不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

自由民権から第一次世界大戦

2019-05-20 20:58:04 | Weblog
★ 中学生、高校生の中間テスト対策で忙しい日々を送っています。今日は中学3年生社会のテスト範囲、自由民権運動から第一次世界大戦までのまとめをつくりました。

1.次の(  )に適する語句を入れなさい。

(1)  征韓論に敗れ、西郷隆盛や板垣退助が政府を去った後、(            )が内務卿として政策を進めた。板垣退助、江藤新平らはそのやり方を専制政治と非難し、1874年に、議会の開設を求める(                   )を政府に提出した。その後、国民が政治に参加する権利を求める(          運動)が活発になる。板垣退助は高知に(        )という政治結社を結成し運動を進めた。

(2) 士族としての特権を奪われ、新政府の方針に不満を持つ士族は各地で反乱を起こした。1877年、西郷隆盛を中心に鹿児島で起こった反乱を(           )という。この反乱は政府軍によって鎮圧された。

(3) 1880年、全国の代表者が大阪で(          )を結成。「五日市憲法」「東洋大日本国憲按」など自主的な憲法草案がつくられた。

(4) 1881年、北海道開拓使の払い下げをめぐる疑獄事件が起こると、民権派の批判をかわすために、大久保利通が暗殺された後政府で実権を握っていた(          )は10年後の国会開設を約束した。これを受けて、板垣退助は(       党)と大隈重信は(         党)を結成した。

(5) 伊藤博文はヨーロッパでの調査から帰国後、1885年に太政官制に代わって(         )をつくり、自ら初代の内閣総理大臣に就任した。1889年2月11日、天皇が国民に与える(欽定憲法)形で、天皇を元首とする(              )が発布。1890年には(       議会)が召集された。この議会は(        )と衆議院の二院からなり、衆議院議員は直接国税(     円)以上を納める満(     歳)以上の男子に選挙権が与えられた。それは全人口の1.1%に過ぎなかった。

(6) 19世紀後半の世界は資本主義が急速に発展し、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、ロシアという(      )が資源と市場を求めて世界へ進出していった。この動きを(        主義)という。

(7) 日本は幕末に結んだ不平等条約を改正するため、(       )で舞踏会を開くと言った(      政策)を進めた。1886年にはイギリス船(            号)をめぐる事件が起こり、条約改正を求める世論が高まった。1894年、(         )外相が(           )の撤廃に成功し、1911年、(             )外相が(             )の回復に成功した。

(8) 19世紀後半、朝鮮をめぐって日本と清が権力争いをしていた。1894年、民間の宗教「東学」を信仰する人々が蜂起。これを(             )という。これの鎮圧をめぐって、日本と清が衝突、(      戦争)に発展する。戦争は日本が優勢で終結し、1895年(      条約)が結ばれる。この条約で、日本は①清に朝鮮の独立を認めさせ、②遼東半島、台湾、澎湖諸島を譲り受け、③賠償金2億両を得る。

(9) 南下を目指していたロシアは日本の遼東半島領有に反対し、(       )(       )とともに清に返還するように日本に迫った。これを(          )という。日本には対抗力がなかったのでこれを受け入れた。朝鮮は独立し国名を(          )とした。

(10) 清が衰退する中で、列強が中国へと進出。1899年、これに反抗し「扶清滅洋」を掲げた人々が蜂起する。列強は連合軍を結成しこれを鎮圧。この事件を(          )という。

(11) 1902年、日本は(       同盟)を結び、ロシアに対抗する。1904年、(      戦争)が起こる。日本海海戦を機に日本は戦局を優位に進め、アメリカの大統領の仲介により講和条約を結ぶ。(          条約)である。犠牲が大きかった割に賠償金を得ることができなかったので、それを怒った国民は暴動を起こす。(            事件)である。

(12) この戦争をめぐっては、社会主義者の(          )、キリスト教徒の(          )が反対し、歌人の(           )も弟を思う詩を発表した。しかし、戦争を求める世論を食い止めることはできなかった。

(13) 1905年、日本は韓国の外交権を奪って保護国にし、韓国統監府を置いた。1910年には韓国を併合し、(          )を設置して支配した。日本人に同化させる政策(皇民化)が行われた。日本は勢力を南満州まで伸ばし、(               会社)を設立し、鉄道を中心に都市建設を進めた。

(14) 清では、1911年、(      主義)を唱える(       )を中心に革命が起こり、(        )が建国された。この革命を(        革命)という。


