前回のブログ「オーディオ情報は8割疑え」は今年いちばんのヒット(アクセス数)となりました。
「エンターテイメント」としての「虚実の割り切り方」がどうやら大いに共感を呼んだようですね・・。
ブログ主にしても個人的な「思惑 → 誘導」に色濃く彩られた日頃のオーディオ記事の「禊(みそぎ)」が済んだような気がして、何だかホッとしてちょっと気が楽になりました~、所詮は錯覚なんでしょうけどねえ(笑)。
で、音楽記事の方はどうなんだろう?
やっぱり「似たり寄ったり」かな・・(笑)。
というわけで、実験台として「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」について、ひとくさり~。
昨日(18日)の午前、「サツマイモ」(昼食用)の買い物ついでにオーディオ関係の本でも立ち読みしてみようかと本屋さんに立ち寄ったところ、さりげなく店内に流れていたBGMがモーツァルトのピアノソナタだった。
「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまった。
このところご無沙汰気味だったピアノソナタ(全20曲)だが、脚本家「石堂叔郎」氏は次のように述べている。
「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。モーツァルトのピアノソナタは湧き出る欲求の赴くままに、何らの報酬の当てもなく作られた故か不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」
モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度ハマってしまうと病み付きになる音楽でもある(笑)。
急いで自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出した。
感受性が豊かだった30~40代の頃はたびたび感涙に咽んだものだが、この年齢になるとスレッカラシになってしまい涙の一滴も出てこないが、それでもやはり相性がいいのだろうか、相変わらず琴線に強く触れるものがある。
当時一番耽溺したグールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフと聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくる・・、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと押しつけがましい気がしてくるのも事実。
その一方、ピリスはまことに中庸を得ていて、気取ったところが無く何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。年齢に応じて好みの演奏家も変わるのだろうか・・。
「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットー(テレビで言ってた!)だが、この演奏も等身大そのままの音楽を聴かせてくれる。
このソナタを久しぶりに堪能させてもらったおかげで、このところオーディオに傾いていたマインドが振り子のように音楽に戻っていったのはメデタシ、メデタシ。これが「音楽とオーディオ」の本来のあるべき姿なんだから(笑)~。
そして、「音楽の押しつけがましさ」で連想したのが以前読んだ「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)の中の一節。
「61頁」に著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。
「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。
だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。
沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。
毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」
以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章で、自分のような素人がとても及ぶところではないですね~(苦笑)。
サティの押しつけがましさのない音楽の素敵さが充分に伝わってくるが、実は、文中にある「音と音の間に横たわる沈黙」については思い当たる節がある。
以前、クラシック音楽の大先達だった五味康祐さんが生涯に亘って愛好された曲目をベスト10として掲げてあるのをネットで拝見したが、第1位の「魔笛」に続いて第2位にランクされていたのがオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)。
五味さんほどの方が愛好される音楽だからさっそく聴いてみようと指揮者の違うCDを2セット(ハイティンク盤とアンセルメ盤)購入して聴いたところ、これがサッパリだった(笑)。
気の遠くなるような長い静寂の中を登場人物がぼそぼそと囁くようにつぶやく、まことに冴えないオペラで、メロディらしいものもなく盛り上がりにももちろん欠ける。五味さんほどの方がこんな曲の何処が気に入ったんだろうと正直言ってガッカリした。
しかし、今となってみるとこれはサティの音楽とそっくりで、五味さんはもしかすると「音と音の間の沈黙」を聴かれていたのかもしれないと思えてきた・・、いや、きっとそうに違いない。
この沈黙を聴きとるためには、聴く側にも心の準備として自己の内面と静かに向き合う「静謐感」が必要であることは、クラシック音楽ファンならきっと思い当たるに違いない。
で、「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」なんてことを偉そうに書くと、すぐに馬脚が現れそうなのでこの辺でお終いにしておくのが無難かなあ~(笑)。