私たちはだれもが、多くの人々の暮らす人類社会の中で生活をしています。その中には、神エホバから出る教えを学び、生活の中でそのご意志を守り行なう敬虔な生き方をされる方とそうでない方々がいらっしゃいます。温和で義(公正)を守り行なう人たちも、神エホバのご意志を守り行なわない世の中の影響を絶えず受けて生活をしています。ですから、イエスが使徒ヨハネを通して教えられた次の言葉に注意を払うのはふさわしいことです(ヨハネ第一1:2,5)。
「世も世にあるものも愛してはなりません。世を愛するものがいれば、父(エホバ)の愛はその人のうちにありません。すべて世にあるもの(神エホバから出ていない教え) - 肉の欲望と目の欲望、そして自分の資力を見せびらかすこと - は父(エホバ)から出るのではなく、世から出るからです。さらに世は過ぎ去りつつあり、その欲望も同じです。しかし、神(エホバ)のご意志を行なう者は永久にとどまります」(ヨハネ第一2:15~17)。
上の聖句で「世を愛する」とは、世を生活の中で第一優先事項にした生き方をしていることを指しています。イエスは、有名な山上の垂訓の中で「(神の)王国と神(エホバ)の義をいつも第一にもとめなさい」と教えられたので(マタイ6:33)、優先順序を間違えないようにすることが肝要です。
「世」とは何でしょうか。「世」とは、この事物の体制の世・神エホバに疎外されている人類社会のことです。なぜ「世と世にあるものを愛してはなりません」と教えているのでしょうか。その理由は①神エホバの愛がその人のうちにない、②「肉の欲望と目の欲望(不完全な人間から出る欲望)」、自分の資力を見せびらかすのは、神エホバから出る教えではない、③世(事物の体制)は過ぎ去りつつあるからです。
生活の中で第一優先事項にすべきことは、神エホバのご意志を守り行なうことなのです。そうすれば、間もなく回復される義の宿る地上の楽園に永久にとどまる祝福に受けることになるのです(ペテロ第二3:10~14.啓示21:4)。「思慮深い人」として歩み、神エホバのご意志を守り行なう人たちは幸いです(マタイ7:21,24,25)。
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