イエスは最後の晩さんを終えたあと、弟子たちといつも会合をしていたオリーブ山の園に移動されました。裏切ったユダ・イスカリオテもその場所を知っていました。それで、裏切者のユダ・イスカリオテは兵士の一隊と、祭司長やパリサイ人たちの下役を連れ、たいまつやともしびや武器を携えてイエスを捕縛するためにやって来ました(ヨハネ18:1~3)。そうした暗闇の中でイエスは混乱を避けるため、ご自身がイエスであることを名乗り出ました(ヨハネ18:5)。イエスが捕縛されそうになった時、弟子のペテロが、イエスを守ろうとして剣を抜き、イエスを捕縛に来ていた大祭司の奴隷の耳を切り落としました。イエスは、その時、どんな時も剣を持って戦ってはならないことを教えた場面が聖書に次のように記されています。
「その時シモン・ペテロは、剣を携えていたので、それを抜いて大祭司の奴隷に撃ちかかり、その右の耳を切り落とした。その奴隷の名はマルコスと言われた。しかしイエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父(エホバ)がわたしにお与えになった杯(杯はエホバ神のご意志の意味)、わたしはそれをぜひとも飲むべきではありませんか」」(ヨハネ18:10,11)。
上の聖句に示されている通り、ペテロに剣を持って戦ってはならないことを教えられました。ルカの福音書によれば、イエスがペテロが切り落とした大祭司の奴隷の耳を「おいやしになった」ことが記録されています(ルカ22:51)。イエスは戦ってはならない、と教えただけではなく、敵の耳を即座に治されたのです。イエスは戦いではなく平和を求めるように教えています。マタイの福音書では、この場面でイエスはペテロに「あなたの剣を元に所に収めなさい。すべて剣を取る者は剣によって滅びるのです」と、教えたのです(マタイ26:52)。イエスが山上の垂訓の中で教えられた通り、神エホバに愛される幸いな人は「平和を求める」のです(マタイ5:9)。
さらにイエスは、「父(エホバ)がお与えになった杯」つまり、イエスにみ父エホバがお与えになったご意志、贖いの死を遂げること、を「わたしはそれ(杯)をぜひとも飲むべきではありませんか」と、教え何が優先事項かを教えられました(ヨハネ18:11)。イエスはそのようにして死に至るまでみ父エホバに従順の手本を残されたのです(フィリピ2:5~8)。
ですから、現在も真のクリスチャンは戦うことは無く、かつ戦いを学ぶこともなく、「平和を求める」のです(イザヤ2:4.マタイ5:9)。あなたも、そのようになさるお一人であれば幸いです。
山間部 青嶺(あおね)続きし 奉仕かな 今日の一句
近くの畑に咲いている「ルドベキア」