共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

授業変更の嵐と『キャラメルナッツパフェ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年11月13日 18時30分18秒 | カフェ
今日は一日大変な日でした。

中学年の通常級の担任がひとり発熱で欠勤したのですが、そのことによって授業担当や内容がかなりシッチャカメッチャカになってしまいました。専科の教師や教頭まで出てきて入れ代わり立ち代わり授業をしていたのですが、子どもたちの方がなかなか大変そうでした。

支援級の子どもたちはそうしたイレギュラーに敏感に反応してしまうため、尚更大変でした。不機嫌になる子やヤル気が失せて脱力する子など様々でしたが、私はそんなものに構わず、いつものように叱り飛ばして勉強させていました。

そんな小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

今日は期間限定メニューのひとつ



『キャラメルナッツパフェ』をオーダーしました。

カフェオレムースの上にアイスクリームや生クリームが乗せられ、キャラメリゼした様々なナッツやキャラメルソース、キャラメルのジュレがトッピングされています。サクサクに焼き上げられたワッフルスティックやたまごボーロが、食感のアクセントになっています。

ベースがカフェオレのムースなこともあってか、コーヒーとの相性も絶妙です。周年記念メニューで力が入っていることもあると思いますが、やはりこだわりのカフェのスイーツは一味違います。

明日は2週間ぶりに、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室のある日です。今回は私が企画担当になっているのですが、何をやろうか考えながら帰宅しようと思います…。

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イライラさせないで!(-"-;)

2024年11月12日 17時35分58秒 | 音楽
今日、ものすごくイライラさせられることがありました。高学年の音楽の時間に《君をのせて》をとりあげたのですが、担当の先生が何度やっても

「1、2、3、ハイッ!」

とタクトをとっていたのです。

《君をのせて》の冒頭は



このようになっていて、『あの地平線〜♪』はアウフタクト、つまり弱起でスタートしています。なので、タクトを振る時には

「1、2、3、あの地平線〜♪」

若しくは

「1、2、ハイッ、あの地平線〜♪」

とすべきなのですが、その先生はずーっと

「1、2、3、ハイッ、あの地平線〜♪」

を貫き通したので、子どもたちが妙ちきりんな5拍子につんのめってしまうのです。

私はあくまでも支援級の子たちの学習支援に入っている身なので、授業内容にあれこれ口を出す権限はありません。それでも

「…ダァァッ!」


と叫び出さなかった私を、誰かに褒めてもらいたいくらいです(涙)。

本当に、日本の音楽教育は酷過ぎます。あれでは、音楽嫌いを大量生産しているようなものです。

昭和時代の小学校の先生方は、間借りなりにもピアノが弾けていました。令和では弾ける先生と弾けない先生がハッキリと分かれていて、弾けない先生に当たってしまった子どもたちは、言葉を選ばずに言わせてもらえば不幸です。

こういう事象に出会う度に、文部科学省に火をつけて燃やしてやろうかと本気で思わされます。さもなくば、今一度音楽教育に関する認識を改めてほしいものです。
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大量生産!赤いリボン

2024年11月11日 16時50分16秒 | 工作
朝のうちに降っていた雨も徐々に止んで、昼過ぎからは段々と晴れてきました。そんななか、今日はほぼ一日自宅にこもっていました。

今日は、我が家でひたすら



折り紙でリボンを作っていました。これは



放課後子ども教室で子どもたちに作らせる紙皿リースのパーツです。

赤い折り紙を総動員して、今日一日使って



大量生産しました。実際には50個ほど作りましたから、これで足りなくなることはないでしょう。

これに先日の



プレゼントボックスやベルを合わせてセットを作り、子どもたちに渡したらすぐに取り掛かれるようにします。先生、もうちょっと頑張ります(;^ω^)。

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ベルリンの壁崩壊の日から35年〜バレンボイムによる《第九》

