聖書のアモス書は西暦前803年に書き終えられた書です。神エホバとの契約下にありながら、モアブ、ユダ、イスラエルは神エホバの教えに反抗し、預言者アモスを通して、神エホバの裁きの音信を伝え警告しています。神エホバとの契約下の民の神エホバへの反抗の内容は、公正を行なわず、義を投げ捨て、神エホバの預言者を憎み、立場の弱い者から地代を取り立て、義人に敵意を持ち、貧しい者を押しのける者となっていました(アモス5:7~12)。そのような反抗の民に、預言者アモスを通し、神エホバは次のように愛ある言葉で呼びかけられました。
「・・・わたし(エホバ)を捜し求めて生きつづけよ」(アモス5:4,6)。
上の聖句の「エホバを捜し求める」とは、どう意味でしょうか。その意味は、神エホバについて学び続け、神エホバの基準に調和した生活をしていくことです。現在この神エホバの教えを守り行なっているのは、世界中のエホバの証人のクリスチャンたちです(イザヤ43:10.詩編1:1~3)。
人々が神エホバに反抗し、神エホバを捜し求めなかった時、イスラエル人はどうなったのでしょうか。
1.悪を憎まず、善を愛さなくなった。
2.自分を喜ばすことを第一にし、神エホバを愛さなかった。
3.神エホバからの指示、導きを無視した。
神エホバは、預言者アモスを通して、「悪ではなく、善を捜し求めよ。あなた方が生きつづけるためである。・・・万軍の神エホバがあなた方と共にいるようになるためである。悪を憎み、善を愛し、・・・公正を固く定めよ」と、エホバ神のご意志を告げました(アモス5:14,15)。この教えの原則は現在にも同じです。
神エホバは、私たちが永続する幸福の道を歩むために、「公正を行ない、親切を愛し、慎みを持ってあなたの神(エホバ)と共に歩むことではないか」と、指示をされています(ミカ6:8)。
イエス・キリストは神エホバのご意志を守り行ない、神の王国と神エホバの義を第一に求めること、さらに、「あなたは、心を込め、魂をこめ、思いをこめて、あなたの神エホバを愛さねばならない」、「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と、教えられました(マタイ6:33;7:21;22:37~39)。イエス・キリストは神エホバの子でありながら、ご自分を小さくし、謙遜に人間に仕え、贖いの死に至るまで、み父エホバに従順を示し、模範を手本として残されました(フィリピ2:5~8.ペテロ第一2:21)。私たちはイエスの残された手本に見倣って生きる必要があります。