じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

自分の研究史を振り返る

2019-05-11 21:36:32 | Weblog
★ 大澤真幸さんの「社会学史」(講談社現代新書)、第1部第4章「マルクスー宗教としての資本主義」まで読み進んだ。

★ タイトルからしてもっと堅苦しいものかと思っていたが、語り口調で比較的わかりやすい。

★ 第3章までは言わば前振り、前座という感じだったが、「マルクス」に至って断然面白くなってきた。

★ 「下部構造ー上部構造」論を経て、これから「疎外論・物象化論」の解説に入る。楽しみだ。


★ ところで私事ながら、私はもともと心理学に興味があった。心理学の中でも社会心理学、とりわけ「パニック」という現象に関心を持った。大学でその研究を深めようかと思っていたが、希望する大学に進学できず、連敗の末たまたま合格できたのが京都教育大学教育学部教育学科。教育学科には教育学と心理学の2つの専攻があり、私は最初心理学を志していたが、1回生、2回生と行動心理学、教育心理学、発達心理学を学ぶうちに、興味を失った。

★ 教育学専攻になった。当時、教育学には「教育哲学」「教育史」「社会教育学」「教育社会学」「教育行財政学」の研究室があった。特に関心があるものはなく、「大衆社会における人間形成」などといった漠然とした問題意識しかもっていなかった。

★ 一応「教育社会学」の研究室に所属したものの、マンハイムやマートンに圧倒され、特に「社会学」を学ぶわけでもなく、むしろ隣の「教育行財政学」の研究室に入り浸り、その先生が放課後ボランティアで「資本論」の自主ゼミを開講してくださったので、そこでマルクスを学んだ。

★ 「社会変革と教育」の関係に興味をもったので、卒業論文は「ロバート・オーエンにおける社会変革と教育」を書き、自分なりに社会変動とその中で生きる人間の主体性、社会変革の意義について考えた。当時京都教育大学に大学院がなかったので奈良教育大学に進学。そこでは「学校経営学」の研究室に所属した。「生きることと学ぶことが合体した学校とはどのようなものか」という問題意識をもち、郷土教育や労作教育が盛り上がっていた昭和初期の実践記録を分析する中で、学校が家庭や地域社会と協働する中でどのような主体性を発揮したのかを研究し、修士論文とした。

★ 「社会学史」を読んでいると、そんな若い時代のことが蘇ってきた。大いに触発される本だ。

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