毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
娘
どうしてだか、年末に帰省した娘の態度が柔らかい。恐ろしく人当たりがいい。不思議だ。
去年の元旦、名古屋駅のイタリア料理店に行ったとき、なんだか娘にむかついていらいらした記憶があるが、そんな刺々しさが全く消えていいお嬢さんになっている。不思議だ。
妻は、自分が風邪を引いていたため、それを慮った娘が優しく対応してくれていると言うが、そればかりではないような気がする。一言で表現するのは難しいが、ものすごくマイルドになった。例えば、ビールを取ってきてくれと頼んでも、少し前なら「いやだ」の一言で終わっていたのが、この正月はぶつくさ言わずに持ってきてくれる。進歩なのよく分からないが、不思議だ。
大晦日から、元旦にかけて初詣に行く際にも、布団に入ってぐずぐずしていた祖父を説得して一緒に参拝させるのに成功したのも娘のお陰だし、2日の新年会への運転手も友達と会う予定をずらしてまで引き受けてくれた。本当に不思議だ、何が起こったのだろう?娘の京都での暮らしぶりは一切知らない私ではあるが、これほどまでに丸くなった娘を見ると、反って心配になりさえする。
年末は卒論のための実験でろくに睡眠をとらずにいたそうだが、それが影響したのだろうか。それとも、実験で犠牲にしたマウスの魂を鎮魂するために修道女のようになってしまったのか?とにかく、不思議な気がして仕方がない。
三が日、一緒にTVを見ることも多かったが、ヤクルトのCMが流れたときに
「Lカゼイ・シロタ株っていうのは、代田って言う人が見つけたから命名されたんだよ」などと、ちょっとした薀蓄を披露してくれるのを聞いている限りは以前とさほど変わってはいないはずだが、どういう訳か印象がものすごく違う。不思議だ。
3日に娘は地元の友達と買い物に行くと出かけて行き、「戦利品」と称して買ってきたものの品評会をしてくれた。
もうすぐ22歳になる娘にお年玉をくれる親戚が何人かいるのは有難い。お年玉がこの衣装の金主だが、さすがに今年でお年玉がもらえるのは最後だろう。「バーゲンだから・・」と言いながらも結構な散財だったように思う。まあ、自分が好きなように使えるお金があるのは幸せなことだから、私も溜息をつきながら眺めていた。少し前なら、買ってきた服など私に見せるなんてことはなかった。それなのにこの変わりようは何だろう、不思議だ。
直接娘に確かめようにも、4日朝早くからバイトがあるとかで京都に戻っていってしまったので、どうしようもない。ただ、大学院への進学も決まって心に余裕が生まれているのかな、と思わないでもない。だが、果たしてそれだけなのだろうか。年頃の娘を持った父親の心配を今まで一度も味合わせてくれたことのない娘が、やっとそんな思いを私にさせてくれるのか、などというのも的外れな気がしないでもない。
ならば、娘も人間的な深みが進んだのだな・・、そう思いたい正月であった。
(なんだかんだ言っても自分の娘がいちばんだよね・・。もちろん息子も!!)
去年の元旦、名古屋駅のイタリア料理店に行ったとき、なんだか娘にむかついていらいらした記憶があるが、そんな刺々しさが全く消えていいお嬢さんになっている。不思議だ。
妻は、自分が風邪を引いていたため、それを慮った娘が優しく対応してくれていると言うが、そればかりではないような気がする。一言で表現するのは難しいが、ものすごくマイルドになった。例えば、ビールを取ってきてくれと頼んでも、少し前なら「いやだ」の一言で終わっていたのが、この正月はぶつくさ言わずに持ってきてくれる。進歩なのよく分からないが、不思議だ。
大晦日から、元旦にかけて初詣に行く際にも、布団に入ってぐずぐずしていた祖父を説得して一緒に参拝させるのに成功したのも娘のお陰だし、2日の新年会への運転手も友達と会う予定をずらしてまで引き受けてくれた。本当に不思議だ、何が起こったのだろう?娘の京都での暮らしぶりは一切知らない私ではあるが、これほどまでに丸くなった娘を見ると、反って心配になりさえする。
年末は卒論のための実験でろくに睡眠をとらずにいたそうだが、それが影響したのだろうか。それとも、実験で犠牲にしたマウスの魂を鎮魂するために修道女のようになってしまったのか?とにかく、不思議な気がして仕方がない。
三が日、一緒にTVを見ることも多かったが、ヤクルトのCMが流れたときに
「Lカゼイ・シロタ株っていうのは、代田って言う人が見つけたから命名されたんだよ」などと、ちょっとした薀蓄を披露してくれるのを聞いている限りは以前とさほど変わってはいないはずだが、どういう訳か印象がものすごく違う。不思議だ。
3日に娘は地元の友達と買い物に行くと出かけて行き、「戦利品」と称して買ってきたものの品評会をしてくれた。
もうすぐ22歳になる娘にお年玉をくれる親戚が何人かいるのは有難い。お年玉がこの衣装の金主だが、さすがに今年でお年玉がもらえるのは最後だろう。「バーゲンだから・・」と言いながらも結構な散財だったように思う。まあ、自分が好きなように使えるお金があるのは幸せなことだから、私も溜息をつきながら眺めていた。少し前なら、買ってきた服など私に見せるなんてことはなかった。それなのにこの変わりようは何だろう、不思議だ。
直接娘に確かめようにも、4日朝早くからバイトがあるとかで京都に戻っていってしまったので、どうしようもない。ただ、大学院への進学も決まって心に余裕が生まれているのかな、と思わないでもない。だが、果たしてそれだけなのだろうか。年頃の娘を持った父親の心配を今まで一度も味合わせてくれたことのない娘が、やっとそんな思いを私にさせてくれるのか、などというのも的外れな気がしないでもない。
ならば、娘も人間的な深みが進んだのだな・・、そう思いたい正月であった。
(なんだかんだ言っても自分の娘がいちばんだよね・・。もちろん息子も!!)
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