「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

秋深き 隣は何を する人ぞ

2023年11月20日 | 独り言

秋が来たと思ったら一気に冬になった感じ、これでは幽玄な秋の情緒をゆっくり楽しむひまがない・・、これは淋しいことに違いない。

昔の人は「秋の夕暮れ」をよく愛でたものだった。

「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ」(西行法師)

珍しく公園に出かけてウォーキング後の帰り、秋の夕暮れに包まれてフラリと入った書店で購入したが次の本だった。


       

この「マイ オーディオライフ~32人のわたしのリスニングルーム~」は、全国津々浦々のオーディオ愛好家のシステムを紹介したものだった。

その昔、オーディオ専門誌を血沸き肉躍らせながら読んだものだが、今ではこういう類の雑誌にあまり興味を持つことはなくなった。

「もう騙されないぞ!」・・(笑)、しかし、商売っ気とは無縁の素朴なオーディオ愛好家たちの32例のシステムの現状から何か得るものがあるかもしれないとの思いがあったのも事実。

時節柄「秋深き 隣は何を する人ぞ」(芭蕉)という心境に近いかな(笑)。


現代のオーディオ愛好家たちははたしてどういうシステムで鳴らしているのか、知っておくこともけっして無益なことではなかろう。

「井の中の蛙世間を知らず」という言葉もある。


読了した結果、特筆すべきことが2点あった。

☆ 古い英国系のSPユニットを愛好している方は皆無だった

我が家のオーディオの生命線はグッドマンやワーフェデール製(イギリス)のユニットで、「AXIOM80」、「スーパー12」、「スーパー10」、「スーパー3」に尽きるが、これらを使っている方がまったく居なかったのには少なからず驚いた。

そもそも、ユニットとエンクロージャーを別個に揃えるという発想がまったくないのだ。すべて箱と一体化したスピーカーを購入して使うばかりで、これでは死活問題となる「カットオフ周波数の妙味」、さらには「背圧の処理方法」や「位相の管理」、「吸音材の差」などオーディオの楽しみもへちまもなかろう(笑)。

周知のようにグッドマンはユニットだけ作って、タンノイみたいにエンクロージャーを作らなかった。おそらくエンクロージャーの重要性は認識していたと思うので、あえて作らなかったというべきだろう。

憶測だが、その理由の一つにはユニットの能力を発揮する可能性を少しでも広げておくためにエンクロージャーの構造や大きさを所有者の裁量に任せたかったのではあるまいか。何しろユニットはエンクロージャーの工夫次第で生きもすれば死にもするのだから。

ちなみに、エンクロージャーの響きを重視したのが「ブリティッシュ サウンド」であり、JBLなどのようにユニットの直接的な響きを重視したのが「アメリカン サウンド」だと個人的には思っている。

いずれにしても巷ではグッドマンやワーフェデールの愛好家がほとんど皆無ということがよく分かった。

☆ 1930年代の古典管使用者は皆無だった

我が家には真空管アンプが9台、スピーカーが6系統あり、オーディオ仲間もすべて真空管アンプ愛好家ばかりなので、それが当たり前だと思っていたら大間違いだった。

「類は友を呼ぶ」(似た者同士は自然と寄り集まる)だったのだ(笑)。

というのも、32例の大部分が1系統のスピーカーを1台のアンプで鳴らす「本妻オンリー派」で、「よく我慢できるなあ!」と感心したが、そのうち真空管アンプ愛好家となるとこれら32例中10例でおよそ3割程度だった。

微妙な割合だが少数派であることは間違いない・・、そして1930年代の真空管を愛用している方となると皆無だった!


質、量ともに真空管の全盛時代といえば1930年代前後というのが通説だが、この時代の真空管の良さを知っていて使わないのか、それとも知らないので使わないのか、おそらく後者になるのだろう。そもそも接する機会がないのだから仕方ないが実に勿体ないこと!

しかし、90年前の球となると何かとトラブルがあるのも事実でけっして万人向けではない。好きな音を味わうためには「ハイリスク・ハイリターン」は付き物かもしれない。

いずれにしても我が家のシステムは「時代遅れ」というのがよくわかったが、せめてもと理屈的にはシステムのうち増幅系(アンプ)と変換系(スピーカー)の製造年代の時代背景を統一することだけは心がけている。

ちょんまげ姿の時代劇に背広姿が登場するのは滑稽だが、それと同じで真空管アンプ時代に作られたスピーカーを使うのにTRアンプはちょっと「そぐわない」気がする。


なお、32例の中には超豪華なシステムも散見されたが、若い頃とは違って「うらやましい」とか「同じシステムが欲しい」とかはいっさい思わなかった。

システムが大掛かりになればなるほど各機器の能力をフルに発揮させるのが難しくなるので、つい「さぞや苦労されていることだろう」→「投資額と音質が逆比例していることだろう」と同情と憐憫(れんびん)の方が先に立ってしまう。

しかし、これは「成長」の証しなのか、それとも意欲が無くなって単に「老いぼれた」だけのか、はたしてどっちかな~(笑)。

最後に・・、この32例のようなタイプの方々がおそらくこのブログの読者の大半を占めていることだろう。

道理で、こういう「時代遅れ」の「オーディオ記事」の人気が無いはずだよね~、と納得。

「この道や  行く人なしに  秋の暮」(芭蕉)



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