今年も広島現場の日がやってきました。
今から77年前の1945年の今日午前8時15分、エノラ・ゲイから投下されたリトル・ボーイと名付けられた原子爆弾が広島市上空で炸裂し、
凄まじいキノコ雲と共に広島の市街地を一瞬にして焼き尽くしました。
爆心地から500メートル以内での被爆者は即死や即日死の死亡率が約90パーセントを超え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及びました。更に生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していったといいます。
11月までの集計では、爆心地から500メートル以内での被爆者は98から99パーセントが死亡し、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、約90パーセントが死亡しました。1945年の8月から12月の間の被爆死亡者は、9万人から 12万人と推定されています。
その後も原爆症に苦しめられる人は後を絶たず、今年も被爆者名簿に4,202人の被爆死亡者の氏名や年齢が書き加えられ、新たに1冊増えて121冊になった名簿に掲載された犠牲者数は333,131人となりました。
今年の広島原爆慰霊式には岸田文雄内閣総理大臣やグティエレス国連事務総長を始めとした多くの人々が集い、原爆投下時刻の午前8時15分に合わせて
平和の鐘が打ち鳴らされる中で黙祷が捧げられました。その後、広島市長を始め岸田総理やグティエレス国連事務総長らによるスピーチで核廃絶が訴えられましたが、その道のりはまだまだ長く険しいものであることに違いはありません。
アメリカ国内では、未だに原爆投下が戦争終結に必要な決断だったという意見が根強いようです。しかし彼らが何と言おうと、原爆投下は非戦闘民を対象とした無差別大量殺戮であることに疑いの余地はありません。
現在でもウクライナを始めとした世界各地で戦争が続けられ、解決の糸口は未だに見いだせていません。慰霊式に参列した駐日ロシア大使が
「ウクライナとの戦闘に核兵器がしようされることはない。」
と明言していましたが、そんなものいつ反故にされるか分かったものではありません。
そんなことを憂いつつ、今日は広島原爆の犠牲になられた全ての方の御霊に、サミュエル・バーバーの《アニュス・デイ》を捧げたいと思います。これは《弦楽のためのアダージョ》にミサ典例文の『アニュス・デイ』のラテン語歌詞を当てたもので、その響きの静謐さから様々な祈りの場面で使われています。
あの日、原爆に焼かれた全ての方と、原爆症に苦しみ抜いて亡くなられた全ての方の御霊安かれと祈ります。合掌。