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哀悼・・

 弁慶が死んだ・・・。

 午前中はか細い鳴き声を上げていたのに、私たちが出かける時に犬小屋をのぞいた時には律儀にも顔を上げて見送ってくれたのに、戻ってきたら、呼びかけてもまるで反応しなくなっていた。
「弁慶!」
と当てもなく叫ぶ私を尻目に犬小屋の中に入っていった妻が弁慶を撫でてやると、かすかに反応したらしい。
「虫の息だね・・」
真っ赤な目をした妻がそういうから、もう本当にだめなんだろう。さほど苦しまずに逝けるのだから弁慶にとっては幸いなのかもしれない・・。
 その後間もなく、まったく呼吸の音がしなくなってしまったから、死んでしまったと判断するしかなかった・・。後で血統書を見てみたら、平成9年春の生まれとなっていたので、享年12歳半だと分かった。13歳かと思っていただけに1年寿命が短かったような気がしないでもなかったが、大型犬の秋田犬としては天寿を全うした大往生と言ってもいいように思う。
 
 糞尿にまみれた犬小屋の中にいつまでも置いておくのは忍びないので、犬小屋を壊して遺体を出してやって、毛布に包んでやった。妻の誕生日に贈ったかすみ草がまだ元気だったから、妻がそれを毛布の上に捧げた。眠るような顔をしている弁慶を見ると涙が止まらなかった・・。秋田犬は年をとってもベビーフェイスだけに年齢を感じさせないが、「老衰と言われても仕方ないほど年をとっていたんだな」と、あまりに安らかな死に顔を見ながら、弁慶と過ごした時間を振り返ってみた。飼い主としてきちんと弁慶に接してきたか、と問われると返答に困ってしまう。それもすべて己の怠慢のせいだと思えば辛くもあるが・・。

 在りし日の弁慶の姿を写した写真のいくつかを以下に掲げて、死んだ弁慶に哀悼の意を表す・・。


 こんな可愛い犬をそれまで見たことがなかった私と妻は、弁慶に一目ぼれしてしまい、思わず秋田犬専門店から買ってしまった。生後間もない頃なのに体躯が真四角で頑丈そうだったのは今でも目に浮かぶ。しばらく家の中で飼っていたが、家の外で飼い始めた夜にはずっと鳴いていたのが今でも忘れられない。
 弁慶を我が家に招いた細かな経緯は2005年10月19日の記事に書いてあるが、弁慶が家族の一員として確固たる地位を築いていたのがよく分かる。
 その後もたびたびこのブログに登場してきた弁慶だが、やはり寄る年波には勝てない。次第に弁慶の老齢化に話題が行きつくことが多くなり、寂しい思いもしてきた。果たしてこのまま老いさらばえさせてしまってよいものか、そんなことが脳裏をかすめるようになった頃、弁慶が立てなくなってしまった・・。


 先週水曜日の、弁慶が餌を食べなくなった日に撮った写真。これが弁慶の最後の姿になるだろうと覚悟しながら撮ったが、震えてしまったのかピンとがあっていない。苦しかったのだろうが、私が呼びかけるとこちらを向いてくれた。

弁慶、今までありがとう。
ゆっくり休んでくれ。
そのうち私もそばに行くから、また会おう!
それまでしばしの別れだ。
とりあえず、さようなら。
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雪の朝

