藤掛病院と大口病院の共通点
2018年8月30日
岐阜市の老人病院でエアコンの故障による熱中症で5人、それに先立ち、横浜の老人病院では看護師による毒物点滴で複数の死者がでています。亡くなられたのはいづれも80歳代の寝たきりの患者です。共通点があるとすれば、老人病院が「寝たきり老人の姥捨て山」と化している疑いです。
恐らくこの2件は氷山の一角で、現代の姥捨て山は全国各地に存在していると、考えても仕方がありません。病院が警察にも届けず、病死として遺体を火葬場に早々に回してしまったケースも多いでしょう。団塊の世代が後期高齢者になり、高齢化がもっと進むことを考えれば、この問題をタブー視しないで、政府は関係省庁を動員して、全国調査し、対応に取り組むことです。
大口病院の場合は、何年か前にも不自然な死に方をした患者が相当数、おられたらしいとの情報がメディアに流れました。確証が取れず、結局、続報はなく、女性看護師が自供した3人程度の殺害事件にとどまっています。岐阜市の場合も、表面化した数以上の死者がいただろうと想像されます。
岐阜市の藤掛病院の院長挨拶文には「入院の患者様はご高齢の方が多く、本院が終(つい)のすみかとなられることが多い」と記載されているそうです(読売新聞、29日)。寝たきりの老人を看取る施設であることを率直に認め、家族に誘いをかけている。誠意を持って看取るならともかく、今回のように、エアコンの故障を放置し、熱中症が死因になったとすれば、まるで「姥捨て山」です。
寝たきりを生む社会構造
大口病院の場合は、看護師の殺意の解明が進んでいますし、藤掛病院の場合は、警察や県・市が捜査、調査に乗り出し、警察に対する報告義務違反(業務上過失致死容疑)、管理体制の是非を調べ始めています。「入院患者であれば、1日に数回、体温などを確認するはずだ。管理体制に疑問がある」(日経29日)などというレベル以上に、問題の根は深く、そこを掘り下げる必要があると、思います。
看護師に自供を迫ったり、院長の無責任さや怠慢を責めたりして、事件は落着したと思っていると、姥捨て山事件は手を変え、形を変え、途絶えることなく続発します。なにしろ寝たきり老人は2025年には230万人にのぼると推定されています。家族の介護に限界があり、次々に寝たきり老人が病院や施設に運びこまれても、ベッドも介護師も看護師も足りません。
意図しない結果としてか、あるいは受け入れの回転率をよくする計算があってか、どちらかにしても、80歳、90歳代の寝たきり老人には、岐阜や横浜の病院におけるような運命、つまり姥捨て山が待っているのかもしれないのです。故意か寿命が尽きたのか曖昧ではあっても、姥捨て山は存在する。
では、どうしたらよいのか。寝たきり老人問題の専門家が様々な主張をしています。「一度、寝たきりにすると、体力、筋力がどんどん衰え、結局、1人で何もできなくなってしまう」、「加齢、病気、活動不足、栄養不足を招き、寝たきりの悪循環から脱出できなくなる」、「多くの場合、ベッド上の長い期間の安静は有害である」、「リハビリが不可欠である」などなど。
寝たきり1週間で本当の寝たきりに
作家の阿川佐和子さんとの共著で、老人医療の先駆者でもある大塚宣夫さん(慶友病院)は、「周囲人が全て手を差し伸べるのはダメ」、「施設に任せきりはダメ」、「結局、1人で何もできない存在になってしまう」と、警告しています。「点滴を始め、できるだけ動かさないように寝かせておくと、本当に寝たきりになってしまう」。勿論、重病、急病、事故の場合は別です。
「必要以上の延命治療はしないことです。痛むとか辛いとかいうときは、苦痛を取り除くことは構わない」と、大塚さんは主張します。「ここで点滴をしなかったら、あと1週間は余命が持たないという時はどうするか」。「自分の親だったら点滴を断ります。それが自分だったら点滴をしてもらいたくない、と思います」。こう言って、家族自身による決断を促すのだそうです。
