じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

岩城けい「さようなら、オレンジ」

2019-05-18 21:55:15 | Weblog
★ 岩城けいさんの「さようなら、オレンジ」(ちくま文庫)を読んだ。なかなかドラマチックな作品だった。

★ アフリカから戦火に追われ難民としてオーストリアの田舎町にやってきた家族。見ず知らずの土地で言葉もわからず、夫はまもなく家を出ていき、サリマは2人の子どもを抱えて暮らしていた。

★ 早朝からスーパーで肉や魚をさばいてパッケージに入れる仕事。重労働だったが、英語学校にも通うことにした。そこで出会った日本人の「ハリネズミ」、20歳以上も年上のイタリア女性の「オリーブ」。それぞれが異国の生活にもがき苦しんでいた。

★ 山あり谷あり。必死に生きながら、しかし少しずつながらも彼女たちの生活が明るい方向に向かっているのがホッとさせる。

★ 教育、語学力が武器になるとひしひしと感じた。マジョリティとしての英語の力。日本で暮らしているとわからないが、世界(特に英語圏)で生きるには英語は、言語は最低条件だ。

★ 日本も遠からず移民を受け入れる国になるのだろう。その時、「サリマ」や「ハリネズミ」や「オリーブ」のような人々に何ができるのだろうか。

★ この作品は構成が面白い。サリマを中心とした物語は第3者の視点で綴られ、ハリネズミの物語は彼女の恩師への手紙という形で綴られている。最初は少し戸惑うが、後半は効果的にドラマを盛り上げているように感じた。
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番組小学校

2019-05-18 12:18:36 | Weblog
https://blog.goo.ne.jp/admin/newentry?fid=newentry&iid=f605b9f583ad1b16addc29250e3e221f#

★ 明治政府が学制を公布し、小学校から大学校までの学校制度を定めたのが1872年(明治5年)。それに先駆けて、京都市では明治2年に、町の人々の尽力により64の小学校が設立された。

★ 京都新聞「情報ワイド」のコーナー、荒木源さんがこの番組小学校をテーマに「御苑に近き学び舎に 京都・番組小学校の誕生」(京都新聞出版センター)という小説を刊行されるという。そこで資料をあたってみた。

★ 学校設立の様子は、大久保利謙著「明治維新と教育」(吉川弘文館)、衣笠安喜編著「京都府の教育史」(思文閣出版)、資料としては「京都府百年の資料5 教育編」(京都府立資料館編 京都府発行)に詳しい。

★ 「京都六十四学校記」(明治4年)や福沢諭吉による「京都学校記」(明治5年)もよく知られている。

★ ここでは大正4年に刊行された「京都府誌」から当時の様子を垣間見たい。「京都府誌」では第七編で教育をテーマとし、次のように書いている。

★ 「明治初年本府は全国に率先して教育の機関を創設し、文明の新施設をなし、範を全国各府県に示せしのみならず、中央政府をして一時標準を本府に需むるに至らしめたり。」(210頁)

★ その後、学校設立に至る経緯が書かれている。車駕東遷(遷都)にに危機感をもった当時の京都市民が「京都の繁栄を維持するには、教育の普及上進を図り人材を養成して、実業を振起し富力を増進するに若かず」との決意のもとで遂行したこと。

★ 明治天皇より下賜された米1万石、金10万両の一部を教育基金に充てたこと。明治元年に各行政府に1校ずつ小学校をつくることにしたが、「財政の困難と実力の欠乏」によって議論が紛出したこと。政府から出仕の槇村正直(のちの京都府知事)の熱心な説得によって、明治元年12月に計画を遂行する準備が整ったこと。

★ その後さまざまな布達告示が出され、明治2年2月教員の募集、4月窮民からの学資を賦課を止め、5月小学校則、市中小学校教師俸給及び学資の概案を達示、21日上京第二十七番組小学校(柳池尋常小学校)が開校。その後12月末までに市内64校を設置した。

★ このように記述は進んでいくが、明治維新の人々の息吹が感じられる。
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