報道によると野田首相は記者団に対し「尖閣諸島をめぐる問題が日中間の全体に悪影響を及ぼさないようにお互いに大局観を見失わないことが大事だ」と述べたそうな。笑止千万というべきでしょう。大局観がなかったからこそ、今の民主党政権の現状があるというべきなのではないですか。
民主党の代表選の演説やその後の発言を聞くにつけ、野田首相は自己陶酔状態にあるのではないかと思えます。このまま首相を続けさせると少々ヤバイことになるのではないかと心配です。これには何の根拠もありません。単なる私の直感ですが・・・。
報道によると野田首相は記者団に対し「尖閣諸島をめぐる問題が日中間の全体に悪影響を及ぼさないようにお互いに大局観を見失わないことが大事だ」と述べたそうな。笑止千万というべきでしょう。大局観がなかったからこそ、今の民主党政権の現状があるというべきなのではないですか。
民主党の代表選の演説やその後の発言を聞くにつけ、野田首相は自己陶酔状態にあるのではないかと思えます。このまま首相を続けさせると少々ヤバイことになるのではないかと心配です。これには何の根拠もありません。単なる私の直感ですが・・・。
「雑草という草は無い」というのは、昭和天皇のお言葉として知られております。雑草とは、本来育成したいと思っているもの以外の植物を総称しているのでしょう。農業の目的は作付けした作物を収穫することにあります。その目的の邪魔をするもの(雑草、害虫など)を全て排除しようとします。雑草は、作付け作物と水、光、養分などと競合関係にあります。雑草がはびこると本来は作付け作物に行き渡るべきものを奪ってしまうことになります。ですから、農業に従事するものは、田畑に雑草がはびこることを忌み嫌ってきたように思います。そのような田畑を見るにつけ、それを管理している人までがだらしない人だと看做すような風潮もありました。私もそのように教えられて育ちました。ですから、このような考え方は百姓の子弟では固定観念として強く植えつけられているものと考えられます。
翻って考えてみますと、雑草はその土地に適合しているから良く育つのです。農家が何もしなくても勝手に長年生きてきたのです。謂わばその土地の先住民であるともいえるのです。そのような雑草を作付けに邪魔だから、耕したり除草剤を散布して根絶やしにしたいと考えるのです。全く人間の都合によって、雑草が形成してきた生態系を破壊した上に、新たなる生態系を構築しようと試みます。しかし、ここから雑草の反撃が始まります。元々、この土壌は雑草の生態系に適合していたものですから、新参者にとっては住み難いものです。ですから勢い雑草が再度勢力を盛り返します。これを抑制するために除草作業(除草剤散布を含む)が必要になります。所謂イタチゴッコが始まるのです。
果たして、雑草は撲滅する対象なのでしょうか。共存する道はないのでしょうか。このことも不耕起農法と同様、従来の農業の常識に反する考え方です。
ここに次のような考え方があります。即ち、雑草を作物を育てる協力者とみなすとするものです。雑草は、その土地に大昔から自生し、表土を守り、根で土を耕し、土壌微生物と共生し土の団粒構造を作り上げ、生物多様性に貢献しているといった考えです。
先にも述べましたが、作付け作物は、その土地への新参者です。何もしなければ、先住者である雑草が圧倒的に勝ります。これでは作付け作物の生長・収穫は見込めません。しかし、作物の生育期間の前半3分の1だけ雑草を抑制することによって収穫の減少を無くすことができるという実験結果があるそうです。これは、種蒔きや定植後、雑草に負けない位に根付けば、その後は雑草より優性になり、例え雑草があっても順調に生育できるということでしょう。であれば、除草作業が相当に軽減できるということになり、雑草と共存することができます。そうすることによって、表土を雑草でカバーすることによる風雨による表土亡失の防止、生物多様性の維持、根圏微生物の育成等々の多くのメリットを享受できることになります。
問題は、冒頭に述べたような「雑草が繁殖している=だらしない」といった強固な固定観念を取り払えるかです。私自身は人からどのように思われても構わないと思っております。しかし、いわれなき中傷それは「雑草の繁殖は害虫の温床になるから近所迷惑だ。」といった指摘に抵抗出来るかにかかっているように思います。この点については、後日改めて私の考えを述べたいと思っております。(参考:「害虫といわれる昆虫について(農薬そして雑草と共存することについての一考察)」)