今年の「大学入試センター試験」(1月 15日~16日)では、周知のとおり「目を瞠(みは)る」ようなことが起こった。
まずは高校2年生の男の子が「東大理三」(医学部)に固執し、成績が伸び悩んで自棄(やけ)を起こして受験会場で(受験生に)切りかかったり、さらには都内の大学に憧れるあまり、試験会場で問題を携帯で写して外部に流出させた19歳の女性など。
何だか哀れのような気もするが、いずれも「身の程」をきちんとわきまえておれば起きない事件だ。
「身の程」=広辞苑「自分の身分、地位、能力などの程度。分際。また、身分相応」
自分なんぞは物心がついたときから「身の程」を知り過ぎて「高嶺の花」との落差を嫌というほど味わってきたつもり(笑)。
さて、進路の選択に関連して今どきの受験生って「理系」「文系」の志望をどうやって決めているんだろう。
おそらく「数学、物理」が得意な子は理系へ、「国語、英語」が好きな子は文系へというのが大方のところだろう。それで大きな間違いはないんだろうが。
ここで、話がちょっと飛躍するが皆様は「理系人間は音楽好きが多い」ことを意識されたことがありますか。
というのも、ここ2年ほどのコロナ禍で我が家への訪問を遠慮している高校時代の仲間3名(福岡在住)について述べてみよう。
在学中はそれほど親しい仲でもなかったが、このブログを通じてお互いに音楽好きだと分かりお付き合いが始まった。
ところが、よく考えてみると3名とも理系出身である。高校卒業後の進路は建築科、機械科、電気科と見事に色分けされるし、自分だって理系の“端くれ”なのでいわば4人すべてが理系を専攻している。
”たまたま”かもしれないが、「4人そろって」となると確率的にみてどう考えても意味がありそうである。
全員がオーディオというよりも音楽の方を優先しているタイプで音楽を聴くときに、より興趣を深めるために仕方なくオーディオに手を染めているというのが実状である。
つまり「音楽好きは理系人間に多い」。これは、なかなか興味深い事象である。
蒸し返すようだが、ほとんどの人が高校時代に大学受験のため「文系と理系のどちらに進むか」の選択を迫られるが、これはその後の人生をかなり大きく左右する要素の一つとなっている。
そのことは、一定の年齢に達した人たちのそれぞれが己の胸に問いかけてみるとお分かりだろう。
「自分がはたして理系、文系のどちらに向いているか」なんて、多感な青春時代の一時期に最終判断を求めるのは何だか酷のような気もするが、それぞれのその後の人生で自ずと答えが出されていくのだろう。
さて、ここからいよいよ本論に入るとして、なぜ、音楽好きは理系人間に多いのだろうか。
その理由について実に示唆に富んだ興味深い本がある。
「音楽と数学の交差」(桜井進、坂口博樹共著)
音楽と数学の専門家によって書かれた本書の目次の一部を紹介してみよう。
1章 響き合う音楽と数学
1 音を数えることから音楽は始まった
2 数とは何か
3 宇宙の調和 根本原理を求めて
4 音律と数列
5 数学の中の音楽 素数の神秘
6 音楽と数学の中の「無限」
といった調子だが、序文「はじめに」の中で音楽と数学の関わり合いについてこう述べられている。
「私たちは、数の世界の背後には深い抽象性があることを、ほとんど無意識で感じています。音楽によって与えられる快感は、ときにはこの抽象世界の中を感覚的に漂う心地よさで高まり、それは広がっていく心の小宇宙に浮遊し、魂が解放されるような感動まで到達することがあります。~中略~。音楽は数の比によって成り立っており、それを考える数学の一分野です。」(抜粋)
抽象的だけどなかなか含蓄のある内容だと思うが、要するに音楽は数の比によって成り立っており「数学の一分野」というわけ。
音楽を聴くときに「数の比」とか「数学」を意識する人はまずいないと思うが、無意識のうちに脳の中にその抽象性が浸透している可能性が大いにありますね。
で、このことが「音楽好きは理系人間に多い」の一つの根拠だと思うのだがどうなんだろう。
皆様はいかがお考えですか。
「音楽=クラシック」を問わず、文系で「音楽好き」の方の反論を大いに歓迎します(笑)。
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