2024年11月10日 17時25分50秒 | 音楽
昨日に引き続き、今日も朝から冷えこむ一日となりました。夏の半袖は、いよいよお役御免となりそうです。

ところで、今日11月10日はドイツのベルリンの壁が崩壊した日です。今年は壁崩壊から35年目という、節目の年となります。

1961年8月13日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国境警備隊がベルリンの舗装道路を壊して石でバリケードを作り、町を横切る有刺鉄線を張りました。そして西ベルリンの周りを取り囲むように、人が乗り越えることのできない3メートルもの高さの壁を作りました。

かつて旧東ドイツからは毎日2000人程度の国民が国を去っていて、政府高官たちは自国の存在が脅かされていると感じていました。これは1949年に東ドイツが建国されてからずっと続いており、全体では約200万人にものぼっていました。

東ドイツ政府高官は、

「国民が国を去るようでは社会主義国家は作れない」

と考えました。そして国民が自主的に国に残らないのであれば、壁を作って強制的に留まるようにしなければならないと考えたのです。

ベルリンの壁を作る計画は、東ドイツ政府の国家機密でした。旧東ドイツ社会主義統一党(SED)幹部の命令を受けて、人民警察官と国家人民軍兵士の監視の下、土木工事作業員によって作られました。

こうして、ベルリンの壁が一方的に建造され、ベルリンの西側部分は東ドイツと東ベルリンから分離されました。西側の人々を入国させないためではなく、東ドイツの人々が逃げられないようにするためにベルリンの壁が作られたのです。

そんなベルリンの壁の崩壊を招いたのは、実は旧東ドイツ政府高官の『失言』が原因でした。

1989年11月9日、



社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー(1929〜2015)政治局員は記者会見の際、さして重要でもない様子で

「ドイツ民主共和国は、ただちに出入国を自由化する」

と述べました。すると、その様子を放送で知った数千人の東ドイツ市民が、すぐさま国境検問所に押し寄せたのです。

それまでベルリンの壁は、『東西冷戦』『越えられない物』『変えられない物』の象徴でした。それが数時間後の11月10日未明になると、どこからともなくハンマーやつるはし、ショベルカーが持ち出され、ベルリン市民はそれらで自主的に壁の破壊を始めたのです。

壁の破壊は部分的ではあったものの、秩序だったものではなく方々で勝手に行われていきました。こうして、1961年8月13日に建設が始まったベルリンの壁は、一部ではあるものの、建設開始から28年後の1989年11月10日についに破壊されたのでした。

元々ベルリンの壁は東ドイツ側によって建設された東ドイツ側の『所有物』であり、東側からは壁を壊す許可は一切出されていませんでした(むしろ11日には倒された壁を元の通り立て戻す作業を国境警備隊が行っていました)。しかし、数日後からは東ドイツ側によって重機などを用いて正式に壁の撤去作業が始まり、東西通行の自由の便宜が計られるようになりましたが、速やかに全て撤去されたわけではなく、正式に解体作業が始まったのは翌年1990年6月13日からのことでした。

そしてこの年の暮れに、壁崩壊を記念したコンサートが開かれました。これはベルリンの壁が崩壊した直後の1989年12月25日に、旧東ベルリンのシャウシュピールハウスで行われた歴史的なコンサートでした。

指揮は、この4ヶ月前に他界した『帝王』ヘルベルト・フォン・カラヤンに代わって、



レナード・バーンスタイン(1918〜1990)が務めました。演奏は、管弦楽がバイエルン放送交響楽団、ドレスデン国立管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団、レニングラード・キーロフ歌劇場管弦楽団、パリ管弦楽団という、東西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連(当時)の6ヶ国からなる混成オーケストラを臨時編成したものでした。

ソリストは、ジューン・アンダーソン(ソプラノ)、サラ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)、クラウス・ケーニヒ(テノール)、ヤン・ヘンドリク・ロータリング(バス)が務め、合唱はバイエルン放送合唱団、ベルリン放送合唱団、ドレスデン・フィルハーモニー児童合唱団で結成された特別なものでした。そして第4楽章では、通常では「フロイデ(Freude)=歓喜」と歌われるところを、「フライハイト(Freiheit)=自由」に変更して歌われました。

