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「彼岸過迄」

 センター試験1日目の問題を新聞紙上で見ていたところ、夏目漱石の「彼岸過迄」が出題されたのを知って、驚くと同時に嬉しくなった。講評には、「過去にも出題歴がある夏目漱石からの出題。現代作家以外からの出題は2004年度の森鴎外以来である。概念的につづられている主人公の心情を、具体的にイメージして読むことに受験生は苦労したのではないか」などと書かれていたが、私個人の感想としては、センター試験の出題者もなかなかやるな、というものだった。「彼岸過迄」と言っても、漱石の作品の中ではさほど有名ではないだろう。漱石が喀血のため生死の境をさ迷った「修善寺の大患」後初めて書かれた作品であり、地味な物語と言ってもいいと思う。一応、「自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く」などと粗筋を語ることはできようが、いくつかの短編を集めて一つの長編を構成した作品だと思ったほうがいいように思う。
 私がこの作品でもっとも印象に残っているのは、発表前年の11月に、生後2年で雨の日に突然死亡した五女ひな子のことを描いた「雨の降る日」という章である。漱石自身もこれによって、「よい供養をした」と述べているほどの小編であり、最後に、「己(おれ)は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭(いや)になった」と述べているように、父親としての漱石の心情が随所に読み取れる佳品だと私は思っている。
 こんなに思い入れのある漱石の文章が題材にされたのだから、普段なら終わったばかりの試験問題を解いてみるなんてことは殆どしない私でも、挑戦してみないわけには行かない。目覚めたばかりでボーっとしていたが、全文を読んでみた。
 私の娘は漱石の小説は面白くないと言って、いくら私が薦めても漱石を読もうとはしなかった。それ以来娘と文学作品に関して話したことはない。漱石が分からないような奴とは話ができない、という思いからだが、高校の教科書から漱石や鴎外の文章が消えてしまった現代であるから、それも仕方のないことかもしれない。明治期の一本筋の通った文章など今の若者たちには読みこなせないかもしれない。あれほど濫読気味の娘でさえそうなのだから、今までに漱石を読んだことのない生徒では、「彼岸過迄」の文体になじめないまま試験が終わってしまった、者も多かったかだろう。もし私が高3生のときにこんな出題がされたなら、嬉しくてたまらなかっただろうが・・。
 「個」という観念など持たずに営々と暮らしてきた明治期の日本人にとって、漱石の唱導する「個人主義」がどれほど理解されていたのかは怪しい。漱石はこの日本に「個人主義」が根付くことを願い、己の心の中で葛藤を続けるうちに斃れた人物であるが、その後の私たち日本人が漱石の思いをどれだけ実現してきたであろう。出題された「彼岸過迄」の全文を読むうちに、100年近く前に生きていた日本人が何を考え、どう生きていたかを現代の若者に知らせ、人間と言うものは大して変わらないものだということを教えようというのが出題者の意図なら、それは大したものだと思う。受験生はさほどの深読みをする必要は全くないが、私としては出題者が「彼岸過迄」から出題することで、受験生たちに何を求めていたのかがぜひ知りたい・・。

 しかし、この出題によって、漱石のすごさというものを再確認できた。作中人物の心理分析は現代作家と比べて何らの遜色がない。
 私は新聞を読みながら、実際に解答してみた。もちろん全問正解だったが、塾長としては当然のことである。高校生の頃は、出題者の見解と私の読み取りが一致せず、現国で思わぬ失点をすることがあったが、人間もここまで生きてくると、出題者の意図を裏読みするずるさも身についているので、正解を導きやすくなった。でも、漱石フリークを自認している私であるから、たとえセンター試験であっても、全問正解できたりすると嬉しくなってくる
 ちいさな喜びであるが、こういう小さな喜びがいくつあるかによって人間の幸せ度合いが決まってくるように思うから、小さな喜びをおろそかにせず、少しずつかき集めていって、大きな喜びにつなげるようにしたいと思っている。

 センター試験の問題 


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