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小正月

 1999年までは1月15日が成人の日と決められていた。それがなぜか1月の第二月曜が成人の日と変えられてしまった。古くは元服の儀を小正月(15日)に行っていたことから、15日は成人の日という国民の祝日となったのに、小正月自体が馴染みの薄いものとなったため変更されたとも言われているようだが、「成人の日は15日」と慣れ親しんできた私には、15日以外に成人式が行われるのはどうにも違和感がぬぐえない。昔ながらの習慣が一つずつ消えていくのはやはり寂しい。旧弊は改めるべきだが、そのまま残しておきたいものだってたくさんあるはずだ。
 年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となり、松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もあるそうだ。従って、小正月までが本来の「松の内」ということになる。小正月が来たら正月は終わるわけだから、注連縄や門松は仕舞わなければいけない。塾の前に飾ってあった門松も昨日片付けた。

 

 私としては、いつまでも正月気分でいられなないので、もっと早くに仕舞って欲しかったのだが、製作者の父の意向を無視して取り壊すこともできない。小正月までは我慢しようと思っていたところ、昨日月曜日になって「もういい?」と父に打診してみたら、「うん」と言って解体してくれた。葉牡丹だけは土手に植えて、もうしばらく楽しむことになった。
 注連縄も外して、バスの中に飾ってあった小さな鏡餅も集めて来た。毎年鏡餅は近所の米屋さんが暮れになると注文を取りに来てくれる。バスに飾る餅もその米屋さんに頼んでいたのだが、今年初めてスーパーで売っている真空パック入りにものにしてみた。


 いつもだと、座席やダッシュボードが餅の粉で汚れてしまうのだが、今年の場合全くそんな心配も要らず、とても気持ちがよかった。カビが生えたりひび割れたりもせず、いつまでも変わらないままでいるので、このままずっと飾っておいてもいいんじゃないかと思うくらいだった。集めてみたら、賞味期限が8月までと書いてあったから、食べられるんだな、と当たり前かもしれないけど、妙に感心してしまった。
 室内に飾る鏡餅は今まで通りに米屋さんで頼んだのだが、塾の教室に飾っておいた大き目の鏡餅を正月2日に見たときにはびっくりしてしまった。


 暮れの30日に米屋さんが配達してくれたものを大晦日に飾っておいたものが2日にはもうこんなにひび割れていたのだから驚いた。教室に置いたときにはごく普通の餅の形をしていたのに、わずか40時間足らずで前衛的な芸術作品と見まがうばかりの形に変わっていたのだから、「よくもこんな形に・・」と思わず嘆息してしまったほどだ。でも、何故こんなに早くひび割れてしまったのだろう、不思議だ。
 米屋さんに注文した鏡餅は1週間ほど前に全部集めて、父に手渡した。これからは父が自分の炭焼き小屋で火を焚きながらこつこつその餅を食べていってくれる。それが我が家の冬の風物詩でもあるから、鏡開きの日でもぜんざいに餅を入れたりはしない。すべて父の腹に収まることになっている。
 しかし、立派な鏡餅でも、真空パックに入ったものを見かけると、なんだか味気なく感じてしまうのは私が旧世代に属し始めたからなんだろうか・・。
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