」
「ウン、ウン」
「すると、その時の弁がふるっていて”だって彼、可愛くないもんな~”だって。その〇〇君は学歴もいいし、真面目で仕事もそこそこできるんだけどねえ。人間には可愛げが大切だって改めて思ったよ。」
「成る程」
ちなみに、谷沢永一氏の「可愛げ云々」を参考のため再掲すると、
「才能も知恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてひっくるめたところでただ可愛げがあるという奴には敵わない。」(「人間通」新潮選書)
以上の話、組織に従属して働いた経験のある方なら体感的に納得されると思うが、どんなに「きれいごと」を言ってみても所詮、人間は感情の動物であることを物語っている。
出自が定かではなかった豊臣秀吉がとうとう登り詰めて「位人臣」を極めることができたのも、「人たらし」と呼ばれていたからで、きっと「可愛げのある」人間だったに相違ない。
さて、そこで問題は「可愛げ」ってものが先天的な資質なのか、あるいは後天的に身に付けられるものかどうかだが、谷沢氏の書きっぷりによると、どうやら先天的な資質の方に比重が置かれているようだ。
自分に置き換えてみるとまず典型的な「可愛げのない」タイプのようである。もちろん気も利かない。娘からも「お父さんはコミュニケーション能力がちょっと・・」と苦笑されている始末。
しかも将門みたいに謀反(現代でいえば起業かな)を起こす元気もなく、とうとう平々凡々たる人生に落ち着いてしまったのはまったく痛恨の極みと言わざるを得ない(笑)。
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