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STAP細胞 実在検証が遅すぎる

2014年04月03日 | 評論

 論文の検証に没頭

                     2014年4月3日

 

 ノーベル賞級の新発見か、と騒がれた新万能細胞の疑惑解明への取り組み方が、一般社会の常識とはかけ離れていると思っています。簡単には説明できない新発見には、うそのない詳細な論文が必要であるにせよ、新発見があったのかなかったのかを、まず検証することを優先するか、論文審査と同時進行で検証を進めるべきなのです。

 

 一躍、世界的かつ時の人となった小保方晴子さんが所属する理化学研究所は、STAP細胞の論文審査の最終報告を4月1日、発表しました。論文には重大な捏造、改ざんがあり、論文取り下げを勧告するという厳しい内容です。これを聞いて、一般の人は新細胞の発見はあったのか、なかったのか、そのどちらなのか、そこが肝心な点だと、思ったでしょう。

 

 ふだんは、自然科学に無縁なわたしが、この問題に関心を持ったのは、関係者は疑惑をどう晴らすのか、疑惑を逆にクロと結論づけるのか、その流れを知りたかったからです。理化学研は論文をクロとしたものの、新細胞の有無に今回の報告書は触れておらず、一年かけて再現実験して検証するというから、ややこしい話です。

 

 企業などで、研究員が画期的な新製品を発明したとします。その研究論文、説明文、仕様書などは未熟な研究員が書いたため、重大な不備や細工があったとします。そのため、新製品の発明はなかったことするなどとは、企業はしませんよね。文章の書き直しを研究員に命じる一方、新製品の商業化を急ぐでしょう。

 

 STAP細胞も、モノですから、似たような感じを持ちますね。STAP細胞という証拠物件が手元にあるべきはずなのに、どんな処理をして、どの細胞が残っているのか、正確に把握できていないというのです。上司を含め、研究所の関係者が「どれどれ見せてご覧。なるほど本当に新細胞の発見だ」というプロセスを経ないで、「世界的な新発見だ」と公表してしまったのでしょうか。実験ノートは3年間で2冊しかなく、実験記録とよべるレベルではないといいます。この女性研究員が自宅にほんもののノートを持ち返り、、提出してしていない、ということはないのですかね。

 

 新聞の論調を見てみましょう。解説記事で朝日新聞は「存在を裏付ける科学的根拠が崩れた。細胞の作成、再現は難航しよう」と、クロに近い見方をしています。日経は「存在証明の壁は高い。存在しないと断定するのも難しく、うやむやに終わる可能性がある」と書いています。読売は「STAP細胞を作ったとされるマウスの実験データはある。理研は新細胞の存在に期待を残している」として、「謎だ」という立場です。

 

 専門家の科学者のコメントは興味深いですね。慶大の福田教授は「わたしの研究室で新細胞を作ろうとしてできなかった。理研は根本のチェックがおろそかだった」と、クロ説です。広島大学の瀧原教授は「新細胞が実在しないと考えるのは早計だ。どこまでが本当で、どこからが作りものだったかを、再現実験で確かめる必要がある。新発見の芽が潜んでいる可能性はある」と、指摘します。

 

 わたしも再現実験を急ぐのが最も重要だと思います。なぜ理研はこれから、それも一年もかけて検証するのでしょうか。疑惑の発覚と同時に始めておかなければならなかったのに、です。

 

 社説で新細胞の有無に焦点をあてているのが、経済紙の日経です。最終報告書の中身の分析よりも、理研による再現実験に期待し、「このほかにも、実験で得たサンプルの一部はまだ残っている。理研には検証する義務がある」と主張しています。読売は「再発防止へ全体像を解明せよ」とし、理研の研究体制、論文のチェックの仕方などに重点を置いています。朝日も「小保方氏個人に責任を集中させている。指導者が実験ノートをひと目、見ていれば、今回も問題を防げた」といいます。わたしは日経の社説に軍配をあげます。

 

 もっとも重要な点を繰り返しますと、新発見をされた細胞がまだ実在するのか、今、実在していないとすれば、なぜなのか、再現実験をなぜもっと早くから始めなかったのか、なぜ一年もかかるのか、女性研究者も自らすぐ再実験して疑惑を晴らそうとなぜしないのか、などを追及することです。さらに、「理研の実験」「理研の発見」が不正、捏造、つまりクロであったとしても、STAP細胞が存在しうる可能性があるのかないのか、などについて専門家の意見をもっと紹介することが必要です。

 

 前回のブログ「STAP細胞 本人に再実験を求める」(3月15日)では、朝日が社説で自社の報道姿勢を反省し、「報道機関にとっても、重い事態である」と書いていることを紹介しました。付け加えますと、ここは「報道機関にとって」ではなく「朝日新聞にとって、重い事態である」と書くことが本当の反省になります。他社を道連れにしてはいけません。

 

 読売新聞の社説が4月2日になってやっと「客観的で冷静な報道の重要性を肝に銘じたい」と書きました。同じ日に科学部長が「研究不正を見極める科学報道のあり方を考えさせられた」と反省しています。発表の際は1分でも早く報道したいと思うのは自然ですね。問題は発表後の追跡検証が勝負になるのでしょう。今回、第三者が論文、写真に不正、悪用があると早々に指摘しました。当初はべた記事(一段見出し)扱いでした。その時点から腰をあげていれば、報道機関としての役割をもう少し果たせたのかもしれません。

 

 

 

 

 

                    



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