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あゆ

 浜崎あゆみが自身の会員制ブログで、突発性難聴のため「左耳はもう完全に機能しておらず、治療の術はないと診断されたんだ」と明らかにしたとの報道が流れた。それを知って私は思わず、「片耳が聞こえなくても別にどうってことないよ」と呟いてしまった。それを聞いた妻は何とも表現しがたい顔をしていたが、それは私自身も右耳が全く聞こえないからだ。
 小学校に上がる前に、私の右耳が聞こえないことに母が気付いた。それまで一緒に並んで歩くと、必ず母の右側を歩いていたので狭い道などで車とすれ違ったりするときに危ないなあとぼんやり思ってはいたそうだが、何かのきっかけで私の右耳が全く聞こえないことに気付いてからは、本当に多くの病院へ連れて行かれた。名古屋の国立病院や日赤病院という当時は一番立派な病院で検査もしてもらったが、どこでも直る見込みはないと告げられた。その度に母が悲しそうな顔をしたのを今でも思い出すが、諦めきれない母は民間療法を行う少々怪しげな場所へも私を連れて行った。指圧とかお灸とか、効果があると噂に聞いた所へ通ったが、全く改善されなかった。母の涙を何度見たことだろう、しかし、私は全く平気だった。右耳が聞こえなくたって、左耳がある。片目が見えないならかなり不便だろうが、耳の一方が聞こえないくらい大したことじゃない。確かに右側から話しかけられると、そちらに左耳を向けなければ聞こえにくいこともあるから不便といえば不便かもしれないが、さほどのこともない。夜眠るときなど、聞こえる左耳を枕に押し付けてふさいでしまえば、周りが少々うるさくても静寂が訪れる。これはとても便利だ。怒られているときでもそっと左耳をふさげば怒声も粗方聞こえなくなる、本当に便利だ・・・、などと嘯いてずっと生きてきた。
 以前塾生で片方の耳が聞こえない生徒がいたが、その子が言うには「おたふく風邪」に罹った時に耳が聞こえなくなったそうだ。私の耳がどうして聞こえないのか、生まれつきのものなのか、病気に罹ってからのものなのかよく分からないが、その話を聞いて以来、自分の右耳も「おたふく風邪」のせいで聞こえなくなったのだ、と思うようになった。母は亡くなり、私の母子手帳がどこにあるのかも分からないから、私が何歳のときに「おたふく風邪」に罹ったのか、今となっては知る由もないから、勝手にそう思うことにしている。
 私の場合は、もうほとんど生まれつき片耳が聞こえないようなものだから、今ではそれが当たり前になっていて何の痛痒も感じない。電話を右耳に当てたことは一度もないことくらいが普通の人と違うくらいで、実生活に支障など何もない。だが、浜崎あゆみでは事情がかなり違う。発症してまだ数年しか経っていないし、歌手という何よりも音感を大切にしなければならない立場の人間だ、私のように気楽に構えてばかりもいられないだろう。
 ちょっと調べたところ、「突発性難聴は、通常片方の耳が突然聞こえなくなる病気で、全国で治療を受ける人は年間24000人(推定)。原因不明だが、ウイルス感染と内耳血管の循環障害の2説が有力とされる。軽度で治る人もいるが、有効な治療法などは確立されていない」のだそうだ。両耳が同時に聞こえなくなることはあまりないようなので、その点だけは安心できるが、浜崎あゆみにしてみればかなりの衝撃を受けた医師からの宣告であっただろう。その衝撃を乗り越え、ブログで事実をありのままに明かした彼女の精神的な強さには敬意を表したい。
 この話を聴いた瞬間に宇崎竜童も同じように難聴に苦しみながらも音楽活動を続けているのを思い出した。電気音のバンドが後ろに控えるロックやポップスの歌手に突発性難聴が起きているケースが多いとの指摘もあるが、一種の職業病という側面もあるかもしれない。左耳が悪くなるミュージシャンが多いようだが、それは、最も音が大きいドラムやベースが左後ろにいるためなのだそうだ。突発性難聴の治療には安静が第一とされているが、長期の休みを取ることはライバルの多い音楽の世界では難しいのかもしれない。多くのミュージシャンが己の体を犠牲にしながら音楽活動を続けているとしたなら、痛ましいことである・・。
 音楽界のみならず、どの世界でも身を粉にして働かなければ立ち行かない昨今だが、体調の芳しくないときには無理せず休む勇気を持っていなければならないだろう。それは、忙しさを毎日嘆いている己自身への戒めでもあるが・・。
 
 頑張れ、あゆ!!
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