(14) 1880年代後半、日本は紡績、製糸などの軽工業を中心に産業革命をむかえた。日清戦争後、官営の(         製鉄所)が建設され、重化学工業化がすすめられた。1889年に官営の東海道線が全線開通。資本主義の発展とともに労働条件の改善を求める(         )が増加した。一方、三井、三菱、住友、安田といった資本家は様々な業種に進出し(       )に成長していった。

(15) 美術では、アメリカ人の(          )と岡倉天心が協力して日本の美術の復興に努めた。日本画の(         )、狩野芳崖、彫刻の(          )などが近代の日本美術を切り開いた。フランスに留学した(           )は印象派の画風を紹介し、ロダンに師事した荻原守衛は欧米風の近代彫刻を制作した。音楽では(          )が「荒城の月」や「花」を作曲した。

(16) 小説では話し言葉を文章化する(          )運動が起こり、(           )は「浮雲」を書いた。(         )は「たけくらべ」、(          )は「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「こころ」、(         )は「舞姫」「高瀬舟」「阿部一族」を書いた。

(17) 医学の分野では、(            )が破傷風の血清療法を発見、志賀潔は赤痢菌を発見した。(          )は黄熱病を研究したが、自らが感染し亡くなった。

(18) 20世紀初めのヨーロッパは、ロシア、フランス、イギリスの(         )とドイツ、オーストリア、イタリアの(         )が対立していた。(        半島)では民族対立に列強の覇権が加わり、「ヨーロッパの(         )」と呼ばれる緊張関係が続いていた。

(19) 1914年、(              )の皇太子夫妻がスラブ系のセルビア人に暗殺された。これを(         事件)という。これがきっかけとなって、同盟国と協商国(連合国)による(               )が始まった。日本は(       同盟)によって連合国側に加わった。

(20)  1917年、ロシアでは(         )が指導して、革命が起こった。この結果、史上初の社会主義国家がうまれた。重要な産業を国営化し、計画経済を行った。1922年、国名を(                  )とし、(         )によって五か年計画がすすめられ、経済が発展した。一方で政府に反対する多くの人々が処刑された。

(21) 1918年、第一次世界大戦は連合国の勝利で終わる。フランスのパリで講和会議が開かれ、(          条約)が結ばれた。ドイツは領土を縮小され、また多額の賠償金を払わなければならなかった。

(22) 講和会議では、民族が独立するかどうかはその民族が決めるといった(            )の原則が唱えられた。また、アメリカ大統領ウィルソンの提案によって世界平和と国際協調をめざす(         )が発足。本部がスイスの(          )に置かれた。

(23) 1921年、アメリカの呼びかけで軍縮会議が開かれた。これを(         会議)という。戦争に敗れたドイツでは1919年に(          憲法)が制定された。この憲法では労働者の基本的権利や社会福祉政策の導入が定められた。

(24) 第一次世界大戦中、日本は中国に対して(          の要求)を示し、多くを認めさせた。こうした動きに反発し、1919年、大規模な反日運動が起こった。これを(       運動)という。朝鮮でも日本の支配に反発し独立を目指す運動が広がった。これを(          運動)という。インドではイギリスの植民地支配に反対して(         )が非暴力・不服従運動を行った。

(25) 日本では憲法に基づく政治を目指す(       運動)が盛り上がった。ロシア革命に対抗してシベリアに出兵することが計画されると、米の買い占めが起こり、それに対して米の安売りを求める騒動が起こった。これを(         )という。政府が軍隊を出動させて鎮圧した。

(26) この騒動によって藩閥の寺内内閣が倒れると、立憲政友会の(         )が内閣総理大臣になった。この内閣は陸軍・海軍・外務の3大臣以外はすべて政党の党員が大臣となったので(      内閣)と呼ばれる。大正時代は民主主義が目指され、吉野作造は(         )を主張し、美濃部達吉は(        機関説)を主張した。

(27) 差別からの解放を求めて、1922年、京都で(           )が結成される。女性差別からの解放を求めて、(          )は青鞜社を結成する。1925年、加藤高明内閣は満(     歳)以上の男子に選挙権を与える(           )を成立させる。同時に、共産主義を取り締まる(            )も制定された。

(28) 明治時代末期から大正時代にかけて、新しい文化がうまれた。国産の映画が製作され、1925年には(       放送)が始まった。小説では、白樺派の志賀直哉、耽美派の谷崎潤一郎、プロレタリア文学の小林多喜二が作品を発表。(           )は「羅生門」「鼻」といった知性的な短編を発表した。        
コメント