イエス・キリストの有名なほうとう息子に関する話しは、ルカの福音書に紹介されており、少し前にその内容をお伝え致しました。娼婦たちとほうとうの生活をし、財産を失った後に、悔い改めて父親のもとに帰ったそのほうとう息子を父親は、快く許し、「死んでいたのに生き返った」と言って、宴を設け共に歓び合いました(ルカ15:11~24)。この悔い改めたほうとう息子の父親は、エホバ神を表わしています。
イエスは、ほうとう息子を許し、快く迎えた父親に、年上の息子が、不満を述べた時、父親がその年上の息子に諭した実際的な言葉がルカの福音書に次のように記されています。
「「さて、年上の息子は野にいました。そして、帰って来て家に近づくと、(悔い改めたほうとう息子を迎えた)合奏と踊りの音が聞こえたのです。そこで僕の一人を呼び、こうれはどういうことなのかと尋ねました。僕は言いました、「あなたのご兄弟がおいでになったのです。それで、健やかに戻って来られたというので、あなたのお父様は肥えさせた若い雄牛を(宴用に)ほふられたのです」。ところが彼(年上の息子)は憤り、入って行こうとはしませんでした。すると、父親が出て来て、彼に懇願し始めました。彼は答えて父親に言いました、「わたしはこれまで何年というものあなたに奴隷のように働いてきて、一度といえあなたのおきてを踏み越えたことはありません。それなのに、このわたしには、友人と一緒に楽しむための子やぎさえただの一度も下さったことがありません。それ(弟)が、娼婦たちと一緒になってあなたの財産を食いつぶした、このためあなたの息子が到着するや、あなたは肥えさせた若い雄牛を彼のためにほふったのです」。すると、父親は言いました、「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいたし、わたしの物はみなあなたのものだ。だが、わたしたちはとがなく楽しんで歓ばないわけにはいかなかったのだ。このあなたの兄弟は、死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったからだ」」(ルカ15:25~32)。
上の聖句に記されている通り、悔い改めたほうとう息子のために宴を設け興じていた父親に、年上の息子は、不満を述べました。しかし、父親は共に歓びを表わしている理由を、実際的な諭し言葉、つまり、年上の息子とはいつも一緒にいたこと、財産はみなあなたのである、と述べられました。次いで、「あなたの兄弟は、死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったからだ」と、父親が歓ぶべき理由を年上の息子に説明しました。年上の息子にとって、父親の愛情深い心と気遣いに、納得したに違いありません。
あなたも、この愛情深い父親・エホバ神に近づきたいと思われるに違いありません(「ヤコブ4:8)。
WWW.JW.ORG
晩秋の 星空見つつ 散歩かな 今日の一句
宇和島湾上空の「飛行機雲」
- 道の駅の駐車場から見た光景。クレーンは三好造船の船の建造用 -