「頭が良くなるオペラ」(著者:樋口裕一)
副題として「品位を高める、知性を磨く」とあるが、まず冒頭に「オペラを聴くとなぜ頭が良くなるのか」とある。その理由とはこうである。
「室内楽であれ、オーケストラであれ、オペラであれ、クラシック音楽を聴くと頭が良くなる。それが私の持論だ。
クラシックには微妙な音が用いられる。それにじっと耳を傾けることによって、物事をしっかりと落ち着いて思考する態度が身に付く。
変奏形式などに基づいて論理的に構成されていることが多い。それゆえクラシックを聴いているうちに自然と論理的な思考が身についてくる。
だが、オペラとなるとその比ではない。オペラは総合芸術だ。そこに用いられるのは音楽だけではない。ストーリーがあり、舞台があり、歌手たちが歌い、演出がある。
それだけ情報も増え、頭を使う状況も増えてくる。必然的に、いっそう頭の訓練になる。言い換えれば頭が良くなる。」
とまあ、以上のとおりだが、自分の場合は別に頭を良くしようとクラシック音楽を聴いているわけではなく聴いていて単に心地いいだけの話だが、目下の関心事のひとつは「ボケないこと」にあるので、一石二鳥になればそれに越したことはない。
興味を惹かれて通読してみた。
本書では具体的に16の有名なオペラが挙げられており、“頭を良くする”ための聴きどころが懇切丁寧に解説されている。
我らがモーツァルトの三大オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」ももちろん入っている。
この三つのうち、もし一つでも欠けていたら著者のオペラに対する見識を疑うところだったので好感度は100点!(笑)
この中では、最晩年の作品「魔笛」が音楽的には「一頭地を抜いている」と思うが、前述の「頭が良くなる」という見地からはおそらく「ドン・ジョバンニ」に指を屈するのではあるまいか。
いったい、なぜ? その理由を述べてみよう。
このオペラはモーツァルトの「天馬空をかける」ような爽やかな音楽には珍しいほどの人間臭さがプンプン臭ってくる男女の愛憎劇である。
まず、簡単なあらすじを述べると、女性と見れば若い女からお婆ちゃんまで次から次に手を出す好色な貴族の「ドン・ジョバンニ」が、神を信じず人を殺した報いを受けて最後は地獄に堕ちていくというもので、第一幕の冒頭の出来事にこのオペラの大切なポイントがある。
ドン・ジョバンニが貴族の女性「ドンナ・アンナ」をモノにしようと館に忍び込むものの父親の騎士長に見つかり、争いになって騎士長を刺し殺してしまう。
父を殺されたドンア・アンナは恋人ドン・オッターヴィオとともに犯人を捜し、復讐しようと誓うシーン。
五味康祐さんの著作「西方の音」にも、このオペラが登場し詳しく解説されているが、この館の夜の出来事においてドン・ジョバンニが父親を殺す前にドンナ・アンナの貞操を奪ったのかどうか、これがのちのドラマの展開に決定的な差をもたらすとある。
言葉にすることがちょっと憚られる「暗黙知」がこのオペラの深層底流となっているわけだが、こういうことは鑑賞する上でどんなオペラの解説書にも書かれていないし、もちろんこの本もそうだが、このことを念頭におきながらこのオペラを聴くととても興趣が尽きない。
ちなみに、「西方の音」では二人に関係があったことは明白で「さればこそ、いっさいの謎は解ける」と具体的にその理由が挙げられている。
「貞操を奪われたのではないか?」と薄々気づいて疑心暗鬼になる(ドンナ・アンナ)の恋人ドン・オッターヴィオ、素知らぬ風を装うドンナ・アンナ、そして臆面もなく他の若い娘にも触手を伸ばす好色漢ドン・ジョバンニとの三角関係、その辺の何とも言えない微妙な雰囲気をモーツァルトの音楽が問わず語らずのうちに実に巧妙に演出しているのがとても憎い!(笑)
ロマンチストだったベートーヴェンと違って、モーツァルトは人間の微妙な機微に通じた人間だったことがいやがうえにも窺い知れるのだ。
ただし、この辺の雰囲気の醸成は指揮者の力量にも負うところが多いようで、やっぱりフルトヴェングラーの指揮にとどめを刺す。
いずれにしても「ドン・ジョバンニ」をこういう風に鑑賞すると頭の血の巡りが良くなる可能性あり!(笑)
我が家の手持ちは前述のフルトヴェングラー、以下クリップス、バレンボイム、ムーティなど。
ただし、「You Tube」で「ドン・ジョバンニ」を検索すると、名演がずらっと勢ぞろいするのでいくらCDを持っていても無駄だね、これは・・(笑)。
しかも「フルトヴェングラー」の1954年版が、いの一番に出てくるのだから、もうたまらん・・。
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