流石に冬も真っ盛りになるとメチャ寒くなってきますね。早朝のオーディオルームで、ブログを震え上がって書いてます(笑)。
さて、毎日大好きな「音楽&オーディオ」を楽しみ、読書三昧の日々でまったく不満はなく、「人生終わり良ければすべて良し」と単純にいきたいものだが、何の脈絡もなくふと過去の失敗が蘇って身を苛むことが時々あります。
家内や娘にこんな話をすると「お父さんは真面目すぎるのよ~、私なんか嫌なことはすぐに忘れてしまうわ!」と、異口同音に能天気な返事が返ってくる。
男性と女性では違うんだろうか~(笑)。
いずれにしても、不愉快な過去をすっかり「忘れきる能力」も必要みたいですね。
あるテレビ番組で「晩年は人生の総決算」で、マラソンを人生にたとえるとヤマ場は後半にあってラストで勝負が決まると言っていたが、その重要な人生後半の指針を36名の著名人が記載している本がある。
それぞれに読み応えがあったが、作家などの自由業が多いためか「人生後半は楽しく遊んだ人の勝ち」みたいな論調が多かった。
たとえば、浅田次郎(作家)さん
「定年まであと何年」と考えるから苦しくなる。「100歳まで生きる」と思い込めば、人生が楽しくなるんです。」
次に、大前研一(経営コンサルタント)さん
「50歳になったら成仏して、好きなことだけをやる生き方に目標を変える。」
といった具合。
たしかに共感を覚える部分もあるが、後半期になっても人それぞれの環境が違うので、こういう自由人たちの意見を紹介しても意味がなさそう。もっと精神的に指針となる生き方を問いたいものだ。
そして、36人の中で一番印象に残ったのが「鎌田 實」(医師)さんだった。
「どん底の人生でも、投げ出さない人が幸せになれる」と題した小文。ややシリアスな内容だが自らの体験を率直に綴っただけにズシリと心に響いてくるものがある。
~以下引用~。
『人間の中には”獣”がいるって僕はそう思っているんです。実際、僕は18歳のときにオヤジの首に手をかけているんです。
親父はタクシーの運転手をしていて、心臓病を患った女房を抱えて少しでもいい治療を受けさせたい、医療費を稼ごうと苦労して毎日15時間くらい働いていた。家も貧しかった。
高3の春に親父に「大学にいかせてくれ」と言ったら「うちは大学なんかにいかなくていい、いく必要はない」とつっぱねられた。泣きながら何度言っても、ただ「ダメだ」とだけ。理由すら説明してくれない。反対されるなんて考えてもいなかったからたいへんなショック。
だけど夏休みになっても、どうしても進学をあきらめきれなくて・・・。自分の人生だから投げ出すわけにはいかない。もう1回泣きながら、親父と対決するんです。「どうしても大学にいきたいんだ」と言いながら首に手をかけた。でも、締めあげなかった。首をゆすりながら、泣き叫んだんです。
そしたら、親父も泣き出してふたりで床にへたりこんだ。そのあとで親父に言われたんです。「好きなようにしろ。だが、何もしてやれないぞ」「うちみたいな貧乏人、弱い人のための医者になれ」と。
先年、関西で16歳の子が父親の首を斧で切断した事件がありましたがほんのわずかな差なんです、18歳の僕とその16歳の子と・・・。僕にはいまも18歳のときに現われたその獣が潜んでいるんですから。
獣は16歳の子だけじゃなくて、誰にも潜んでいると思うんです。人間の中の獣を暴れさせないために、感動するような音楽や小説、素晴らしい絵があり、いい家族が必要なのではないか。
その獣を暴れさせないための仕組みがもともと日本には豊かにあったのに、地域社会が壊れたし、成果主義を前面に押し出してからますます社会がギスギスしてそのうえ家族までもがうまくいかなくなった・・・。
世の中の獣が暴れださない仕組みがものすごく弱まっていると思うんです。』
~以下略~。
※ 鎌田さんが両親の実子でなかったことをはじめて知るのは35歳のときだった。
「獣が暴れ出さない仕組み」・・、鎌田さんが仰るように芸術、文化、スポーツなどに興味を持たせる息の長い環境づくりが必要だし、けっして無駄な投資ではないと思いますけどね。
ほかにも、根本的な施策として「格差の是正」も必要な気がしますね。恵まれた人と恵まれない人の格差、端的に言えばお金持ちと貧乏人との差が益々広がっているとは思いませんか。
年末に「買い出し」に出かけた家人と娘が言うことには、昨年と比べて今年はお客さんの賑わいが大幅に減っていたという。
その一方、都会では人が氾濫して景気がめちゃいい様子なので「都会と地方の格差」も開くばかりのような気がしている。
総理の石破さんが、この正月に都会と地方の格差を埋めるために、「令和の列島改造」論を提唱していたが、着眼点がよろし、大賛成で~す(笑)。
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