曇り空の下で多少涼しい風が吹くものの、今日も蒸し暑い一日となりました。何だか頭もボンヤリするのですが、それが暑さのためなのか気圧の低さのためなのか分かりません…。
ところで、今日7月4日はフォスターの誕生日です。
スティーブン・コリンズ・フォスター(1826〜1864年)は、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する作曲家です。
アイルランド移民の家系で比較的裕福な家庭に10人兄弟の末っ子として育ったフォスターは、幼児期より並ならぬ音楽的才能を見せました。7歳からはフルートを、9歳からはギターを独学で習得し、後にはクラリネットも修めたといいます。
やがて作曲に興味を持ったフォスターはモーツァルト、ベートーヴェン、ウェーバーらの作品を寝る間も惜しみ研究していました。アカデミックな音楽教育はほとんど受けなかったにもかかわらず、二十歳になるまでにすでにいくつか歌曲を作曲して出版していました。
1846年にオハイオ州シンシナティに転居したフォスターは、当時独立戦争後の新大陸で流行した黒人霊歌風である最初のヒット曲《おおスザンナ》を発表し、1848年〜1849年のカリフォルニアのゴールド・ラッシュの賛歌となりました。
1850年にはジェーン・デニー・マクダウェル(1829〜1903)と結婚、翌年には娘マリオンをもうけました。この頃に音楽的円熟を見せ《ケンタッキーの我が家》、《主人は冷たい土の中に》、《故郷の人々(「スワニー河」)》の傑作を次々に生むこととなりました。
さて、そんな中で個人的に好きなフォスター作品が1854年に発表された《金髪のジェニー》です。
これは発表当時の楽譜の表紙ですが、『Jeanie with the light brown hair』というタイトルからすると、金髪というより《薄茶色の髪のジェニー》といった方が正確なのでしょう。
因みにこの歌の「ジェニー」は、フォスターの妻であるジェーン・デニー・マクダウェルが念頭にあったと言うのが定説になっています。ところがこの歌は、フォスターの生前には代表作の《故郷の人々(スワニー河)》や《ケンタッキーの我が家》、遺作となった《夢路より》と比べて余り注目されていませんでした。
ところが、1949年に米国作曲家作詞家出版者協会(日本のJASRACのような団体)と全米の放送局が著作権契約を巡って紛争状態となった時に、放送局側が著作権の消滅した楽曲を優先的にラジオで放送する防衛策を取って、その中で《金髪のジェニー》が頻繁に流されたことがありました。そんなことから、はからずもこの曲が全米で広く知られるようになり、皮肉にもフォスターが亡くなってから85年もの歳月を経て再評価されるに至ったのでした。
そんなわけで、フォスターの誕生日である今日はその《金髪のジェニー》をお聴きいただきたいと思います。辻井伸行さんのピアノ演奏による、フォスターの優しいメロディをお楽しみください。