「読書のプロが薦める本でも実際に読んでみると 当たり の確率はかなり低い、ましてや「音楽&オーディオ」において「好みの音楽」や「好みの音質」が一致することは極めて珍しい」と、経験上から常々思っています。
つまり、本人の感性が大部分を占めるこの分野において同類を求めるのは無理な相談でしょう。
ところが・・、先日次のようなメールが届いたんですよねえ。
匿名ということで無断転載お許しくださいね。あえて「原文」のままにさせてもらいます。
「ブログは欠かさず拝見させていただいております。
さて、つい先日のブログにモーツァルトのピアノソナタについて記述されていましたが私もまったく同じ思いを持っていたのでメールいたします。
”オペラは別として交響曲やピアノ協奏曲は何度も聴くとやや飽きがくるが、このピアノソナタに限っては、何かこんこんと尽きせぬ泉のように楽想が湧いてくる趣があり、モーツァルトの音楽の魅力が凝縮された独自の世界がある”
まったく我が意を得たりです。私もピアノソナタが大好きで時間がなくて何かモーツァルトを聴きたいなと思ったときはピアノソナタを取り出してしまいます。全17曲、それぞれに魅力があって満遍なく聴いています。
全集としてはアラウ、グールド、バレンボイム、内田光子、ワルター・クリーン(LP)、ラローチャ、クラウス(新旧2種)、グルダ、ヘブラー(DENON)が手元にありますが、学生の頃(1971年)の最初に買った同曲の全集、吉田秀和さんの40数ページにわたる詳細な別冊解説が付いたワルター・クリーンのLPを、その解説書を読みながら聴き返しているところです。
なお、ほかにもモーツァルトではやはりオペラ(特にドンジョバンニと魔笛)、セレナードやディベルトメント等の音楽を好んで聴いてます。」
と、以上の通りでした。
やはり世間は広いですね!
自分と同等、あるいはおそらくそれ以上の「モーツァルト愛好家」がいらっしゃるなんて、うれしいやら、ガッカリするやら、複雑な心境になります~。
なぜなら、いつもモーツァルトの「天上の音楽」をこっそり独り占めにしておきたいと思っているからです(笑)。
「ピアノソナタ」は言うに及ばず、「ディヴェルトメントのK136」「セレナードのK250、ハフナー」、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K364」、そしてオペラのジャンルにおいて「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」は甲乙つけ難しで、これほどまでに「好み」が似通っている方は初めてです。
そもそも、ひとくちに「クラシック」といっても裾野が広いですが、モーツァルトは他の作曲家たちとは作風や曲風からしてまったくの別物で「クラシック」の同じ枠内に留めておくのは「適当じゃない・・」と秘かに思っています。歳をとればとるほどそういう思いが強くなります。
ここで思い切ったことを書きます。バッハの音楽はやや線香臭い、言い換えると宗教色が強すぎるし、ベートーヴェンの音楽はちょっと押しつけがましいところがあるし、他の作曲家たちは所詮「群小音楽」に過ぎません。
そういうわけで「モーツァルト」という独立したジャンルがあってもちっとも不思議ではない・・、そして、あとは「十把ひとからげ」で「クラシック」の範疇に放り込んでおけばそれでいい。
いわば「モーツァルト独立国家論」ですね、音楽ジャンルの革命です(笑)。
こんな突拍子もないことを提唱するのは「古今東西」にわたってブログ主ぐらいのもんでしょう。
共感を寄せられたり、あるいは異論がある方のメールを歓迎します。
で、それほどの存在感があるモーツァルトなのに、どんな曲を聴いてもあまり親しめない、さらには「食わず嫌い」の方がいるとしたら実にもったいない話だと思います~。
「どんな曲でも 20回ほど聴けば口(くち)ずさむほどになる 」というのが通説ですが、ひとつ騙されたつもりで「ピアノソナタ」をカーステレオでもラジカセでも構わないので何回も聴いてみてはいかがでしょうか。
CDを買わずとも現代では何とも便利な「You Tube」がありまっせえ(笑)。
それで、もし好きになれたとしたら、あなたはお金には代えられない「人生の財産」を手に入れたことになります!
そして、そういう「心の豊かさ」に、もしこのブログが貢献できたとしたら、このブログの存在価値も少しは出てこようというものです(笑)。