恐るべき老人力のスタミナ
2015年5月7日
連休中、何げなく開いた友人からのメールに「ええっ」と驚きました。「自転車で日本一周完了、無事帰宅」(4月29日付)とあるではありませんか。驚きはもう一回、やってきました。別の友人のメールで、「70歳記念でボストンマラソン完走」(5月5日付)。これも「ええっ」でした。
2人の友人による人生の偉業です。勲章ものです。こちらが腰痛持ちで、「ごろ寝を決め込んでいるに違いない。驚かせてやろう」と、見透かしてのことでしょう。「どうだい、ほめてくれよ」といっているようです。さっそく、お祝いの返事をだしました。マラソンは70歳、自転車の全国走破は72歳の男性です。2件も続いた快挙をブログの読者の方々にも紹介することにしました。
10年前から始めたマラソン
まず、「つくば、東京に続きボストンマラソンで、今シーズ3回目のフルマラソンとなりました」。こちらは「何っ、もう三度も。プロ並みじゃない」と、あきれます。「10年前にフルマラソンに目覚め、海外はこれで3度目です」。言うねえっ。こどものころ、心臓破りの丘に挑んで優勝した山田敬蔵の活躍は今の高齢世代の記憶に焼きついており、「いつかは自分も走ろう」と誓ったそうです。それにしても60歳からマラソンを始めて、こうした目標によくたどり着けるものですね。
4月20日。当日は雨、気温7度の予報。事前調査にぬかりなく、長袖シャツ、おなかにカイロ、ビニールの簡易レインコートを着用。スタート前の待ち時間1時間半の寒さはさすがにこたえ、持参してきた毛糸ジャケット、ゴルフ用ベスト、古セーターを着込みました。「スタートの時、不要なものは脱ぎ捨てると、ボランティアがかき集めてくれ、使えるものは寄付する」とか。
走りの速い順に4組に分けられ、友人は最後の組で、1時15分にスタートです。1キロ7分のペースをほぼ守り、5時間かけて完走しました。「マラソンは走っている時は孤独、退屈ですので、鼻歌を時々、歌います。小林旭の、名もない港に、モモの花が咲けば・・・を口ずさんだ」。メールに書いてきた心理描写は経験者ならではですね。
善意の塊りの一方で・・
沿道の見物客からは「グットジョブ」、「グレート」(素晴らしい、えらい)の掛け声がかかります。高齢者なのによく頑張っているとみて、励ます気になったのでしょう。元ジャーナリストの友人の心には「米国人はこうした時は、善意の塊りなのに、一方で、どうして戦争を繰り返すのだろうか」との疑問がよぎります。私の考えでは、自分たちの善意の世界、平和な世界を守るためには、他国の犠牲をいとわないという国家観があるのでしょうか。
風雨が強まり、悪コンディションだったのに、「途中で歩きだすこともなかった」。大した体力ですね。ゴールに飛び込むと、大会役員が「コングラチュレーション」(おめでとう)と声を張り上げて迎えてくれ、友人は思わずこの人に「抱きついた」と、いいます。達成感、疲労、安心感からの反射的な動作だったのでしょう。分ります。
自転車による全国走破の友人は、「一昨年秋に走り出し、走行距離は1万7千キロに達します」。関東、北海道、東北、山陰・山陽、四国、九州など全国をいくつかのブロックにわけ、1地方30日程度の旅程を何度か組み、戻っては出かけ、出かけては戻るということの繰り返しでした。
最後の旅は54日間も休みなく
組み立て式の6段ギアの自転車を鉄道、飛行機で目的地に運びます。最後の旅は3月5日から休みなく54日間、大分発で延べ3400キロ、九州・山陰をまわり、「4月27日朝、大阪発の夜行バスで帰京、帰宅した」といいます。届いたメールの日付は4月29日でしたから、帰宅後、疲れも知らず、メールを書いたのでしょう。撮った画像は2400枚といいます。
メールの結論がふるっています。「全国走破を成し遂げた満足感とともに、目標がなくなってしまったことに一抹の寂しさを感じています」。おいおい、いい加減にしてくれよ、ですね。事故にもあわず、旅先で宿を見つけ、時には野宿をし、病気もぜす、よく戻ってこられました。若者ではなく、70代の老人がね、こちらはあ然、ぼう然。
老いても志を高く
2人は同世代の友人です。こんな歳になって、よくまあ、大計画に挑戦しますね、と私なら思います。それをやってのけてしまうのですから。歳をとっても、志を高く掲げ、地道な努力積み重ねていけば、できることはまだまだある、ということでしょう。とても私には無理ですがね。高齢化社会の断面のひとつですね。
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