毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
辛いけど・・
WOWOWで録画した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を日曜の夜に見た。しんどい映画なのは知っていたが、実際に見てみると何度も途中で見るのをやめたくなった。「総括」とか「自己批判」とか、悪魔の呪文のような言葉で同志を虐殺していく過程を克明に描く場面は辛くて、見なきゃよかったと心から後悔した。日曜の夜でかなり酔っ払っていたため、何とか我慢して最後まで見ることができたが、素面で見るにはかなりの気合がいるだろう。正視に耐えられないような凄惨な場面が続き、連合赤軍という団体が、思想という(しかもかなり偏狭な)仮面をかぶった殺人集団としか思えず、彼らの目指した「革命」というものが一体何であったのか、まるで理解できなかった。学生運動がほぼ収束した頃に大学生となった私であるから、些かのノスタルジーも感じずに、そうした感想をもてるのかもしれない。その証拠に連合赤軍の「兵士」たちの主張は生硬な言葉の羅列としか思えず、まったく私の心に響くものではなかった。
だが、社会を変革することを標榜する「革命運動」が、社会の広範な支持を得られずに次第にカルト化していった道程を描いた映画であるとするなら、その意図は十分伝わってきて、見応えのある作品だった。
「革命」と言えば、今年の初めに「チェ・ゲバラ」の生き様を描いた映画を続けて見た。そこに描かれていた革命家たちは、ひたすら社会を変革しようという熱情に駆られ、自らの命を燃やし尽くしていた。悲惨な生活を余儀なくさせられていた人々が中心となって行われていた南米の革命運動と、大学生たちの頭の中で理想化された日本の革命闘争とでは、比較できないのは自明だと思えるが、当時その渦中にいた人々にはその違いが見えなかったのであろう。よりよい社会を作り出すための手段としての「革命」が、いつの間にか目的となってしまい、その目的を貫徹するためにはどんな手段も厭わないという思想の暴走が起こってしまったのだろう。 一旦暴走し始めた集団から離脱することはとても難しい。声高に叫ぶ者の勢いに気圧されて思考停止状態になってしまった者たちが、善悪の判断を留保して自動人形のように行動してしまう。それが何度も繰り返された挙句に破滅に達する。私には映画の最後で、あさま山荘に立てこもったメンバー1人である16歳の少年が仲間に向かって叫ぶ言葉が、全てを語っているように思えた。
「おれたち、勇気がなかったんだ!、あんたも、あんたも!!」
勇気、「それは間違っている、そんなことをしても何もならない」と言うだけの勇気、たとえ命令されたとしてもできないことはできないと断る勇気、「おかしいな、ついていけないな」と感じたら立ち止まる勇気、そうした勇気が欠けていた者たちが追い詰められて、あさま山荘まで突き進んで来てしまった、まさにそう「総括」する少年の叫びは、私の心の真ん中を射抜いた・・。
だが、それは普段の我々の生活でも心に留めておかねばならない教訓だろう。当たり前のことが当たり前にできない状況の中でも、当たり前のことを当たり前にしなければならない、簡単そうで難しいことではあるが、それができなければやがて大きな過ちとなってしまう。それはわざわざ過去の歴史を紐解くまでもない真実であるが、ともすれば忘れてしまう真実であろう。その意味でも、そうした危うい過程を私たちに知らしめてくれるこの映画は必見の価値があると言っても過言ではないように思う。
実はこの映画を撮った若松孝二監督の記事が4月25日の毎日新聞夕刊に載っていた。そこには、この映画をかつての赤軍派のメンバーに見せたら、全員が泣いたという監督の言葉があった。彼らが生半可な反応を見せたら殴ってやろうと思っていた監督は拳を納めたそうだ。「全共闘世代はあの時代の総括をしていないよ」という言葉、さらには、全共闘世代への「社会でもあなたたちが『嫌なものは嫌だ』と言い続けてくれていたらもう少しはまともな国になっていたよ」というメッセージも載っていた・・。
いろんな意味で厳しい映画だった。
だが、社会を変革することを標榜する「革命運動」が、社会の広範な支持を得られずに次第にカルト化していった道程を描いた映画であるとするなら、その意図は十分伝わってきて、見応えのある作品だった。
「革命」と言えば、今年の初めに「チェ・ゲバラ」の生き様を描いた映画を続けて見た。そこに描かれていた革命家たちは、ひたすら社会を変革しようという熱情に駆られ、自らの命を燃やし尽くしていた。悲惨な生活を余儀なくさせられていた人々が中心となって行われていた南米の革命運動と、大学生たちの頭の中で理想化された日本の革命闘争とでは、比較できないのは自明だと思えるが、当時その渦中にいた人々にはその違いが見えなかったのであろう。よりよい社会を作り出すための手段としての「革命」が、いつの間にか目的となってしまい、その目的を貫徹するためにはどんな手段も厭わないという思想の暴走が起こってしまったのだろう。 一旦暴走し始めた集団から離脱することはとても難しい。声高に叫ぶ者の勢いに気圧されて思考停止状態になってしまった者たちが、善悪の判断を留保して自動人形のように行動してしまう。それが何度も繰り返された挙句に破滅に達する。私には映画の最後で、あさま山荘に立てこもったメンバー1人である16歳の少年が仲間に向かって叫ぶ言葉が、全てを語っているように思えた。
「おれたち、勇気がなかったんだ!、あんたも、あんたも!!」
勇気、「それは間違っている、そんなことをしても何もならない」と言うだけの勇気、たとえ命令されたとしてもできないことはできないと断る勇気、「おかしいな、ついていけないな」と感じたら立ち止まる勇気、そうした勇気が欠けていた者たちが追い詰められて、あさま山荘まで突き進んで来てしまった、まさにそう「総括」する少年の叫びは、私の心の真ん中を射抜いた・・。
だが、それは普段の我々の生活でも心に留めておかねばならない教訓だろう。当たり前のことが当たり前にできない状況の中でも、当たり前のことを当たり前にしなければならない、簡単そうで難しいことではあるが、それができなければやがて大きな過ちとなってしまう。それはわざわざ過去の歴史を紐解くまでもない真実であるが、ともすれば忘れてしまう真実であろう。その意味でも、そうした危うい過程を私たちに知らしめてくれるこの映画は必見の価値があると言っても過言ではないように思う。
実はこの映画を撮った若松孝二監督の記事が4月25日の毎日新聞夕刊に載っていた。そこには、この映画をかつての赤軍派のメンバーに見せたら、全員が泣いたという監督の言葉があった。彼らが生半可な反応を見せたら殴ってやろうと思っていた監督は拳を納めたそうだ。「全共闘世代はあの時代の総括をしていないよ」という言葉、さらには、全共闘世代への「社会でもあなたたちが『嫌なものは嫌だ』と言い続けてくれていたらもう少しはまともな国になっていたよ」というメッセージも載っていた・・。
いろんな意味で厳しい映画だった。
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