 昨日の朝、目覚めてすぐに窓を開けた。
「やっぱり雪だ・・」
天気予報で十分覚悟していたから驚きもしないが、見た感じでは大雪というほどでもなさそうだった。しかし、土曜は朝から塾生をバスで迎えにいかねばならない日だから、道路の様子を見なければ何とも言えない。それに、弁慶はどうなっているのか・・、すぐにベッドから起き上がって外に出た。
 案外道路に雪は積もっていなかった。さすがに橋の上はうっすらと積もっていたが、これくらいならたぶん大丈夫だろう。一安心して弁慶の按配を見に行った。
「おはよう、弁慶!」
と声をかけたが、動く気配はない。えっ?と犬小屋の中をのぞくと、小屋の中にことつ布団が押し込まれていた。
「何だ、これは?」
とちょっとギョッとしたが、目を凝らしてみたら、布団の下に弁慶の顔が見えた。こちらを見ている。
「生きてた・・」
覇気のある顔ではないが、昨夜のように苦しそうでもない。何か訴えかけるようにこちらを見るから、
「どうした弁慶?」
と言いながら、思わず頭をそっと撫でてやった。久しぶりだ、弁慶を触ったのは。動けなくなって以来、ずっと私が近づくと唸り声を上げて威嚇してきたのに、今朝の弁慶はそれ以前のおとなしくて可愛い弁慶そのものだった。
「おお、弁慶・・」
涙がこみ上げてきて、弁慶の顔が見えなくなってしまったが、ゆっくり撫でていると、弁慶の体の冷たさが伝わってきた。体温が下がっているのだろうか?それなら、誰なのか分からないが、布団を犬小屋の中に入れたのは適切な処置だった。しかし、誰だろう?
 その時そばを通りかかった父に尋ねてみたが
「俺じゃない」
という返事だった。それならやっぱり・・、と思って家に戻ったところ、偶然妻が二階から下りてきたところだったので、
「弁慶に布団をかけてやったのはお前か?」
と訊いてみた。
「うん。もし暗いうちに死んじゃって、朝冷たくなった体しか触れなくなったらいやだから、生きているうちに触っておきたいなと思って3時頃弁慶のところに行ったの。懐中電灯で照らしたら、寒そうだったから、物置からこたつ布団を出してきて、弁慶にかけてやったんだけど、その間中おとなしくしていたから、それから30分くらいずっと撫でてやってた・・」
「何やってるんだ、お前が風邪ひくだろう」
「着こんでいったし、犬小屋の中はそんなに寒くなかったから平気だった」
「それでも、無茶苦茶だよ、そんなこと。まったく・・」
時々意表を突くことをするから困ってしまう・・。

 しかし、そのおかげなのだろうか、昨日の弁慶は少しばかり元気を回復したように思えた。餌を口元に持っていっても、プイと横を向いてしまうのは一昨日と同じだったが、柄杓に汲んだ水は何杯か飲んでくれた。「末期の水か・・」などといやなことも思ったが、何も口に入れないよりはいいだろう。それに時々はかすれた声で吠えたりもしたから、少しは状態がよくなったのだろうか、と安直な希望を抱いてしまったが、そんなに生易しいものではないだろう。現状を直視しているつもりでいても、ついつい気持ちが楽になるような考えに逃げ込みたくなってしまうのは仕方のないことではないだろうか・・。

 雪は午前中でやみ、昼からは晴れ上がったから雪はあっという間になくなってしまった。バスの運転に支障が出なかったのは幸いだった。それでも体の芯まで冷え切ってしまうくらい寒い一日だった。暖房のきいた教室からは出ていきたくなかったが、どうしても弁慶のことが気になった。休憩時間になるとすぐに弁慶の様子を見に外に出たのだが、寒さに耐えきれずすぐに戻ってきてしまった。思いやりのないダメな飼い主だと自嘲してしまうが、そんなことなど言ってられないほど寒くて寒くて我慢できない一日だった。

 弁慶も秋田犬だから寒さには強いはずだ、負けるなよ!!

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弁慶・・・

 今この文章を書き始めたのは、午前0時半過ぎ。現時点で弁慶は生きている。一昨夜は、私が餌をやろうとしたところ、「う~~」と低いうなり声をあげて、柄杓に咬みついたりして私を困らせたのに、一晩明けたらガクンと弱々しくなってしまった。朝は犬小屋を遠くなら眺めて、無事でいることを確認しただけだったが、昼過ぎにドッグフードをやろうとしたところ、まったく食べようとしない。見れば前夜にやった餌もずいぶん残してある。
「食べられなくなったのか・・。とうとうカウントダウンが始まったのか・・」
頭でそう思ってみても、心は混乱してしまった。
「弁慶、どうした?元気出せよ。まだ死んじゃだめだ」
そんなバカなことを叫んでいるうちに涙が出てきた。弁慶は物憂げにちらっと私を見るもののすぐに目をそらしてしまう。すぐに目をつむり、うとうとと今にも眠りそうな様子だ。
「意識が混濁してるのかな・・」
ちょうど出かけていた妻に電話して弁慶の様子を伝えた。
「朝は元気なさそうだったから、大丈夫かな、って思ってたけど・・」
父にも話した。
「まあ、仕方ないわな」
そう言って、寂しそうな顔をした。家じゅうの誰もが弁慶が大好きで、弁慶はいつまでも元気でいてくれると思っていただけに、弁慶が歩けなくなって10日余りの間、みなずっと心が晴れない。ふと気付くと弁慶のことを話している。
「エサやろうとすると「ううっ~~」と唸るから腹が立つ」
などと私が言う時でも、動けなくても弁慶は力に溢れた弁慶のままだ、と確認できたようで嬉しくもあった。木曜日に獣医に話を聞きに行った時に、ここ10日間の弁慶の様子を話したところ、
「老衰ですね・・。何もしてやれないですね・・」
と先の短いことを示唆されたが、それでもこのまましばらくは頑張ってくれるのではないか、と思いこんでいた。しかし・・、

