前回のブログで紹介したように、試聴に使った非常に魅力的なCDジャケット。
オーディオ仲間が持参してくれたCDだが、ジャズ評論家「寺島靖国」さんが編纂したもので、「Vol.11」とあるので過去10枚のCDがあるはず。
持ち主に伺ってみると1年に1枚のペースで発売されており、すべて持っているとのことで、「寺島さんはジャケットのデザインに一家言あるようですよ。とびっきりの美人が毎回登場するので見ていて楽しくなります。」
「それは非常に興味ありますね。ぜひ残りの10枚も貸してくれませんか。」
というわけで、とても親切な仲間が翌日すべて持ってきてくれた。
見ているだけでも飽きないですねえ。大いに目の保養になりますが、1枚当たり3000円もすると聞いて「高ッ!」。
しかし、見た目といい、紙質、印刷などの手触りといい特上なので収録されている音楽も素晴らしそうに思えるのが不思議。
と、「お前は見かけだけで判断するのか、軽薄だ。」との謗りを免れないが(笑)、ふと、最近読んだ本の一節を思い出した。
「私がウィスキーに興味を持ったのは26歳を過ぎたころ。ホテルツアーをしているときに読んでいた村上春樹さんの「IQ84」の中に、カティサークというウィスキーが出てきた時だ。
本の中で綺麗な形に頭が禿げた男が、バーでウィスキーを注文するシーンがある。男は、ふと思いついたようにカティサークはあるだろうかと尋ね、それをハイボールで飲んでいた。
するとカウンターの二つ離れた席に座っている青豆という女性から「カティサークがお好きなの?」と聞かれるのだった。
男はびっくりしながら、こう答える。「昔からラベルが気に入っていて、よく飲みました。帆船の絵が描いてあるから」
「船が好きなのね」「そうです。帆船が好きなんです」
私はこの一連のやり取りが好きだった。飲んでいるウィスキーを好きな理由として味や香りの知識をひけらかす訳でも、ロマンを語るわけでもなく、ただ帆船の絵が描いてあるから、と。
本を閉じて、眼を閉じて、想像した。帆船ってどんな奴だったかな。」
とまあ、何が言いたいかといえばウィスキーのラベルと同じでCDジャケットも音楽を聴くときの魅力の一つということに尽きるわけです(笑)。
それにしても、このエッセイ集は作者の赤裸々な心情が余すところなく吐露されていてたいへん面白く読ませてもらいました。読む時間が惜しいとは思わせない見事な作品です。
それはさておき、このCD群は本格的なジャズサウンドとしてもってこいだったが、日頃から秘めやかな音量で”しんねりむっつり”とクラシックを聴いている我が家ではまさにカルチャーショックだった。
大音量によるベースの唸り音やシンバルのチャリ~ンを聴いていると、パワーアンプの欠点がもろに出てきてしまったのである(笑)。
これには参りました!
低音域は十分だけれど高音域の伸びがイマイチとか、その逆があったりでいずれのアンプとも「帯に短し、たすきに長し」の感あり。
知人のジャズ愛好家から「ジャズの再生は何でもありだけど、クラシックのハーモニーの再生となるそうはいかないので難しい。」という趣旨の言葉があったが、自分に言わせると「瞬間的なパルシブの音の再生はアンプの欠陥がもろに出てきます。ジャズ再生の方が断然難しいです。」となる。
ちなみに「パルシブな音」とは、「受け売り」になって申し訳ないが次のとおり。
「 入力パルスに対して忠実に波形(ピーク)がはっきり、くっきりした感じで、素早い反応で(パワー・スピードのある)リアルな感じの音を評するのに使われる。
例えば、エレキベースのビンッ!という音とか、ドラムスのはっきりとしたアタック音とか、何かの衝撃音とかの聞こえ方をオーディオ的に表現、評価のために使われている言葉です」。
これは、まさにクラシック再生とジャズ再生の相剋といっていいですね。
いずれにしても、これらのCD群はたいへん「罪作りなCD」と言わざるを得ないが、今後の糧にも大いになりそうだ。
ひとつ前向き思考のもとで「オーディオの神よ、我に艱難辛苦を与えたまえ」といきたいところです(笑)。
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