家族としては、病院や施設にお年寄りを送り込んだから、もう安心とはいかない。病院や施設に頼りきることが、寝たきり老人を増やす結果を招く。それが大きな社会的なコストなる。
よく引き合いに出されてのが、欧州の高齢者施設のケースです。例えば、食べてもらうために、食事を食べやすい形にカットする。それでも本人が呑み込めなくなったら、それ以上は対処しない。日本と比べ、寝たきり老人を見かけないのは、そのためだといいます。寝たきりになる前に亡くなっていく。そのことを、社会が是としているからでしょう。
町が財務を調整してなんとか経営しています。
家の祖父はその病院で医療ミスで亡くなりました。
過疎化 汚職 横領
調べてみてください😊
終末期医療の問題は、悩ましいことが山積ですが、患者に対して明らかに有害な物質を投与した大口病院事件と、恐らくは経口摂取が困難な終末期患者を高温下に"放置"した藤掛病院事件は、まったく異なる性質のものと考えます。
大口病院事件、これは明らかに殺人です。
では、藤掛病院事件はどうでしょうか。
経口摂取ができない患者を高温下に放置すると、体内の水分や電解質("塩分など)が失われ、死に至ります。熱中症の範疇に入ると思います。
では、エアコンが故障した藤掛病院に健常人がいたら、死者が出たでしょうか。
たぶん、死ぬ人はいないと思います。なぜなら、みな、口渇を自覚して、自分で水分を摂取するであろうからです。
つまり、藤掛病院事件は、自ら経口摂取ができないがために、健常人なら死なないであろう環境で、命を失ったということです。
これって、経口摂取ができなくなった人に点滴をせず、そのまま見送ることと本質的には同じではないでしょうか。
最近は、私が勤務する病院でも、延命を希望しない患者がいます。経口摂取ができなくなっても、最低限の輸液しかしませんが、結局は脱水・電解質異常をきたして死亡します。
無論、こんな状態になると、患者は意識もなく、苦しみも訴えません。
家族はこれを見て『安らかに逝った』と満足しますが、そういう意味では、藤掛病院で亡くなった患者さんも、『安らかに逝った』のでしょう。
私は藤掛病院事件に関しては、マスコミで報じられたこと以上の情報はも居合わせていませんが、個人的には、現在の医療環境を考えると、エアコンが故障したからと言って、50人もの患者を一気に転院させることは困難でしょう。
また、病棟の勤務体制を考えたならば、熱中症が予想される50人もの寝たり患者を、数人の看護師で管理することは不可能です。
つまり、藤掛病院事件と『必要以上の延命治療はしない』ことととは、単に程度、あるいはどこに線を引くかだけの違いにしか過ぎないと思います。
さて、藤掛病院事件については、当初、警察が"殺人容疑"で捜索に入ったと報じられましたが、終末期医療に携わるものとして、ある種の恐怖を感じました。
当初は、大口病院のような、内部の者が意図的に毒物を投与したことを想定しての話かと思いましたが、別の報道によれば、藤掛病院に入院中の患者の後見人が警察に通報したとのこと。
つまり、警察は、エアコンの効かない病室で患者を"見殺し"にしたことが、殺人に値すると考えたのでしょう。そして、その警察発表 or リークを真に受けた記者が、そのまま記事にしたのでしょうね。
まあ、さすがに、続報では"業務上過失致死容疑で慎重に捜査している"という穏当な表現になりましたが。
外国における、寝たきり患者を作らない終末期医療として、"不要な"点滴をしない話はよく紹介されますが、経口摂取が困難な患者に点滴を実施しないことと、「未必の故意による殺人」とは、どう違うのでしょうか。
経口摂取ができなくなった人に点滴を実施すれば、それが人間の尊厳に値しなくても、患者は確実に生き延びます。それをしないのは、「未必の故意による殺人」ではないでしょうか。
