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「市場の期待」は正しいのか

2013年09月04日 | 経済

  「市場の期待」は正しいのか    2013年9月4日(水)

  マネー市場の記事で「市場の期待」という表現がよく登場しますね。この言葉が以前から気になってしょうがありませんでした。まるで「市場の期待」が主人公のようなのです。そうではないでしょうと、わたしは言いたいのです。

 

 結論からいうと、「市場の期待」にいつもこたえようとしていると、 経済、金融、景気などに悪い影響を結果としてもたらすことも多いのです。「市場の声」は大切です。「市場の声を聞け」はいつも気軽に使われます。本当はどうなのでしょうか。「市場の声を聞き分けよ」が正しいと思うのです。市場では正しい反応もあれば、間違った反応、欲張った反応など、様々だからです。市場はいつも、正義の代弁者ではないのです。

 

 新しい金融政策や経済指標などが発表されると、「市場の期待を裏切った」とか「市場の失望を買った」という表現がよく使われます。「市場の期待を裏切る」「市場の失望を買う」ほうが、経済、金融政策が正しい方向に向いているかもしれないのではないでしょうか。市場が肥大化し、その動きによって、経済、金融が深刻な打撃を受けることが多くなっています。それだけに市場の動向がまず気になってしょうがないのでしょう。

 

 「黒田日銀総裁の金融緩和政策は、それまでの市場の予想を上回る大胆なものだった」、「黒田総裁は市場の期待の抜本的転換を掲げている」、「黒田総裁はひとまず世界のマネーの期待を勝ち取った」、「大胆な金融緩和政策の実現を市場は好感した」。こういう記事に何度もお目にかかりました。

 

 繰り返しますと、安易に「市場の期待」とか「市場が好感」などという言葉遣いをしてもらいたくないのです。

 

 世界の金融、資本市場には過剰なマネーが供給され、マネー市場の過激な変動に実体経済は振り回されています。市場では貪欲なファンドや機関投資家がうごめき、巨額の利益を得ようと、虎視眈々とチャンスと狙っていますよね。今回の株高、円安局面で、大もうけし、出遅れて失望した一般投資家は大勢いるでしょう。

 

 かれらは一般投資家には望めない豊富な情報力、機動力を持ち、相場形成に多大な影響を与えています。こかれらの期待にこたえたり、かれらに好感されたりすることが、金融、資本政策の本来の役割ではない、と思っているひとは多いでしょうね。

 

 もちろん、成長力のある企業を見出して、長期投資をおこなう投資家も大勢おり、株式投資が経済全体の発展をもたらしていることは確かです。そのためには、マネー市場が元気である必要はあります。本来の資本市場の役割を果たしているのです。

 

 実体経済が好調で、産業、企業が活性化しており、その結果として株高になっているなら問題はありませんよね。だだし、相場の動きは単純ではありませんよね。

 

 市場は多様な投資家、多様な投資目的をもった投資家で構成されています。それらを一緒くたにして、「市場が好感」「市場の期待」などと、いってほしくないのです。辛口の論評を目にしました。「金融緩和で浮かれる資本市場」という指摘です。鋭い点を突いているなあ、と思いました。

 

 「市場が期待しないこともやる」「市場に期待をさせないこともやる」ではないでしょうか。「消費者は神様」という言葉がはやったことがあります。その意味はよく分りました。でも、「市場の期待」が神様のような存在になっては困るのです。

 

 

 

 



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