日のあたる時には登場
2015年7月9日
2020年の東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の建設問題は、迷走どころか暴走を続け、財源手当てのメドがつかないまま、総工費2520億円の計画が承認されました。いったい誰の責任でしょうか。安倍首相に最終的な責任があると思います。残念なことに、この問題で責任ある発言はまだ聞いていません。
「費用は膨大、完成後の維持、運営費は巨額の赤字、破綻は明らか」と、建築の専門家はいいます。安全保障法制では真っ向から対立している新聞各社の社説は、この問題に限っては、論調が全く同じです。「不信がぬぐえないままの見切り発車」(朝日)、「あまりに愚かで、無責任な判断」(読売)などです。追加工事を入れると、最終的には3000億円になり、完成後の維持・運営の収支は、年間10億から20億円の赤字という予想もあります。「あっと驚く斬新なデザイン」は経済性をすっかり忘れた作品です。
主要紙はどこも反対
全国紙の社説がそろって反対したら、その案件の実現は難しく、政権は軌道修正すると以前は、よく言われました。新聞の影響力、信頼度が落ちているのでしょうか、官邸も五輪関係者も無視です。世論調査でも反対意見が圧倒的で、「81%が見直しを」(読売)です。怖いものがないのか、新聞も世論も気にしない政権です。
正直でいいというか、語るに落ちるのは、関係者の責任回避の発言です。直接の担当者にあたる日本スポーツ振興センターの河野理事長は「あの形で作ることをやめる、やめないは文部科学省が決めた」といいます。言われた下村文部科学相は「責任者がはっきり分らないまま来てしまった」と、とぼけています。
「責任者が分らない」とは迷言
担当大臣が「責任者がはっきり分らない」と言ったことの意味ははっきりしています。「本当は自分より上位の安倍首相に責任がある」のと、同義語であるとしか考えられません。首相が自分で自分の責任に言及しないので、忠実な下僚である文科相がそうと名指しができないということでしょうか。普段は政権寄りの産経新聞の社説も「首相の出番だ」と、批判的に書きました。朝日新聞は「安倍首相の政治判断しかない」と主張しました。裏の事情を知ったうえでの指摘だろうと思います。
安倍首相は東京五輪招致で陣頭指揮をとり、成功すると、日のあたる晴れの舞台で胸を張りました。新競技場建設のほうは、無謀な計画だとの批判が高まりだしました。何事も強気、強気で通す首相も、まともな人だったならば、「これはまずい」と、どこかの段階で思ったことでしょう。あるいは、「修正するにはもう時間が足りない」と考えたのかどうか。下手に自分が表に出て、調整に失敗でもすると、政権運営に影響してくるとの計算かもしれません。五輪開催が遅れるような事態になったら、重大な政治責任に発展しかねませんからね。
例の調子で「なんとかなるさ」か
首相は、五輪組織委員会の会長に派閥の先輩である森元首相引っ張りだし、その森氏は始めからこの案に乗り気だったのでしょう。「これで行こう。何とかなるさ」と、例の調子で気楽に考えたのでしょうか。石原・元都知事との間で「都が協力する」ことになっていたと、口を滑らし、その中身は「雑談程度。約束の文書も、契約書もない程度の話」であることが分ったりで、、頼りない限りです。
建築家で文化勲章受章者の安藤忠雄氏は、デザインの審査委員長を務め、この案を強く推し、最優秀に選んだのに、有識者会議の最終決定の日は欠席しました。「まずかったな」と思ったのか、ですかね。よく分りません。
新競技場は10月に着工、19年5月の完成予定だそうです。4年先の完成を前に、この国のあきれたいい加減さだけは、はっきり見せてくれました。
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