第三者機関抜きの自己弁護
2024年12月28日
日銀はアベノミクスの異次元緩和を中心に、過去25年間の「政策多角的レビュー」をしました。安倍首相・黒田総裁が2013年から始めたアベノミクスは10年に及ぶ前例のない冒険であり、開始してから2、3年後には検証しておかなければいけなかった。今ごろになって公表しても「後の祭り」です。
アベノミクスは安倍政権、その同調者は「壮大な実験」ともてはやしていました。一方、当初から「こんな無謀なことを続けたら、足を抜けなくなる」と指摘する専門家もおりました。結果は批判派の指摘の通りになりました。「実験」であるなら、早期に検証し、軌道修正をしておくのが常識なのです。
さらに日銀当局による自己検証ですから、都合の悪い部分に触れたがらない。企業の不祥事でも、外部の専門家で構成する第三者委員会が調査、提言をするのが常識になっています。日銀は検証にあたって、外部の専門家の意見を聞くことは聞いたにしても、第三者機関による中立、公正な検証とは異質です。
日銀は自分たちが最高の金融専門家と思い込んでいます。その結果が巨大な負の遺産(巨額の国債保有、市場機能の喪失など)を生み、植田総裁が本格的な軌道修正をしようにも、身動きが取れない状態を招いているのです。アベノミクス、黒田・日銀の失敗です。日経新聞の見出しは「緩和長期化の代償、財政に緩み」と批判的です。日銀はもはや最高の金融専門家集団ではないことも立証されました。
「金融政策史上、最大の実験、最大の失敗で、日本経済の国際的地位の低下を招いた」という歴史的な評価が下される時がくるでしょう。
異次元緩和の結果、最悪の状態に陥ってしまった財政にしても同様で、主要国にあるような独立財政機関がありません。政治家とそれに追随する財務省によって、ずるずると赤字の泥沼にはまってしまった。大きな問題ほど、日本は政策の結果を検証をしない。国民民主党のように減税だけ要求して、その財源に責任を持たない野党ばかりだから、持続可能な財政は危うくなっています。
今回の検証は「多角的レビュー」との表題がついています。本当に「多角的」なのでしょうか。異次元金融緩和・財政膨張政策をとっているうちに、日本経済の国際ランキング(国民総生産=GDP)がどんどん下がったことに言及していません。言及すると、「アベノミクスは失敗だった」と認めることになる。それが嫌だったのでしょう。
日本の国際ランキングは3位から4位に落ち、1人当たりGDPでみると、先進7か国で最下位、韓国にも抜かれ22位まで落ちました。円安が大きな原因とされています。安倍氏の死後、その業績を賞賛するような回顧録の類が多数、出版されています。かれらもそのことに触れていません。
財政問題について、レビューは「金融政策の目的はあくまで物価の安定で、財政ファイナンス(国債購入)が目的でないことを明確に示していくことが重要だった」としています。「明確に示さなかったから財政ファイナンスに流れていった」と言いたいのでしょう。日銀としては「政治的圧力による財政ファイナンスに抵抗できなかった」とまでは言わない。
「2年で消費者物価2%上昇という当初の目標が、いつの間にか円安誘導と大量の国債購入(財政ファイナンス)にすり替わってしまった」と指摘があちこちから聞こえてきます。
最近は、政府、日銀の本音は「消費者物価が上がると、消費者が負担する消費税収が増える。物価が上がると見かけの売上が増え、企業収益が膨張し、法人税収が増える。財政赤字が大きいので、円安は都合がよい」にすり替わっていると思います。この現象はインフレ税と呼ばれます。
「デフレ脱却」のつもりがインフレ税にすり替わってしまった。新聞社説は「拙速な利上げは論外だ」、「市場の動揺は避けるべきだ」と異口同音に主張しています。はっきり言うべきことは、「アベノミクスの目的が二転三転し、どんどんすり替わっていった」ことを批判すべきなのです。
最後に、日銀には通貨価値の安定という義務があります。通貨価値の安定には、国内的価値、対外的価値の安定が必要です。2%を超える物価上昇はもう2年5か月になり、国内的価値の下落が続いています。対外的価値を対ドルレートでみると、1㌦=160円弱まで下がり、購買力平価でみると、30年前、40年前のレベルに落ちています。日銀は対外的価値の下落にもっと目を向けるべきです。
「2%の物価上昇」は合理的な目標とはいえない。日本にとっては、「2%」は高すぎ、「1-2%程度の目標」に修正すべきだとの指摘が少なくない。「レビュー」は「2%の合理性」を検証すべきでした。
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