 昨日は塾で授業をしていても、ずっと弁慶のことが気になっていた。窓の下にある弁慶の小屋から、うめき声が聞こえたりしないか、ついつい耳をすませたことも何度かあった。塾バスに乗り降りするときにも必ず弁慶の様子を確かめた。
「弁慶、元気か?」
私の声に反応して弁慶が顔を上げてくれるとホッとした。
「頑張れよ!」
もうそれしか言えなかった・・。
 
 先ほど、いつものように餌をやろうと弁慶のところに行ってきた。
「おい、食べるか?」
だが、私が差し出した餌にはまるで見向きもしなかった。
「ダメか・・」
それでも諦めきれずに餌の入った柄杓を顔の近くに持っていったら、
「ぅぅぅ・・」
と小さく唸った。まだ唸る元気があるんだ、と少し嬉しくなったが、昨夜までとは全く違って、かえって弁慶が弱ってしまったことを痛感させる小さな唸り声だった・・。柄杓を手元に戻して、弁慶をじっと見ていたら、やたら呼吸が荒いのに気付いた。全身を小さく波打たせながら、呼吸をしている。苦しそうにも見える。じっと見ていたら、涙で弁慶の顔が潤んできてしまったので、耐えられなくなって、
「また明日会おうな。弁慶、頑張ってくれよ」
そう言いきかせて、走って家に戻ってきた。
 あれが最後とならなければいいのだが・・。外は今にも雪が降り出しそうなほど寒い。毛布は一枚かけてあるものの、とても十分ではないだろう。だが、いくら弱っていても、私たちが手を伸ばせば必ず咬みつこうとするだろうから、今の時点ではこれ以上何もしてやれない。ただ、さほど苦しまずに安らかな眠りにつけるよう祈るばかりである。
 
 でも、弁慶、約束したとおり、明日も会おうな!!


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寒かったなあ・・(2)

 陶器というものは元来工芸品であり、芸術品ではないと、ずっと思ってきた私だが、それは陶芸作家という存在があまりにも身近な存在であり、人間的な奥行きに欠けた彼らが作るものなど芸術品という名に値しない、などと傲岸な思い込みをし続けてきたためなのかもしれない。今でもその思いは根強く残っているが、ここ3年続いている「陶のあかり道」をじっくり鑑賞していると、「芸術」か「工芸」かなどという区別よりも、「美しさ」を選ぶのか、「便利さ」に重きをおくのかという観点から陶器を見ていくと結構面白いんじゃないか、と感じるようになってきた。昼、明るい時には美しく見える灯りの器も、夜、灯りをともしてみるとさほどの役に立たないことが分かってがっかりすることもあるだろうし、またその逆の場合もあるだろう。その時にどちらの器を優れたものとするのか・・。なかなか難しい選択ではある。
 そんなことを考えながら、残りの灯りを見ていくのも楽しいかもしれない。

デジブック 『陶のあかり道09 6』


 これで今年の作品は夜と昼のどちらもデジブックに収めたことになる。
 だが、実はもう一つ素敵なあかりの作品群が、市街の中心部にある大きな建物の一階に展示されている。ランプを覆うようにした骨組みの上に、和紙を張って動物や花などの造形を表現しているのだが、これが陶器の作品群にも引けを取らないほどの風情がある。ロビーに設置された大きな壁に飾られた作品の中からいくつかのあかりの写真を撮ってきたので、以下に載せておく。

  

  

  


 これも全作品の写真を撮ってくればよかった、と後悔している。しかし、みな上手だなあ・・。
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寒かったなあ・・(1)

