政治権力批判に及び腰の日本
2024年3月17日
米ハリウッドで10日に行われたアカデミー賞受賞式で、著名な司会者のキンメル氏がトランプ前大統領を痛烈に皮肉る一撃を放ちました。「そこまで言っていいんかい」「そこまで言うのが米国メディアか」と思いました。
同時に、米国の政治、社会環境、メディア環境は日本と大きく違い、比較は難しいにしても、「日本のメディアは政治権力に対して及び腰でありすぎる」というのが私の感想です。
キンメル氏は米国の人気のテレビ司会者、コメディアン、プロデューサーーです。ABC放送の「ジミー・キンメル・ライブ」の司会者で、様々なゲストを招き、トークショーをしていると紹介されています。
恐らく大統領選を始めとする政治を含め、自由で辛辣な発言も多いのでしょう。トランプ氏はアカデミー賞については、「政治的で不公平だ」と批判してきたそうです。
そうした背景もあったのでしょう。アカデミー賞の受賞式の最中に「キンメルは最悪の司会者だ。キンメルを追い出せ。『米国を再び偉大に』(トランプ氏の選挙用スローガン)」と、SNSに投稿したそうです。
乱暴な言動を繰り返しているトランプ流です。そこまで言われたら、売られた喧嘩は買う。キンメル氏は反撃にでました。それがまた、米国流で面白い。「大統領、ご視聴ありがとう。まだ起きているとは驚いた。刑務所の就寝時間を過ぎているのでは」と。
トランプ氏は米連邦議会占拠事件、不倫相手への口止め料の支払い問題など4事件で起訴され、今後、有罪判決、刑務所への収監もありうる。キンメル氏はそのことを指して「刑務所の就寝時間」という表現を使った。はらはらするほど、思い切った発言です。反トランプ派は喝采したことでしょう。
かりに逮捕されていても、大統領選に立候補はできるというのが米国憲法の規定です。トランプ氏もキンメル氏の一撃にひるむ気配はなかったでしょう。政治資金の裏金処理、規正法違反の虚偽記載でもめている日本の国会と比べ、違法のスケールが異なる。「それが米国」なのでしょう。
それにしても、日米のメディアの格差の大きさ、政治権力批判に及び腰の日本メディアの現状には、失望を覚えます。米国の政治状況は「先進民主主義システムの中で最もひどい」(国際政治専門家=イアン・ブレマー氏)がもっているのも、大統領という最高権力者に一歩も引かないメディアが存在するからでしょう。
NHKの番組に登場した以前の首相が、キャスター、記者らの質問にたじたじとなり、政治的な圧力をかけて、左遷させたというケースがありました。監督官庁の総務省が特にテレビに強い影響力を持ち、政治家の意向も踏まえ、にらみをきかせている。
元旦に発生した能登半島の震災報道は、特にテレビ報道では、トップの扱いが2か月以上続き、最近になって政治資金疑惑報道も相応の扱いをするようになっています。震災発生は、これから政治資金問題が火勢を強めるという時期に重なりました。
想像するに、震災報道を怒涛のように流し、政治資金問題の比重を下げさせようとした監督官庁への忖度がある。「これからまだ大震災がある。それへの備えが重要だ」という意識を定着させようとした。そう想像したくなるほど、能登震災報道は大々的でした。
政治資金疑惑を巡るワイドショーのある番組では、政権寄りと政権批判派のジャーナリスト(自称)の二人が並び、バランスをとる編成にしています。放送法で報道の中立性を求められているため、こんな構成にして、監督官庁の意向に従っている姿勢を見せていると想像します。
もう一つ。新聞社、テレビ局のトップクラス(会長、社長ら)や政治担当記者ら複数社が首相との会食によく招かれてきました。震災、コロナ禍の際はさすがに見送っているようだとしても、新聞の「首相動静」というお知らせ記事には、その都度、掲載されてきました。
「取材だから、首相との会食の意義はある」という解釈なのでしょう。どうなのでしょうか。もちろん、個人的に最高権力者と会食することは「取材、個人的関係の構築」のために必要でしょう。それに対し、複数社を選別して首相が招き会食するという慣行は「権力との癒着」を招く。
あるワイドショでは、常連のジャーナリスト(元通信社記者)の略歴紹介で「政権中枢を40年担当」と、毎回、掲載されます。40年も政権中枢を担当してながら、20年以上は続いていた政治資金の裏金、不記載、虚偽記載に気が付いていないはずはない。というより、気が付いていたのに、政権に忖度して、調べてみようとしなかったのでしょう。
30年にわたる「日本経済の空白」を作った背景には、金融財政政策を左右した日本政治の劣化がある。劣化した政治権力への批判に及び腰な日本メディアにも、そのことに思いをいたしてほしいと思います。
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