不可解な科学者の世界
2014年6月5日
STAP細胞の発見をめぐるドタバタ劇は、科学者の世界が一般常識といかにかけ離れた世界であるかを教えてくれました。ほぼ間違いなくSTAP細胞は作製、発見されなかったのでしょう。この騒ぎになんらかの収穫があったとすれば、科学者の世界は、いかに歪んだところなのかを、よく教えてくれた点にあります。世界的な権威のある英科学誌ネイチャーに不正論文を掲載させてしまうのですから、不正な論文の作成技術は、日本に限らず、高いレベルにきているという点も教えてくれましたね。
理化学研究所の若い女性科学者の研究活動が不正、捏造、偽造に満ちていると指摘され、押し問答があり、この女性が記者会見して、なんと「STAP細胞はあります。200回以上、作製に成功しており、真実です」(4月9日)絶叫した時、科学にしろうとのわたしでさえ、「ええっ」と驚き、すぐに、「これで勝負あった。騒ぎは終わり」と思いました。本人は200回も成功したのに、第三者の科学者がまだ一度も成功していないということはありえないからです。未知の領域が広い科学の世界のことですから、将来、本当にSTAP細胞なるものが作製、発見されるかもしれません。そうなったとしても、今回の手法とまったく異なるものに違いありません。
一般的に公表されている情報、事実関係から考えただけでも、わたしはいくつかの感想、疑問をもちます。
・この女性は研究活動、研究成果の不正、捏造、偽造の常習犯だったのではないか。「論文にはミスがあった」という言い訳は通らず、故意による意図的な行為であった。寛大に解釈して、本人の幻覚、過度の思い込みという部分もあるかもしれない。精神鑑定も必要だ。
・日本の科学研究、技術開発の最先端を行く理化学研は政府の後押しを受け、恐らく多額の公的な資金を使っており、ここを舞台にした今回の事件は、謝れば済むという次元のものではなく犯罪的行為に当たるのではないか。上司も一瞬、世紀の大発見と思い込み、功をあせった。もっとも新発見の発表が間もなく疑われ、今回の結末を迎えたわけで、犯罪という表現が酷ならば、未遂というものだろう。
・弁護士によると、本人は「精神的、心理的に参っている」といい、実質的に雲隠れし、理研も容易に意思疎通を図れないという。その「精神的変調」はあくまで弁護士の説明であり、なぜ理研は直接、強制的にでも精神科医の診断を受けさようとしないのか不思議だ。そうしようとしても、本人が拒否するだろう。そこで「はい、そうですか」と、理研が引き下がるのはおかしい。理研は「メールで連絡をとっている」という言い方をよくしてきた。妙な言い訳だ。
・この女性は、功をあせる理研の犠牲者という側面はある。最先端の科学研究は激烈な競争状態にあり、疑惑の道への誘惑をはねつけることができなかったという側面もある。同情の余地はある。この世界には、不正な成果を公表する前例が少なくない。後でばれるかもしれないという意識が頭の中から消え、前後左右が見えない心理状態に追い込まれるのだろう。
今、理研の犠牲者という表現を使いました。今回の疑惑を解明する過程で、理研はまことに不可解な手を使いましたね。はじめは「論文の記述に不正、捏造があり、撤回させる」という態度をとり、「STAP細胞作製の不正、捏造」と切り離しておりました。部外者が最も知りたいのは、論文の不正の有無ではなく、STAP細胞の存在の有無ですよね。今回も「女性研究者が論文撤回に同意した」との発表です。科学の世界では「論文の撤回」イコール「研究成果の否定」という了解があるのかもしれません。にもかかわらず理研は「再現実験は続ける」といいます。皆が忘れ、世間の関心が薄らいだころに、「やはり存在しませんでした」というつもりでしょうか。今すぐ「存在はしない。新発見もなかった」と認めると、世界に恥をさらすことになると思ったのでしょうか。
この女性が組織を離れた個人として「STAP細胞は存在します」といい続けるのは自由です。それに比べ、公的な存在である理研の対応がいかにも遅く、いつまでも、のらりくらりとした言い方を続ける自由はありません。
日経新聞の編集委員が「科学技術立国へ正念場」という見出しで解説記事を書いていました。その中に「メディアも研究発表を安易に信じ、踊らされることなく、真偽を冷静に見つめる訓練を」という部分があります。おびただしい数の研究発表、新事実の発見があり、相当なレベルの知識、判断力を持っていないと、そうはいきません。すくなくとも必要なことは、社会面担当の記者がすぐ飛びついて、「割ぽう着姿の女性研究者」、「リケジョ人気高まる」などと、いかにも世間受けする美談、話題に安易にしたてないことですね。
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