 「夜目 遠目 笠の内」という諺は、「女性は、夜見たとき、遠くから見たとき、笠をかぶっているところを見たとき、実際よりも美しく見える」という意味だが、先日このブログにその写真を貼り付けた「陶のあかり道」に並べられた作品群は、夜目でこそ映える物のように思われる。しかし、実際のところ明るい日差しの下で鑑賞した方がより味わいの感じられる作品もその中にはいくつもある。それは、過去2年間夜と昼のそれぞれの写真を撮ってきて、どれだけ見え方が違うかを比べてみた結果明らかであったので、今年も改めて検証してみることにした。(などと屁理屈を並べたところで、単なる言い訳に過ぎず、2日にわたってブログネタにしようとしているだけのことだが・・)
 しかし、昨日は寒かった。吹きっさらしの歩道を写真を撮りながら歩いていると、ブルブル震えてきたほどだった。何が楽しくてこんな目に逢わねばならないんだ!と叫びたくもなったが、自分が好きでやっていることだからどうしようもない。少しでも時間を短縮しようと次から次へ撮っていったから、写真の出来栄えにはまるで自信がない。でも、被写体がそこそこ面白いものばかりだったから、なんとか鑑賞に堪えるのではないだろうか、と自惚れている。

デジブック 『陶のあかり道09 その4』


 ちょうどここまで撮り終えた時に、「塾長!」と声をかける者がいた。ん?とカメラから目を離して声の方を振り返ったら、自転車に乗った塾生だった。「何してるんですか?」「記念写真・・」「何のために?」「いや・・、まあ、いろいろ・・」
私がブログをやっていることを知っている塾生は少ない。この塾生も知らないはずだから誤魔化しておいた方がいいだろう・・。
「試験終わった?」「はい、終わりました」「ご苦労!!」
などと、その場しのぎをしておいた。

デジブック 『陶のあかり道09 その5』


 この「陶のあかり道」も今度の日曜日で展示が終ってしまう。早く昼間に写真を撮ってこなくちゃ、と少々気が焦っていただけに、なんとか時間を見つけて思いを果たせたから一安心した。別にどうしても撮ってこなくちゃいけないものでもないのに、いつの間にか自分の義務のように感じてしまっているところが、自分でもバカらしい。でも、そんなアホだから、今までこのブログを続けてこられたのかもしれないなあ・・。
 