このコンサートはライブ録音され、CDも発売されました。中には『ベルリンの壁の欠片』付きのプレミアCDもあり、当時大いに話題になったものです。

そのコンサートの動画は貼れませんでしたので、今日はベルリンの壁崩壊25周年記念コンサートから、ダニエル・バレンボイム指揮、ベルリン・シュターツカペレによる演奏によるベートーヴェンの《交響曲第9番ニ短調》の抜粋動画を御覧いただきたいと思います。壁崩壊から四半世紀となる2014年11月9日に、記念行事として行われたものです。

この時、かつてのベルリンの壁沿いの一部に灯りを点けた白い風船を配置し、夜に一斉に空へと風船を飛ばす『リヒトグレンツェ(光の境界 Lichtgrenze)』というイベントが行われました。その様子も、演奏と合わせてお楽しみください。





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今日はカール・シュターミッツの祥月命日〜ヴィオラ弾きは避けて通れない《ヴィオラ協奏曲 ニ長調》

2024年11月09日 18時18分18秒 | 音楽
今日も神奈川県は、気持ちのいい晴天となりました。いかにも秋晴れ…なのですが、立冬を過ぎていることを思うとちょっと違う気がしてしまいます…。

ところで、今日11月9日はカール・シュターミッツの祥月命日です。

『誰…?』

と思われるかも知れませんが、



カール・シュターミッツ(1745〜1801)はドイツのチェコ系作曲家で、交響曲と協奏曲をそれぞれ50ほど作曲したほか、おびただしい数の室内楽も残しています。

マンハイムのプファルツ・バイエルン選帝公カール・テオドール(1724〜1799)の宮廷で首席ヴァイオリン奏者として活躍していた高名なヴァイオリニストのヨハン・シュターミッツ(1717〜1757)の子として生まれたカール・シュターミッツは、年代的にはハイドンの後輩、モーツァルトの先輩格にあたる作曲家で、モーツァルトに多大な影響を与えたといわれています。父ヨハンも作曲家で、息子カールに教育を施して親子で音楽史に名を残した経歴はモーツァルト親子とも共通しています。

カール・シュターミッツは父ヨハンにヴァイオリンと作曲を学び、父が没したあとの1762年、宮廷楽団の第二ヴァイオリン奏者となりました。作曲にも手を染めましたが保守的な選帝公の趣味に合わず、1770年にマンハイムを去ってパリへ赴きました。

パリではルイ・ド・ノアイユ公の宮廷作曲家兼指揮者に収まり、公開演奏会コンセール・スピリチュエルにも登場して、ヴァイオリン及びヴィオラ奏者として名を馳せました。ドイツなど国外へも演奏旅行を行いながら数々の作品を出版し、『ゴセックのガヴォット』で有名なフランソワ=ジョゼフ・ゴセック(1734〜1829年)らとも親しく交わりました。

1777年にロンドンに移ってからは、バッハの末子ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735〜1782)と仕事をしたり、演奏旅行をしたりしていました。しかし、ロンドンでは安定した地位を得ることはなかったようです。

カール・シュターミッツはロンドンを振り出しにハーグをはじめとしたドイツ各地を転々とし、一方でプロイセン王を初めとする貴族に作品を売りさばいて生計を立てていました。オランダではオラニエ公ウィレム5世(1748〜1806)の宮廷に使えた後、1794年にはドイツ・イェーナ大学の学長と音楽教授を務めましたが、経済的には恵まれぬまま世を去りました(享年56)。

そんなカール・シュターミッツの祥月命日である今日は《ヴィオラ協奏曲 ニ長調》をご紹介しようと思います。

この曲は古典派の時代に作曲されたヴィオラのための貴重なオリジナル作品で、プロオーケストラのヴィオラ奏者オーディションでも何曲かある課題曲の中に必ず指定される曲なので、ヴィオラ弾きとしては避けて通れない作品です。ただ、通常のチューニングのヴィオラで演奏するにはあまりにも音域が高いところが多いので、一説には



