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社説が「五輪中止」なら朝日はスポンサー契約も解消を

2021年05月27日 | メディア論

 

「経営と編集」の二分法を逆用

2021年5月27日

 朝日新聞が社説で「東京五輪中止の決断を首相に求める」(26日)を書きました。五輪のスポンサー(協賛企業)の新聞社としては、初めて「中止」を表明し、海外でも関心をもって報道されています。

 

 社説は「中止」でも、今後も「オフィシャル・パートナー(協賛企業)を務める。五輪に関わる事象を公正な視点で報道していく。オフィシャル・パートナーとしての活動と言論機関としての報道は一線を画す」との見解(経営方針)をホームページで明らかにしました。

 

 編集と経営の二分法が朝日の信条ですから、そういう言い回しも不思議ではない。朝日新聞の経営判断は本音でいうと、「経営上、五輪事業からの撤退は痛手になるから、社説で『中止』にまで踏み込まれると会社(経営)としては困る」だったに違いない。

 

 だから、社説は我慢して「菅政権批判」でつないできた。海外メディアから「中止論」が噴出する及んで、「菅政権批判」でとどめておくことができなくなり、論説側から経営側への圧力が強まったとみます。

 

 通常は「経営による編集への介入」の場合が多いのに、今回は編集(論説)側が経営側を突き上げたとみます。普段とは逆の構図です。

 

 困った会社(経営)側は「編集とは一線を画しているので、会社(経営)はスポンサー契約は維持してもおかしくない」と、苦し紛れのコメントに追い込まれた。そう想像します。

 

 「経営側も経営体としての判断から、東京五輪開催で利益を得ることから手を引く」としておけば、整合性は取れました。そのほうがすっきりしてました。「一線を画す」などという必要はなかった。

 

 そうできなかったのは、3月期決算が創業以来最悪の440億円の赤字で、五輪広告の喪失を避けたかったからでしょう。協賛契約から手を引けば、五輪広告がいくらすっ飛ぶか分かりません。

 

 それにもう一年以上前から、五輪を盛り上げる広告特集、編集特集を組み、東京五輪から受益してきました。「いまさら何だ」と批判されるし、60億円もの協賛金の法的処理も厄介だということでしょう。

 

 そうはいっても「編集(報道)と経営の分離」は、単純なことではありません。朝日の場合、まず従軍慰安婦のねつ造報道に関する第三者委員会の提言(14年12月)との関係があります。

 

 この提言を受け、朝日は「経営陣は編集の独立を尊重し、原則として記事や論説の内容に介入しない」との方針を決めています。今回使った「編集に介入はしない。経営には別の判断がある」と便法はその逆用です。

 

 もっとも「編集と経営」は言葉でいうほど、簡単に二分できるものではありません。新聞社の経営は主力の編集、補助役の販売、広告、イベント、関連事業からなっています。

 

 「編集と経営」の言葉のように、「販売と経営」「広告と経営」「事業と経営」などと二分することはありません。販売、広告、イベント、関連事業は、経営と一体で取り組んでいます。

 

 新聞社の経営トップ、取締役の大半は編集経験者で占められています。編集局長や論説委員長も多くの社で役員です。編集を含む全ての部門を一体で扱っています。「編集と経営」が浮上するのは、個別の報道案件、論説に対し、経営トップが指揮(介入)したい時です。

 

 東京五輪は巨大イベントとして、編集、広告、イベント、販売がどう総合的に協力していくかが会社としての課題です。

 

 非常事態宣言が何度も発令、延長されている日本です。「五輪開催は市民の生命、健康への脅威、変異株の出現、世論の支持のなさという中では好ましくない」(社説)と主張しつつ、「会社としても協賛契約から撤退」にまで踏み込むのが正道でした。

 

 東京五輪の開催は、「テレビ放映をするための競技場の提供、商業主義に凝り固まったIOCの強行開催、菅政権と都知事の政治利用」に要約されます。協賛契約からも撤退すれば、朝日もかなり誉められたはずです。

 

 朝日の経営陣は、五輪開催が取りやめになることを願っているに違いないと思います。

 

 

 

 

 


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