 例によって例の如く、続きはまた明日。

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エンゼルスへ

 「松井、エンゼルスと1年6億で合意間近か」
という見出しを見たのは、携帯のサイト「ワールドベースボール」上でだった。目覚めて間もない時だったので、「本当かな?」と半信半疑だったが、それから少しして喫茶店で同じサイトを覗いたところ、
 「松井、エンゼルスと1年契約で合意」
と断定口調になっていた。
「松井、エンゼルスに決まったんだって」
と妻に呟きながら、詳しく記事を読んでみた。
「エンゼルスが、ヤンキースからフリーエージェント(FA)になっている松井秀喜外野手と1年契約で基本合意した。14日、AP通信など複数の米メディアが伝えた。
 身体検査を経て正式発表される見通しで、年棒は今季の推定1300万ドル(約11憶500万円)から約半分の650万ドル(約5億5250万円)になるとみられる。
 35歳の松井は4年契約の最終年だった今季、主に指名打者で142に試合に出場して28本塁打、90打点。ワールドシリーズでは3本塁打の活躍で9年ぶりの世界一に貢献し、最優秀選手(MVP)に選ばれた。 
 FAとなっても、ヤンキース残留を希望していたが、ひざに不安を抱えていることなどから、ヤンキースとの契約交渉は進展していないとみられていた。
 松井は巨人時代の10年間でMVP、本塁打王、打点王を各3度ずつ獲得、2003年のヤンキース入団後も主軸打者として勝負強さを発揮したが、06年以降は左手首の骨折や両ひざの故障に苦しんでいた。ヤンキース7年間の成績は916試合出場、140本塁打、597打点で打率2割9分2厘。
 エンゼルスは3年連続地区優勝の強豪で、イチロー外野手の所属するマリナーズと同じア・リーグ西地区の球団」
コンパクトにまとめられていて、これ以上なにも付け加えることがないくらいの見事な記事だと思った。ヤンキースのGMのつれない発言が度々クローズアップされていたが、結局はヤンキースと再契約をするものだと思い込んでいた私にはまさに寝耳に水の出来事だった。だが、
「ジーターと敵になるのは辛いなあ・・」
とすぐに思ったものの、それ以上の感想はあまり浮かんでこなかった・・。
 あの歴史的なワールドシリーズが終わり、その余韻が徐々に冷め始めるのと同時に、私の松井に対する思いも次第に薄くなり始めた。FAとなり来季の所属球団がどこになるのか分からなくなっても、本当のことを言えば、どうでもよかった。この7年間、松井がチャンピオンリングを手に入れることだけを願い、ただひたすら応援してきた私の願いがかなってしまった時点で、私と松井の物語はフィナーレを迎えたという気さえしていた。映画や小説だったら、そこで幕を閉じればいいのだから、気楽なものだが、現実の世界は間断なく続いて行く。歓喜の渦の中にいつまでも身を委ねているわけにはいかない。私には私の生活がある。もうそろそろ松井から離れた生活を送ってもいいかな、となかなか移籍先の決まらない松井の去就を横目で見ながら、私の松井離れは静かに進行して行った・・。
 だからなのだろう、「エンゼルス移籍決定」のニュースが大して私の心に動揺を与えなかったのは・・。
「赤い帽子やアンダーシャツは松井に似合わないよなあ」 
上のニュースを読んでも、そんな下世話な感想しか浮かんでこなかったのだから寂しいものだ。
 松井を応援するのに大義名分など必要がないのは十分わかっている。「松井が好きだから応援するのみ」というゴジ健さんの声も十分に聞こえる。だが、私の松井に対する情熱は、MVPを取った瞬間に頂点を極め、一気に昇華してしまったような気がする。ブスブスと燃え滓が残っているのならまた火を熾すこともできよう。だが、完全に燃焼し尽くしてしまったものは、また燃え上げようとしても無理な話ではないだろうか・・。
 私はメジャーに移籍して何事かをなそうと必死でもがいている松井を見て、応援しようと心に誓った。それ以来、何事もなせずに必死でもがき続けた松井をずっと応援してきた。だが、何事かを成し遂げてしまった今の松井には私の応援などもう必要ではないだろうと思えて仕方ないし、「エンゼルス・松井を応援して行こう!」という熱い思いも湧きあがってこない・・。

 だが、来年4月、エンゼルスのユニフォームを着た松井を見たとき、私の心がどう動くかは、今の私には予測がつかない。松井が苦しみながら私に再び応援を求めてきたら・・、その時は何を差し置いても応援するに決まっているが、果たしてそんなことが起るだろうか・・。

 

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品切れ

 もうすぐクリスマス、甥を4人と姪を3人抱えている身としては、なにがしかのプレゼントを贈らねばならない時期だ。少し前から何がいいかと打診していたら、妹の子供たちからの返事は、高3の長女は受験生であるため、とりあえず「図書カード」、長男は高校に入ってギターを弾くようになったから、好きなバンドの楽譜、そして末娘は中学校でテニス部に入っているのでテニスシューズ、とそれぞれの「今」をよく表したものばかりだった。一年に一回のことなので、これくらいの希望はかなえてやらねばならないと思っているが、なかなか大変だ。
 弟の子供たちには、昨年までは服を買ってやっていたのに、今年からは自分たちの意見を言うようになって、あーちゃんはニンテンドーDSのソフト、「ポケモン・プラチナ」、ひまちゃんは同じくDSのソフトで「トモダチコレクション」が欲しいと言ってきた。この前私の家に遊びに来た時にあーちゃんはDSで嬉しそうに遊んでいたから、そんなにソフトばっかり買ってやってもいいのかな、と少し心配になるが、親も了承しているからそれでいいのだろう。でも、好きなだけゲームをやらせるなんてことはないように弟夫婦には注意しておこうと思っている。
 ここまでは簡単に決まった。問題なのは、弟の末息子、2歳半のひかるくんへのプレゼントだ。電話で尋ねたら、「仮面ライダーW」の変身ベルトが欲しいと言ってきた。本当にひかるくんが欲しいのか、あーちゃんが欲しくてひかるくんに便乗しているのか、あやしい気もしたが、変な詮索はせずにアマゾンで検索してみた。すると画像付きですぐに見つかった。


