年末も押し迫ると、忘年会などで酒を飲む機会が多くなる。
で、酒のうえの過ちは大なり小なり誰しも覚えがあると思うが、中には取り返しのつかないものもあるようでして・・。
たとえば、ずっと以前の話だがNHKのアナウンサーの「M」さんが、友人と飲酒後に満員電車の中で女性のオッパイを11分間にわたって触り続けていたというニュースにはほんとうに驚いた。あの謹厳実直そうな人がねえ・・。
本人は当時の状況をまったく覚えていないそうで、真相はやぶの中だろうが、周囲に証人もいることだし限りなくクロに近いだろうと推測される。
長いこと社会生活をやってるといろいろあるものだが、痴漢行為となると話は別で、けっして許されることではないものの、つい「お気の毒~」と思ってしまった。
もちろん、被害者の心理を逆なでするつもりは毛頭ないが、およそ酩酊した状態で身辺に強烈な(?)誘惑が存在すれば ”魔がさす” ということはままありそうなことで、それが人間であることの証明みたいな気もするところ。
おそらく、よほど魅力的なオッパイだったのだろう(笑)。
この事例は、つい日頃の「理性」がおろそかになって「本能」に負けたという事例だが、その間に酒が介入しているだけまだ救われる面がある。
一方では、酒などのいっさいの媒体なしに(強いて言えば「雨」かな)人間の「理性」があっさり「本能」に負けてしまうという罪深い小説がある。
それはサマセット・モームの短編小説「雨」である。
20代前半のまだ初心(うぶ)な頃に一読して、衝撃のあまりしばし物事が手につかなかった記憶がある。
いくらフィクションの世界とはいえ、この作品は短編小説の分野では古今東西、ベストテン級の名作とされているので、人間の本質について深く考えさせる何かがあるのだろう。
既に読まれた方も多いと思うがネットで探してみたところ、どなたかのブログに適切な”あらすじ”が記載されていたので勝手ながら引用させていただいた。
舞台は南洋のサモア諸島である。熱烈な信仰者デイヴィドソン牧師は妻と共に任地へ向かう途中、伝染病検疫のため島に停留することになる。
医者のマクフェイル夫妻、そして見るからに自堕落な娼婦、ミス・トムソンも一緒だった。島は折から雨期、太鼓でも鳴らすように激しく屋根にたたきつけ、滝のように視界を奪うスコールが連日続いていた。
デイヴィドソンはミス・トムソンが我慢ならなかった。彼女は夜にもお構いなく音楽をがんがん鳴らし、ここでもお客を取る始末。デイヴィドソン夫妻には敵意に満ちたまなざしを投げかける。デイヴィドソンは彼女を「教化」しようと熱意を燃やす。
しかし、あの手この手も通じずデイヴィドソンはついに彼女を強制送還させる措置をとる。
ふてぶてしいトムソンもこれはショックだった。送還されたら監獄が待っているだろう。手のひらを返したようにデイヴィドソンにすり寄ってくる。これ幸いにデイヴィドソンも懸命に彼女の「教化」につとめる。
そして明日は送還されるという夜、デイヴィドソンは彼女の部屋で夜遅くまで彼女と話し合う。そして…。
彼女の部屋を出たデイヴィドソン牧師は夜のうちに浜辺で”喉”を切り自殺する。衝撃のドクター・マクフェイルがトムソンの部屋に入る。変わらず音楽を鳴らしている彼女にマクフェイルは激怒する。
しかし、マクフェイルに、あざけりと激しい憎悪を込め彼女は言った。
「男、男がなんだ!豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の狢(むじな)、男はみんな、豚!豚!」。
マクフェイルは思った。「いっさいがはっきりした」。
ミステリー風の終わり方だが、牧師が娼婦への肉欲に負けてしまい悔恨のあまり自殺したことはあきらかである。
小説の中では、この結末に至るまでに実に巧妙な伏線が張られていて、牧師が娼婦の教化に邁進している最中、就寝中にネブラスカの山々の夢をよく見る話が出てきて、医者にとってもその山並みには覚えがあり、「その形を見てなんとなく女性の乳房を連想した」ことを思い出す”くだり”が鮮明に記憶に残っている。
結局、神に仕える牧師でさえも本能の前には理性があえなく砕け散ってしまうという人間の弱さ、罪深さを描いた小説だが、いかにも人間を皮肉な視点でとらえがちなモームらしい作品である。
さて、昨日は朝から強い風を伴った寒波だし外に出かけるのも億劫なので、久しぶりにモームの「雨」でも再読してみるかと倉庫に入って探してみたらすぐに見つかった。
Mさんの件からつい話が発展してしまったが、人間の脆さがたまたま起こした過ちにどういう償いが価するのか、ちょっと考えさせられた。
それにしても、これから年末が押し迫ってお酒を飲む機会が増えてくるが深酒したときはくれぐれもご用心・・、私たちの年輩の方々にはどうか晩節を汚されることがないように!
もちろん、 ”要らん世話” だけどね~(笑)。
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