より音域が広くニ長調に調弦されることの多いヴィオラ・ダモーレのための協奏曲ではないか…とも言われています。

第1楽章:アレグロ。

オペラの序曲のように、期待感を盛り上げるような序奏を持つ始まりです。そして、ヴィオラが登場するところは、まるで豊かなアルトの声を持つ貴婦人の登場のようです。因みに、オーケストラのオーディションの課題曲になるのは、ほぼこの第1楽章です。

第2楽章:アンダンテ・モデラート。

しみじみとした情感を持つ、親密な始まりの楽章です。ヴィオラが低い音で暗めの音色を聴かせながら、バックの弦楽が対照的な高音で鋭い対比を示します。

第3楽章:ロンド、アレグレット。

独奏ヴィオラで楽しげなロンドのテーマが始まると、ヴァイオリンパートが簡素に応えます。やがて終楽章らしく独奏ヴィオラが存分に活躍し、オーケストラがこれに華やかさを加える…といった展開で盛り上がって終わります。

そんなわけで、今日はカール・シュターミッツの《ヴィオラ協奏曲 ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。ヴィオラ弾きにとって貴重な、古典派のオリジナル作品をお楽しみください。


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どうせなら普段から…

2024年11月08日 18時28分38秒 | 日記
今日は小学校の中学年クラスで『挑戦塾』なるイベントが開催されました。これは子どもたちが主体となって出し物の企画を練り、保護者の方々をご招待して披露するというものです。

夏休み明けから日々の学習な運動会の練習などをこなしつつ、子どもたちが一生懸命に調べて今日の日を迎えました。支援級の子どもたちはともするとおふざけが始まったりしていたのですが、主に私が彼らを叱り飛ばしながら準備に参加させていました。

支援級の子たちは、ある子たちは



壊れにくいシャボン玉を作ったり、別の子たちは



よく飛ぶ紙飛行機を研究して折り方を保護者に教えたりと、様々に活躍していました。

保護者たちは子どもたちにエスコートされながら、それぞれの発表を見ていました。シャボン玉チームは、水と液体洗剤で作るシャボン液に洗濯のりとガムシロップを配合することでシャボン玉の皮膜を強化できることを説明し、保護者からは感心の声が挙がっていました。

自分の親が見に来ていることもあって、支援級の子たちは積極的に動き回っていました。内心、

『普段からこれくらい動いてくれたら、どれだけやりやすいことか…』

と思ったりしましたが、それは胸の内に収めて黙っておきました。

明日の朝は今日より冷えこむようです。うっかり風邪などひいてしまわないように、気をつけようと思います。

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木枯らし一号吹く立冬の中で

2024年11月07日 19時50分10秒 | 工作
今日は立冬、暦の上では今日から冬です。それを象徴するかのように、今日関東と近畿地方で木枯らし1号が吹きました。

今日は勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室のある日…なのですが、全学年が給食後に一斉下校になってしまった都合でお休みになりました。なので、今日は自宅でせっせと内職に励むことにしました。

勤務先の小学校の放課後子ども教室が時間を短くされたこともあって、最近かなりマンネリ気味になっているということで、久しぶりに子どもたちに工作をさせてみようということになりました。それで時期的な事も考慮して、昨年度に引き続き今年度もまた


紙皿リースを作らせようということになりました。

緑色の紙皿の土手っ腹に穴を空けたり、パンチで輪ゴムを通す穴を空けたりするのは終わったのですが、一人あたり二個ずつ必要なプレゼントボックスは大量生産する必要があります。なので、



現在絶賛量産中です(笑)。

明日は、特に朝晩かなり冷えこむ予報が出されています。秋らしい秋がないまま冬を迎えてしまいそうで、何とも微妙な気分です…。

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芸術軽視な学校現場と『りんご🍎パイ』@横浜あざみ野《雫ノ香珈琲》

2024年11月06日 18時30分18秒 | カフェ
今日、勤務先の小学校で『アウトリーチ』という時間がありました。『アウトリーチ(outreach)』とは直訳すると「外に手を伸ばす」という意味で、困難を抱えながらも支援の必要を自覚していない、相談意欲がない、支援拠点に足を運ばない人など、従来の施設型支援から取りこぼされることが多い人々への支援手法として開発されました。