 「ベルトにセットすることで、メモリに内蔵された固有のサウンド&LEDが組み合わさり、劇中の変身シーンを再現!3フォームに変身可能!さらにマキシマムスロットにガイアメモリを装填することで、ライダーキック発動!ガイアメモリ4本付属」
などという説明も付いていたが、いったい何のことやらまったく理解できない。今でも「仮面ライダーシリーズ」が子供たちの間で人気だというのには驚くが、いつの時代も、変身ベルトは子供たちのあこがれの的なのだろう。この変身ベルトは最新のものだけあって、かなりの優れモノのようだ。クリスマスプレゼントに贈ったら、一度ひかるくんに見せてもらおう、などと少し心が浮き立ちながら、注文しようとした。だが、なんてことだろう、「現在品切れです」という表示が出ていた。どうして?と思いながらも、じゃあ、「トイザらス」にしてみるか、とサイトに行ってみたところ、そこでも「品切れ」・・。さすが、クリスマスシーズンだけある、とまだまだ余裕を持っていた私だが、その後ネット上でいろんなところを探しまわったが、どこもかしこも「品切れ」だった・・。なんてことだ、OTZ・・・・。
 「仮面ライダーW」なんてものをまったく知らなかった私は、その変身ベルトがどれだけ子供たちの間で人気商品なのかもまったく知らなかった。頼まれて、OK!と安請け合いした私がバカだった。どうしよう?
 仕方なく、すぐに弟のところを電話して事情を話した。
「プレミアのついたところだったら売っているかもしれないけど、そこまでしなくてもいいよな?」
「当り前だよ。別のを考えるから、無理しなくていいよ」
無理じゃないかもしれないけど、できればバカ高いものを買いたくはない。いくら恰好つけの伯父さんでも、そこまで愚かじゃない・・(はず)。
 それから何日か過ぎたが、まだひかるくんへのプレゼントは決まっていない。あーちゃんとひまちゃんにはとっくにプレゼントは届いたそうだから、ひかるくんにも早く決めて欲しいが、なにせ2歳半では自分の意志などあるはずもない。親があれこれ考えているだろうから、私としてはその結果をじっと待っているだけだ。
 
 でも、もうそろそろ決めて欲しいなあ・・。

(あと一人の甥は只今中学受験のために日夜勉強に励んでいる(?)らしいから、合格祝いに上乗せするという話になっている)
 

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サンスマ

 毎週日曜の夜9時からは「JIN-仁」を見ている。大沢たかおが江戸時代に迷い込んだ医師を見事に演じているのに加え、「おっぱいバレー」の綾瀬はるかが可愛らしくてずっと見ている。坂本龍馬役の内野聖陽の怪演もさることながら、このドラマで異彩を放っているのは花魁・野風を演じている中谷美紀であろう。私はこれまで坂井真紀と混同することが多かったが、このドラマでやっと二人の違いが分かるようになった。次週が最終回だということだが、どういう結末を迎えるか、楽しみでもあり、これで終わってしまうかと思うと寂しくもある。
 
 ところが、いつも一緒に見ている妻が、昨夜は見ないと言った。
「サンスマを見なくっちゃ」
「なんだよ、それは?」
「さんまとSMAPが一緒に出る番組」
「JINはどうする?」
「録画して後から見る。だって、さんまは自分のことしか話さないから録画ではとても見れないから、生で見なくちゃ・・」
なるほど、と思った。私も、さんまはもう「ごちそうさま」とここ何年も思っているから、妻の気持ちがよく分かる。TVはおしゃべりな人間ばかりだが、さんまは度を越している・・。結局、私は一人で「JIN」を見たのだが、やはり綾瀬はるかと中谷美紀がいい。二人が大沢たかおをめぐって話し合う場面では、私が大沢たかおになり代わりたい、そんなバカげた幻想さえ抱いたほどだった。

