これって昨夏の対策と同じではないですか。「政府の電力不足対策は一体全体どうなっているのか?」で指摘していた通り、結局は需要家に節電を押し付けるだけのものになってしまいました。この一年間政府は何をやっていたのでしょうか?
電力を供給する第一義的責任は電力会社にあります。と言いつつも電力政策は政府と電力会社が一体となって行ってきたものです。従って、政府は責任を免れられるものではありません。むしろ、この段階に至っては、政府の責任の方が重いと言わざるを得ません。
ここで、"if”の話をしても始まらないのですが、大震災後の早い段階で原発の再稼動をどうするかを明確に政治決断をしていたら状況は大いに異なることとなったと考えられます。
再稼動を不可と決断していたならば、各電力会社毎に不足する電力は明らかですから有効な対策を打ち出し、実行できていたことでしょう。原発を再稼動すると決断していたら、徹底的な原因究明と対策、そして国民に対する充分な説明をすることが出来ていたはずです。
しかし、政府は原発再稼動に向けて動いておりましたが、結局再稼動には至っておりません。その原因は、中途半端な原因究明、中途半端な対策、そして中途半端な説明しかしてこなかった政府の責任であると言わざるを得ないでしょう。
そして今、その結果は国民に押し付けられようとしております。節電を強いられる側は、多くの不便を被ります。事業者も節電をするために多額な出費を強いられます。これは誰が負担するのでしょうか。そして、節電による損害は誰が負担するのでしょうか。
先に述べたように、その責任の多くは政府にあるのですから、損害賠償請求訴訟を起こされても仕方ないように思います。しかしながら、その損害賠償の原資は結局のところ税金なのです。政府は何ら腹を痛めることは無いわけです。この無責任体質が、この国をずるずると底なし沼の底に沈めることになるのではないでしょうか?
このまま何らの改革も進まないとしたら、また来年の夏も同じことが繰り返されることでしょう。その頃までには、政権交代していることを望みます。しかし、その政権がまともであるという保証はどこにもありませんが・・・。
そもそも国は何のために存在するのか。国民に幸福をもたらすためにあるのか、それとも国民に犠牲を強いるためにあるのか?
<参考> 「この夏、関西電力管内で計画停電か?」