現在ではそこから派生して意味合いが多岐に渡っていて、『アウトリーチ』には次のような意味もあります。

①医療や福祉の分野では、病院や施設から地域に出て、患者や当事者のところで活動をすること。支援が必要な人に対して、行政や支援機関などが積極的に働きかけて情報や支援を届けるプロセスを指す。

②心理学用語としては、支援者が対象者のもとへ出向いて支援することであり、訪問支援とも言われる。

③芸術文化や教育、科学技術の分野では、出前講座や出張コンサート、施設公開やホームページの充実等を指す。

今日はこの中の③に相当するもので、子どもたちの前にプロの演奏者を招いての出張コンサートというものでした。

今日出勤した時に、主任が

「折角楽器持ってるんだったら、先生(私)も混ぜてもらったらどうですか?」

と軽口を叩いてきたのですが、私は嫌味の熨斗を貼り付けて丁重にお断りしました。出演者はこの日に向けてかなり前から子どもたちに向けてのプログラム構成などを考えているのですから、そこにたまたま楽器の弾ける人間がチョロチョロ出ていったりしたら、折角の彼らの前準備がブチ壊しになるのです。

こういうところからも、今の学校現場が芸術に対して深く考えていないことが分かります。どんなに予算を使って音楽家を外注しようが、彼らにしてみたら私らみたいな音楽稼業は河原乞食か何かに見えているのでしょう。

そんな小学校勤務を終えてから、横浜あざみ野の音楽教室に向かいました。そして、いつものように《雫ノ香珈琲》に立ち寄りました。

毎年11月は開店周年月間ということで、様々なプレミアムメニューが登場します。今回はその中から



『りんご🍎パイ』をオーダーすることにしました。

これから旬を迎えるりんごをコンポートにしたものが口当たりの軽いカスタードクリームと合わされて、サックサクに焼き上げられたパイに添えられています。バニラアイスにもりんごのすりおろしがあしらわれ、キャラメルソースが全体を彩っています。

こちらでは毎年12月に



『りんごとカスタードのワッフル』を提供していることから、似通ってしまうアップルパイを今まで避けていらしたようです。しかし、

「毎年11月にパイを提供しているからにはアップルパイは避けて通れない」

ということで、今回実現したとのことでした。

毎年12月のワッフルも勿論楽しみなのですが、今回のアップルパイはそれとはまた違った味わいと食感で、全く違うものとして味わうことができました。まだまだ周年記念特別メニューはいろいろとありますから、また改めて堪能しようと思います。

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久々堪能!回鍋肉

2024年11月05日 17時17分17秒 | グルメ
今日、給食の時間にちょっとした事件がありました。

私は低学年のクラスに混じって食事指導しながら給食を摂っているのですが、今日私が少し遅れ気味に教室に到着したら、いつも元気が有り余っている男子が号泣していました。何だ?と思っていたら、その男子が私に近づいてきて

「ぜんぜー、ごべんなざい。ぜんぜーの分の給食のおかず、床に落どしぢゃいばじだぁっ(ノД`)エグッエグッ」

と、号泣しながら謝罪してきたのです。

話を聞くと、どうやら教室内で走りまわっていた時に配膳台にぶつかったか何かした弾みで、私の分のおかずの回鍋肉が食器ごと床にダイブしたのだそうです。それで、担任からしこたま怒られたのだそうで、私が到着するまでその子の給食がおあずけになっていたようでした。

私は、とりあえず食器が割れてケガなぞしていないかを聞いて、身辺の無事を確認しました。そしてその子に

私:「教室や廊下では走りま…」

子:「…せん!」

と約束させて、何とか担任にも許してもらうことができました。

私の分の回鍋肉は担任や子どもたちからちょっとずつ徴収したものが用意されていたので、とりあえず口にすることはできました。それでも、何だかものすごく少なくて食べた気がしなかったので、帰りに



『餃子の王将』に寄って、本格的な回鍋肉定食を堪能してきました(笑)。

明日は、今日よりも更に気温が下がるようです。あちこちで鼻をすする子どもたちが見受けられましたが、自分も気をつけようと思います。

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祝!横浜DeNAベイスターズ26年ぶり日本一!