  「JIN」を見終わって妻の部屋に行ったところ、稲垣吾郎が50歳代の男性、「ひろくん」と週に2日以上一緒に暮らしているという友近からの情報を検証しているところだった。吾郎ちゃんはあっさりとそれを認め、まるで臆することがない。さすがの妻も初耳だったようで、
「吾郎ちゃん、それはダメでしょう」
と気をもんでいたが、吾郎ちゃん本人は全く平気な顔をしていたのが印象的だった。
「メンバーも驚いているんじゃないかな・・」
と妻は言うが、
「ジャニーズ事務所がOKを出してるからいいんだろう」
と私はつい余分なことを言ってしまった。
「それはそうだけど、なんだか嵐に対抗心を燃やしているみたい・・」
スマヲタとしてはすっきりしない様子だ。
「スマスマが嵐の番組に変わるかも、っていう週刊誌の記事に影響されているのかな・・」
などと、さらにマニアックな感想を述べられても私には到底理解できない。 
 だが、スマファンではない私でも、この番組の最後で「罰ゲーム」という名目で木村拓哉が熱湯風呂に入ったのにはびっくりした。妻は、
「なんで木村さんがこんなことまでしなくちゃいけないの?みっちーが悪い!!」
と号泣していたが、こうしたことはすべて台本通りだったのは、裸になった木村拓哉の左くるぶしにテーピングがしてあったことからも明らかだった。
「あれは静香とおそろいのタトゥーを隠すためのもの」
と妻が教えてくれたが、工藤静香にまで不満を言い始めたら、私としては何も言えなくなってしまう・・。

 それにしてもメンバー5人が生出演する番組は久しぶりに見た。確かに塾生の中では圧倒的に嵐のファンが多いが、そんな時流に影響されずにSMAPはSMAPらしい境地を開拓することに専念して行った方がいいように私は思う。なんだかんだ言っても、彼らはかっこいいし面白い・・。

 5人でジャニーズ事務所をやめちゃえばいいのに・・。
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ジオラマ(4)

 「鉄道模型 少年時代」のジオラマも16号まで刊行された。前回このブログで報告したのは、木製ベースを3枚合わせたところまでだったが、第13号で4枚全部揃い、これでジオラマ全体の大きさが具体的に分かるようになったのだから、まことに喜ばしい。


 裏面にはウレタンシートを貼った。これは木製ベースのガタつきや、移動したときに机やテーブルなどを傷つけるのを防ぐための処置だそうだ。所々に見える穴は配線を通すためのものであると説明書きにはあるので、いくつかの建物には明かりがついたりするようである。
 だが、やはりこれだけでは見ていてもさほど面白くない。第14号の付録である、川図面を貼り付けたら、一気に木製ベースの雰囲気が変わって、いよいよ本格的なジオラマ作りが始まったんだな、と実感した。


 4枚の木製ベースのうち、一段と低くなっている1枚に、自然な渓流を演出するための川面図を貼ったのが上の写真だが、このあと20号では川に架かる鉄橋が付録となってくるそうなので、楽しみだ。
 ここまでは順調にきたが、15号の付録「地面パネル」に関しては手痛いミスを犯してしまった。と言っても、木製ベースの上に貼り付ける地面パネルを3枚、付属品の木工ボンドで貼り付けることなど大して難しくなかった。失敗したのは、その時の様子をカメラに収めたはずなのに、どこを探してもその写真が見つからなかったことだ。ヘラでボンドを地面パネルの上で伸ばし、1枚1枚丁寧に貼り付けたおかげで、自分ながら上出来な部類に入ると思ったが、いかんせんその証拠写真がどうしても見つからない。中心部に重しを置いて24時間木工用ボンドが乾くのを待ったが、その過程を収めた写真すべてがどこかに消えてしまったのだから、実に勿体ないことをしてしまた。(ひょっとすると、PCに写真を取り込む前に、デジカメから消去してしまったかもっしれない・・)
 が、いつまでもそんなことを後悔していても始まらない、またすぐに最新号である第16号がやってきたのだから・・。今号の付録は、神社部用の地面パネル。神社は小山の上にあるという設定なので、5枚の地面パネルを重ね貼りして小山を作るのだそうだ。だが、地面パネルと言っても発泡スチロールを少し硬くしたようなものであり、それが5枚あるだけだけなので「1590円は高いよなあ・・」などとつい愚痴を言いたくなってしまったが、まあ最後には立派なジオラマができるだろうから、途中経過であれこれ文句をつけるのは差し控えるべきだろう・・。

 

 実はこの上に今までに組み立てた民家や駅舎などを並べてみた。すると殺風景な木製ベースの上が、一瞬で華やいだ雰囲気になった。これから先は徐々に里山駅周辺の町の様子が形作られていくだろうから、その喜びや楽しみは今までの比ではないはずだ。
 次号以降の展開が楽しみだ。
 
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ルーティン?

