津軽三味線永遠のテーマ
それは、ツボと撥打ち。
三味線では、音程が外れることを俗に
「くそツボにはまる」
と言う。
自分の演奏を録音して聞いてみると、
...クソまみれです。
音程がしっかりしている人の演奏は、
速い曲でもスロー再生するとちゃんと
1音1音のツボがしっかり合っていて、粒が揃っていて迷いがない。
「極上の手打ちそば」
みたいな。
自分の場合は、
「切れてないたくあん」
なんですね。
自分の耳がしっかりしている、というのが大前提なんだけど、
ツボが正しく押さえられないのは大きく分けてふたつの原因がある。
ひとつは、
指が勘違いしているケース。
ここのツボをこの指で押さえるパターンの時は、必ずずれている、
という運指とツボのパターン。
人差し指なら大丈夫なのに、薬指だとはずれっぱなしとか、
下っている時は大丈夫なのに、上りの時には合わない、など。
これに撥打ちが絡むとさらに、
単純に運指だけならツボ合ってるんだけど、
いざ右手で前撥後撥とかやり始めると
今まで合ってたツボがずれてきたり。
永遠のテーマたるゆえんですね。
もうひとつは、
目が間違っているケース。
(あのツボってここだよね?)
と目で追っている場所自体がずれているので、
それに従って動く指も間違っているケース。
これはある程度地味な訓練によって克服可能です。
「頭の中では実際より前倒しで曲を流しつつ、目で次のツボを追い、今の音を打ったら次のツボへ指を移動させ、打つ」
弾いてるときの状態を言葉にするとこうなんですけど、オレだけかな。
本来、棹は見ないで弾くものらしいけど、
津軽の場合、みんな見て弾いてるもんね実際。
目で確認するツボが合っていて、
確認した場所に正しく指が運べて、
その感覚を脇とひじが覚えていて、
それで初めて真正面向いて弾けると思うし。
ヘタに正面向いて手探りで弾いても絶対ツボ合わないよ。
ツボの練習は、
「津軽に蕎麦打ちの修行に行く」
違います。
いや、もしかしたら合っているかも。
それは、ツボと撥打ち。
三味線では、音程が外れることを俗に
「くそツボにはまる」
と言う。
自分の演奏を録音して聞いてみると、
...クソまみれです。
音程がしっかりしている人の演奏は、
速い曲でもスロー再生するとちゃんと
1音1音のツボがしっかり合っていて、粒が揃っていて迷いがない。
「極上の手打ちそば」
みたいな。
自分の場合は、
「切れてないたくあん」
なんですね。
自分の耳がしっかりしている、というのが大前提なんだけど、
ツボが正しく押さえられないのは大きく分けてふたつの原因がある。
ひとつは、
指が勘違いしているケース。
ここのツボをこの指で押さえるパターンの時は、必ずずれている、
という運指とツボのパターン。
人差し指なら大丈夫なのに、薬指だとはずれっぱなしとか、
下っている時は大丈夫なのに、上りの時には合わない、など。
これに撥打ちが絡むとさらに、
単純に運指だけならツボ合ってるんだけど、
いざ右手で前撥後撥とかやり始めると
今まで合ってたツボがずれてきたり。
永遠のテーマたるゆえんですね。
もうひとつは、
目が間違っているケース。
(あのツボってここだよね?)
と目で追っている場所自体がずれているので、
それに従って動く指も間違っているケース。
これはある程度地味な訓練によって克服可能です。
「頭の中では実際より前倒しで曲を流しつつ、目で次のツボを追い、今の音を打ったら次のツボへ指を移動させ、打つ」
弾いてるときの状態を言葉にするとこうなんですけど、オレだけかな。
本来、棹は見ないで弾くものらしいけど、
津軽の場合、みんな見て弾いてるもんね実際。
目で確認するツボが合っていて、
確認した場所に正しく指が運べて、
その感覚を脇とひじが覚えていて、
それで初めて真正面向いて弾けると思うし。
ヘタに正面向いて手探りで弾いても絶対ツボ合わないよ。
ツボの練習は、
「津軽に蕎麦打ちの修行に行く」
違います。
いや、もしかしたら合っているかも。