2024年11月04日 17時17分17秒 | 日記
いやぁ、昨日はスゴかったですね。

プロ野球の「SMBC日本シリーズ2024」は3日、横浜スタジアムで第6戦があり、セ・リーグ3位からクライマックスシリーズを突破した横浜DeNAベイスターズが、パ・リーグ優勝の福岡ソフトバンクホークスに11―2で勝ち、日本一に輝きました。1998年以来26年ぶり、大洋・横浜時代を含むと3回目の日本一となりました。

DeNAは、2011年オフに現球団名になってからは初の日本シリーズ制覇となりました。リーグ3位からの日本一は2010年のロッテ以来2回目で、セ・リーグ球団では初めてとなります。

DeNAはクライマックスシリーズで2位の阪神、優勝の巨人を破って7年ぶりに進出した日本シリーズで、前回敗れたソフトバンクに雪辱しました。98年当時、横浜投手として日本一を経験した三浦大輔監督(50)は、就任4年目で栄冠に輝きました。

神奈川県に住んでいるからか、近隣でもかなり盛り上がっているのが分かりました。特に



2回に筒香が右中間へのソロホームランを放って先制した時には、近隣からも歓声が上がっていました。



1998年、三浦大輔監督や石井琢朗コーチは選手として横浜ベイスターズ(当時)で優勝を経験しました。それから26年後、今度は横浜DeNAベイスターズ監督とコーチとして再び優勝したのですから、その歴史を知っている身からすれば感慨深いなどというものではありません。

日本一は横浜DeNAベイスターズ、メジャーリーグではロサンゼルス・ドジャースが優勝して、今年の野球シーズンが終わりました。これからしばらくは、スポーツニュースも静かになることでしょう。

明日から、また学校が始まります。今年最後の三連休を満喫した…はずの子どもたちは、一体どんな顔で登校してくるでしょうか。

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今日はベッリーニの誕生日〜今も演奏される若き日の作品《オーボエ協奏曲 変ホ長調》

2024年11月03日 17時50分10秒 | 音楽
今日は天長節です。昨日の大雨から一転、今日は『晴れの特異日』たる天長節の面目躍如といった快晴の空が広がりました。

今日は溜まっていた洗濯物を一気に片づけて、午後から散歩に出かけました。2時間ほど歩きましたが、爽やかな秋風の中の散歩は気持ちのいいものでした。

ところで、今日11月3日はベッリーニの誕生日です。



ヴィンチェンツォ・サルヴァトーレ・カルメーロ・フランチェスコ・ベッリーニ(1801〜1835)はシチリア島・カターニアに生れパリ近郊で没した作曲家で、主としてオペラの作曲家として有名です。

ベッリーニは、ロッシーニやドニゼッティとともに『ベルカント・オペラ』と称される19世紀前半のイタリアオペラを代表する作曲家です。特にベッリーニについては、ショパンやワーグナーらの賞賛と愛情の言葉を得ている事で知られています。

ベッリーニは、合唱指揮者でオルガニストでもあったロサリオ・ベッリーニを父とし、11人兄弟の第1子として1801年11月3日、カターニアで生まれました。祖父ヴィンチェンツォ・トビアも宗教音楽やオペラなどを手がけた作曲家で、祖父と同じ名を名付けられたベッリーニは3歳で音楽の勉強を開始し、6歳で最初の宗教声楽曲を作曲しました。

1819年、貴族の後援者の助力のもと、ナポリ王立サン・セバスティアーノ音楽院に入学しました。作曲を師事したニコロ・アントニオ・ツィンガレッリが熱心な古典音楽の信奉者であったことも手伝ってか、この時期には2曲のミサ曲に代表される約20ほどの宗教声楽曲や6つの交響曲などを作曲しています。

音楽院在学中に書いたオペラが劇場支配人の目に留まったベッリーニは、そこから《夢遊病の女》や《ノルマ》《清教徒》といった数々の名作オペラを発表しました。しかし1835年に、わずか33年の生涯をパリ近郊で終えてしまいました。