よくある事例(架空)を紹介します。
100歳近い高齢者。次男が10年近く熱心に介護し、月1回、患者に付き添って通院していたが、心筋梗塞、糖尿病、慢性腎不全、軽い脳梗塞、これに認知症も加わって、いよいよ食事も摂取できない状態になった。
これまでの経緯を知る次男は、『もう、よくがんばった。無意味な延命はしたくない。最小限の点滴でいい。』。
次男と合意のうえで、必要最小限の点滴にする。当然、患者は日々衰弱して意識も遠のいていく。
ここに、東京の大学に進学してそのまま一流企業に就職。めったに田舎に帰らなかった長男が、いよいよというので見舞いに訪れる。
変わり果てた親の姿を見て、我々医師に何とかならないのかと訴える。
『え? 点滴1本だけ?? 栄養も水分も全然足りない。これ、"殺人"じゃないですかっ!!』
そう言われると、これは完全には否定できない。
まあ、今までそんなことされた経験はないけれど、仮にこの長男が警察に通報したら、私は殺人容疑で事情を聴かれるかもしれない。
そんな面倒なことになるのであれば、ほとんど無意味とわかっても、点滴をして"延命"しといたほうがいい。
かくて、皆が望む安らかな死は遠のき、寝たきり患者だけが増えるということになります。
法曹関係の人も、一応の問題意識はあるようで、いわゆる延命治療中止の基準なんてのを発表しているようですが、基準があまりに抽象的すぎて、現場ではまったく使い物になりません。
結局、マスコミによるセンセーショナルな報道が、安らかな死を困難にしているように思えてなりません。
まあ、マスコミで報じられたインタビューを見る限りでは、藤掛病院の院長、強い信念をもって患者を"放置"したとは見えませんけどね。
おっしゃられるように、
遠くの親戚が来て、今までの医者と家族の信頼関係で行われた終末期医療をかき回すことは在宅医療の現場でもあります。
このようなトラブルを防ぐ方法は医療側は持ち合わせていません。
大事なのは本人が元気な時から家族子供に繰り返し、「無駄な延命治療は絶対希望しない」と言い続けることだと思います。本人が延命治療拒否との発言を行っていたという事を突然都会からやってきた息子にも伝え、この治療方法が本人の希望する終末期医療であると説明すれば、納得してもらえたかもしれません。しかし、本人が以前から延命治療拒否との発言がなければ息子さんは納得できないでしょうから、本人の発言が非常に大事になってきます。
藤掛病院の件に関して、中村さん、びいたろうさんお二方どちらも正しい御意見と読ませて頂きました。
ただ、どちらにせよ亡くなる運命である超高齢者の命であろうとも、天寿を全うして亡くなれば家族は何の悔いもなく死を受け入れることができるでしょうが、第3者の不作為により寿命が縮み亡くなってしまった場合はやはり受け入れられないでしょう。当然警察に相談となると思います。家族にも納得の上という意味で
今回の事例では、エアコンが故障し患者さんの体調不良を生じる可能性が予見できた時点で、患者さん家族全員に対して「エアコン故障のため、患者さんが体調不良を起こす可能性がある、扇風機で対応しているが他院に転院希望の方は申し出て欲しい。ただし転院先は家族が探して頂きたい。当院は100名近い患者さんの転院先を探すマンパワーは無い。ご協力お願いしたい。転院先を見つけられない場合はご自宅に避難という方法も考えて欲しい。」という文章を配布し、転院希望の方は紹介状を書いて転院させるという対応をすれば良かったのではないだろうか。(たぶん家族が転院先をみつけるのはほぼ不可能と思われますが)転院を希望しない家族は体調不良をおこして患者さんが最悪亡くなってもクレームを言えないでしょう。そうすれば今回のような内部通報は避けられたのではないでしょうか?