 12月の過ごし方は毎年ほとんど決まっている。上旬は一週間、中3生と小6受験生の保護者との面談。それが終ると、冬期講習のためのテキスト作り、その合間を縫って、お稲荷さんに参拝に行ったり、名古屋へ買い物に行ったりする。そうやって慌ただしくしながら冬休みに入ると、朝から夜遅くまでずっと塾の授業、それが30日までずっと続く。もうここ何年もこんな調子で師走を過ごしているものだから、まさにレールに乗ったように淡々と毎日が過ぎて行ってしまう。もちろんその年々で、細かな違いはあるにせよ、概ねこんな感じで1年の締めくくりとなる12月はあっという間に終わってしまう。
 今年は弁慶の異変という思ってもみなかったことが起こってしまったが、やらねばならぬことはいくつもある時期だから、ずっと弁慶にかかりっきりになる訳にはいかない。相変わらず全く動けないままだが、妻の機転でご飯を団子状に練ったものを食べさせたところ、「ううう!!」と私を威嚇しながらも、ペロッと平らげてしまった。しばらくはこのままの状態で生きていてくれるのではないか、と少し安堵することができたので、いくつかある用事を済ませるために名古屋へ出かけた。
 問題集を買い、先月生まれた赤ん坊のお誕生祝いを買い、お世話になった方へのお歳暮を買ったら、お腹がすいた。
「さあ、お昼御飯だ!」
と言っても、松坂屋で食べる場所と言ったら、中華料理の「重慶飯店」か味噌煮込みうどんの「山本屋」のどちらかにほぼ決まっている。昨日は妻がいつになく積極的に「麻婆豆腐」が食べたいと言ったので、重慶飯店に入った。が、注文するときにハタと困った。フカヒレラーメンか五目ラーメンか、どちらもおいしいから迷ってしまう。だが、待てよ、フカヒレラーメンならもう一段上のフカヒレの姿煮の入ったものもある。値段は1.5倍するが、たまには豪華な昼食も食べてみたい。どうしよう?
「普通のフカヒレラーメンは何回か食べたことがあるけど、姿煮はないよね」
「食べたことはあると思うよ」
「本当?覚えてないなあ」
「じゃあ、後でブログで調べてみたら。載せてるんでしょ?」
「食べたら載せてるんだろうけど、記憶にないなあ・・」
ともかく今年最後の贅沢をしてみようと、フカヒレ姿煮の入ったラーメンを注文した。


 テレ朝の「シルシルミシル」の新人AD・堀くん風に言えば、「フカヒレに薄く味付けがされていて、それがラーメンのスープとマッチしていて、具は青梗菜だけなのにそれがとてもシンプルに思えて、とってもおいしいです」
 しかし、これだけでは空腹を満たすことはできなかった。地階へ行って、赤福をほおばった。私が3個、妻が2個をあっという間に食べてしまったが、これもまた「とってもおいしいです」と言いたくなるほどだった。さらに伊勢の虎屋の「ういろう」を買って、車の中で半分ほど食べてしまったのは、まさにご愛嬌・・。(大好きなハーブスのレーズンバターケーキが売り切れだったのはものすごく残念だった)


 家に戻ってから、「ふかひれ」「フカヒレ」という語でそれぞれブログ内検索をかけてみた。 ヒットしたのは「ふかひれ」が1件と「フカヒレ」が3件だった。こうやってみると結構「フカヒレラーメン」を食べてるんだな、と感心してしまったが、記事1つ1つを詳細に見てみると、古い記事のフカヒレラーメンは今はもう無くなってしまった中華料理屋で食べたものだと判明した。そこではフカヒレの姿煮の入ったラーメンを食べているから、姿煮が初めてではないと、言った妻の記憶は正しかったことになる。しかし、重慶飯店で食べたわけではないので、減点されても仕方がないだろう・・。

 どこで何を食べたのか、記憶がかなり曖昧になってきているのは事実だが、かと言ってそんなことを細かく覚えているようにもなりたくない。ただ、どこでおいしいものが食べられるかぐらいは、しっかり記憶に刻み込んでおかねばならないだろう。

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