別名パリ条約の地で「戦争」再び
2015年11月23日
もうだれも不戦条約のことを言わなくなりました。第一次世界大戦で戦争が大規模化し、国民が総動員される総力戦となり、おびただしい数の死者がでるようになりました。そのことを反省し、もう戦争は起すまいとの願いから、この条約が結ばれたのです。
1928年、戦争放棄に関する条約として、米英仏独伊日などがパリに集まって署名し、後にソ連も含め63か国の参加になりました。別名パリ不戦条約とも呼ばれます。「イスラム国」がパリでテロを行い、130人が惨殺されました。1月には政治週刊誌の本社が襲撃され、パリはイスラム・テロの集中的な標的になっております。
世界は「戦争状態」に戻る
オランド大統領は「われわれは戦争状態にある」と宣言し、フランス議会は非常事態宣言を来年2月まで延長する法案を可決しました。単なる「テロとの戦い」ではなく、「戦争状態」と表現したところに、状況の深刻さがうかがわれます。「イスラム国」が残虐な国際テロ組織であり、テロ行為は各国に広がり、国際社会が結束して対応しなければなりません。オランド大統領の決意表明は当然です。日本を含め主要国はフランスへの連帯の気持ちを表明しています。
当然だとしても、パリ不戦条約から80数年を経て、そのパリの地で「戦争状態」宣言がなされたことの意味は心に刻みこんでおく必要があります。不戦の宣言が戦争の宣言に変わったことの意味です。不戦条約は「戦争を放棄する」(第1条)、「紛争処理は平和的手段による」(第2条)という簡単な構成です。簡単すぎて法の期限、失効の規定、脱退の手続きもありません。ということは、不戦条約は国際法上、今も存続し、有効であるという解釈でしょうか。
「侵略か自衛か」は当事国の判断
では「フランスは不戦条約に違反をしているのか」というと、必ずしもそうではなさそうです。条文は簡潔すぎて何が違反か、違反したらどうするのかなど、細部の規定ありません。さらに、条約署名の際、米英などは「自国の利益を守る自衛のための戦争は除く」、「侵略か自衛かは当事国が決めてよい」と考えたとの解説が、近現代史の本に書いてあります。そういう流れだったのでしょう。
不戦条約の前の時代は、「戦争は国家政策のひとつであり、戦争そのものは違法でないとされた。戦争を違法化しようとする動きがでるのは、第一次大戦の後」(歴史学者の大沼保昭氏)です。不戦条約は歴史の転換点における象徴としての意味がある、ということなのでしょう。
戦争批判の歴史は、「自衛を口実に、実は侵略戦争をしかけている」という批判の歴史でもありました。条約に加盟した日本が満州事変を引き起こし、日中戦争のドロ沼に踏み込んでいったのも、自衛ためという口実が叫ばれました。「本当の自衛か」、「口実としての自衛か」は、時代が様変わりした現代における問いでもあります。
「イスラム国」との戦争は自衛のための戦争ということでしょう。20か国首脳会議(G20)が「テロと戦う」との特別声明をだしました。欧米に加え、ロシアまでも「対テロ空爆」を強化しようとしているのは「自衛」のためという位置づけです。「自衛のための戦争」は明らかにありえても、その実態を注意深く把握しておかないと、「侵略のための戦争」に逸脱していくということは、今後もありうるのです。
憲法9条は不戦条約がモデル
不戦条約と日本は深い関係があります。日本国憲法の9条の「国権の発動たる戦争の放棄、国際紛争を解決する手段としての武力行使の放棄」は、不戦条約の基本的性格を引き継いだというのが憲法解釈上の定説です。憲法にこの条項を入れた国は他にコスタリカがあるそうです。実質的には、日本は不戦条約を取り込んだ唯一の国です。
9条は米国主導の憲法制定だとしても、その底流に不戦条約があるという解釈ですね。歴史の願いがこめられたということです。米国による「押し付け憲法説」は史実を反映していません。それだけにフランスの「戦争状態宣言」は残念なことです。米国も9・11テロの時、テロ組織・アルカイーダに対する「戦争宣言」をしました。そういう時代に戻ってしまったことが残念なのです。
不戦条約の意義は忘れるな
欧州連合(EU)は「イスラム国」掃討に向け、EU条約に基づく集団的自衛権の行使を始めて決めました。ロシアは国連憲章51条が認める「自衛権」の行使に踏み切り、シリアへの空爆を開始しました。反テロとしての自衛戦争で世界が一色となり、「不戦条約」の歴史的意味をだれも振り返らなくなる事態は避けたいですね。
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