そんなベッリーニの誕生日にご紹介するのは《オーボエ協奏曲 変ホ長調》です。

《オーボエ協奏曲 変ホ長調》はベッリーニによるオーボエ協奏曲で、音楽院在学中の1823年に作曲されたと思われています。唯一の現存する協奏曲で、ベッリーニの限られた器楽作品として重要な作品です。

演奏時間は通常7~8分と、協奏曲としてはかなり短いものです。全体は
第1楽章:リゾルート・アレグロ
第2楽章:ラルゲット・カンタービレ
第3楽章:アレグロ・ポロネーズ

で構成されています。

第1楽章は弦楽合奏のみによる、わずか8小節のト長調のアレグロです。唐突ではありますが、これを聴いただけでも後のベッリーニのベルカントオペラの名曲たちを予感させるものとなっています。

第2楽章は変ホ長調のラルゲット・カンタービレです。この楽章はオペラ・アリアのカヴァティーナという、ゆったりと情感豊かに歌い上げる部分に相当するものです。

そよ風のような弦楽合奏にのって、オーボエが切々とした歌を紡いでいきます。途中に技巧的なフレーズが挟まってくるあたりは、後にベルカント・オペラの作曲家となるベッリーニの面目躍如といったところです。

第3楽章は変ホ長調のアレグロ・ポロネーズです。この楽章はアリアのカバレッタという技巧的な部分に相当するもので、この作品全体の半分以上の長さがあります。

弦楽合奏のピッチカートにのって、オーボエソロがコロラトゥーラ・ソプラノのアリアのような旋律を歌い上げます。途中で弦楽器と有機的に絡んだり、憂いのあるト短調の部分を挟みながら何とか冒頭のメロディを演奏し、オーボエがクライマックスを歌い上げた後は、弦楽合奏がオペラ・アリアの結びのような小気味良いコーダを奏でて終わります。

そんなわけで、今日はベッリーニの《オーボエ協奏曲 変ホ長調》をお聴きいただきたいと思います。トマス・インデアミューレのオーボエで、後のオペラ作品を彷彿とさせる佳品をお楽しみください。



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今日はブラームス《ハイドンの主題による変奏曲》の初演日〜管弦楽版と2台ピアノ版

2024年11月02日 17時17分17秒 | 音楽
昨日の天気予報の通り、今日は冷たい雨の降る一日となりました。運動会が先週の土曜日で、本当によかったと思います。

ところで、今日11月2日は《ハイドンの主題による変奏曲》が初演された日です。

《ハイドンの主題による変奏曲》は、



ブラームスが1873年に作曲した変奏曲で、《ハイドン変奏曲》の略称や《聖アントニウスのコラールによる変奏曲》の別称でも親しまれている作品です。先に2台ピアノ版(作品56b)が書かれ、次に管弦楽版(作品56a)が完成し、同年11月2日にウィーン楽友協会ホールで初演されました。

1873年頃のブラームスは指揮者としても活躍中でしたが、交響曲第1番の構想中でもあり管弦楽に強い関心を持っていました。この曲は、管弦楽曲としては1859年、26歳の時に書かれた《セレナード第2番》以来14年ぶりの作品です。

ブラームスがこの主題を取り上げたのは1871年、ブラームスが38歳の時にウィーン楽友協会の芸術監督に就任したことが大きなきっかけでした。

ブラームスは、当時楽友協会の司書で音楽学者であり、ハイドン研究家だったカール・フェルディナント・ポールという人物と親しくなりました。ポールは以前から当時ハイドン作とされていた《ディベルティメント Hob II.46》の写譜稿に関心を持っていて、そのパート譜から総譜を独自に書き上げていました。 

すでにポールと知り合いだったブラームスは1870年頃にこの総譜を見ていたようですが、楽友協会の芸術監督就任後にポールと再会したことによって、ハイドン変奏曲の構想を拡大させたといわれています。ブラームスが主題に用いたのは、その《ディベルティメント》の第6曲の第2楽章で、冒頭に『コラール聖アントニー』と記されていたことから《聖アントニウスのコラールによる変奏曲》とも呼ばれていますが、近年の研究によってこの《ディベルティメント》はハイドン作ではないのではないかといわれています。

