日本経済新聞の紙面に二度、驚くことになりました。米国の中央銀行にあたる連邦準備理事会(FRB)議長、つまり日本でいう総裁、の人事をめぐる報道の姿勢のありかたです。小さな誤りはすぐ訂正しても、大きな誤りははぐらかす。そのことです。
9月13日付けの夕刊で日経は一面トップで「FRB議長にサマーズ氏、副議長にブレイナード氏」という見出しの記事を掲載しました。米国のメディアが日銀総裁の人事をスクープしたら驚きます。日本のメディアが米国の中央銀行総裁の人事をスクープしたら、その驚きは何倍にもなります。この記事を読んで、本当だとしたらすごいスクープだと思いました。前代未聞の大手柄で、日本の新聞協会賞ものでしょう。まず、その時点で驚きました。
それが大誤報であったことは間もなく分りました。新聞紙上では、日経の特報の直後にオバマ大統領はサマーズ氏の指名を断念することを発表しました。サマーズ氏も大統領に書簡を送り、「議会の承認が難しいようなので、受諾を辞退する」旨の意思表示をしました。日経の記事には「指名へ最終調整」「盟友の起用に傾く」との部分もあり、違った結末に終わった場合に備え、後に説明がつけられるくだりはあります。
わたしの経験からいうと、断定的な見出し、顔写真入り、略歴の紹介がそろった記事は、新聞社が「これで決定」との結論に達した時に限ります。記事の真偽は、見出しを含めた全体の構成で決まります。このことは、以前、アップしたブログ「日経の大誤報にも書きました。
そして、最終的な結末を迎えます。オバマ大統領は、FRB議長に女性のイエレン氏(現在、副議長)を指名することを決めたと発表し、議会上院の承認を求めることになりました。日経を含め、各紙は9日付けの夕刊で報道しました。日経は一面トップの扱いです。日経が第一報の際、見出しを「サマーズ氏で最終調整」と、正直な表現にしておけば、つじつまはあったかも知れません。
10月10日付けの日経朝刊は「大統領、揺れた人事」「本命辞退、異例の展開」「迷走した人事はオバマ政権の求心力の低下を象徴する」などと書いています。米国では、数百人のエコノミストらが連名でイエレン氏の推薦状を大統領に提出した(あるいは提出していた)との記事もありました。つくづく米国は日本とはまったく違う社会だとの印象をうけました。だからこそ、米国での取材は難しいのです。わたしが観察するところ、サーマーズ起用の案はあったけれでも、日経が「特報」した時には、すでに消えていたと想像されます。日経が書いた後、サマーズ起用を断念したというのではないでしょうね。
次の驚きは、これまでの報道の経緯に触れ、誤報の説明、釈明の記事を掲載しているのかと想像していましたら、それがどこにも見つからなかったことです。事態の展開を紹介するばかりで、「責任は日経側の報道にはない」といいたいとの意図が感じられます。すでにお詫びの記事を掲載していたか、10日の新聞のどこかに釈明の記事があったとしましたら、こちらがお詫びします。毎日、隅々まで新聞を読んでいるわけではないので、その場合はお許しください。
釈明の記事をこれまで掲載していないとの前提で、お話すると、正直に取材不足を認め、迷惑をかけたという意思表示を目立つ扱いでされたほうが、信頼性を高めるということです。誤報をしなかった報道機関は恐らくないでしょう。大切なのは、報道の経緯を自分に都合のいいように解釈するのではなく、よく検証することです。
今、暴力団融資問題で、みずほ銀行トップの経営責任が問われ、連日、報道されています。「小さなミス」と考えて、判断ミスを隠したと思われる行為が、「隠したこと自体が大きな判断ミスだ」となり、重大な事態に発展しつつあります。報道する側に、厳しい自己規律が備わっていなければなりません。
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