《ハイドンの主題による変奏曲》は、主題と8つの変奏曲、終曲から成ります。

●主題 アンダンテ 変ロ長調 2/4拍子



最初にオーボエとファゴットにより主題が提示されます。低弦楽器がピッツィカートを奏でる中、オーボエが中心となって音楽が進行します。


●第1変奏 ポコ・ピウ・アニマート 変ロ長調 2/4拍子

弦楽器がゆったりと流れるように歌います。8分音符と3連符、上行する旋律と下行する旋律が組み合わさって、奥行きのある響きを作り出しています。

●第2変奏 ピウ・ヴィヴァーチェ 変ロ短調 2/4拍子

主題冒頭の付点リズムを利用した変奏で、強弱の変化に富んだ躍動的な旋律が印象的です。

●第3変奏 コン・モート 変ロ長調 2/4拍子

オーボエとファゴットが8分音符を主体とした牧歌的な旋律を歌い上げます。この旋律は、弦楽器へと引き継がれていきます。

●第4変奏 アンダンテ・コン・モート 変ロ短調 3/8拍子
 
オーボエとホルンがゆったりと奏でる旋律がヴィオラの細かい動きと組み合わさって、憂いを帯びた雰囲気を作り出しています。そして、弦楽器と管楽器が入れ替わりながら音楽が進んでいきます。

●第5変奏 ヴィヴァーチェ 変ロ長調 6/8拍子

一変して活動的な変奏となります。3拍ずつのまとまった旋律がスタッカートで演奏されますが、休符やスフォルツァンドによって拍子感が乱されます。

●第6変奏 ヴィヴァーチェ 変ロ長調 2/4拍子
 
活動的な変奏が続き、弦楽器のピッツィカートにのせてホルンとファゴットが美しい和音を軽快に奏でます。後半は弦楽器も加わり、変奏曲はクライマックスを迎えます。

●第7変奏 グラツィオーソ 変ロ長調 6/8拍子
 
シチリアーノ(舞曲の一種)による変奏で、始めにフルートとヴィオラが優しく穏やかに奏でます。

●第8変奏 プレスト・ノン・トロッポ 変ロ短調 3/4拍子
 
暗く密やかな変奏で、弦楽器と管楽器が交替しながら8分音符で不気味に動き回ります。

●終曲 アンダンテ 変ロ長調 2/2拍子
 
最初にバスによって提示されたフレーズが16回繰り返され、変奏されていきます。終曲自体が小さな変奏曲となっていて、最後に再び現れた主題は壮大なコーダへと続き、この変奏曲は華やかに締めくくられます。

そんなわけで、今日はブラームスの《ハイドンの主題による変奏曲》をお聴きいただきたいと思います。ジョージ・セル指揮によるクリーヴランド管弦楽団の演奏で、なんとも多彩なブラームスの変奏曲の世界をお楽しみください。



因みに、今回は先に完成した2台ピアノ版も載せてみました。お時間がありましたら、管弦楽版との響きの違いをお楽しみください。



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霜月に咲いた山茶花の花

2024年11月01日 17時45分10秒 | 
今日から霜月です。2024年も、残すところ2ヶ月足らずとなりました。

今日は、時分でも驚くくらい穏やかな小学校勤務でした。ブチギレたり暴れたり泣き叫んだりする子は誰もおらず、

『普段からこんなに穏やかならいいのにな…』

などと思ってしまうくらいでした。

今にも雨が降り出しそうな曇天模様の中を下校させて、後片付けを済ませてから退勤しました。すると、駅までの道すがらに



美しい八重咲きの山茶花が咲いていました。



先月まで妙に暑い日があったりしましたが、



それでもこの薄紅色の山茶花は秋を感じて咲いてくれていました。この花が咲くと、いよいよ晩秋だなと感じます。

明日から今年最後の三連休となりますが、明日は台風21号から変わった熱帯低気圧の影響で天候が思わしくないようです。明日の風雨が、この子たちの花散らしにならなければいいのですが…。

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