令和版米騒動などと言われておりますが、今の状況は単に流通が少し滞っているだけにしか思えません。米の年間消費量を800万tとすれば日平均約2.2万tとなり、これが平常時の流通量と考えて差し支えないと思います。一方、総世帯数は約4885万世帯ですから、この内10%の世帯で平均5kgの米を買いに走ったら2.44万tが必要です。これは1日の流通量を超える量になりますので、一時的に品不足が生じるのは当然のことです。また、時期的にも旧盆前の時期に当たり、流通量も低下していることも不足の要因となったものと思われます。そして米不足報道がこれに拍車をかけたものでしょう。そして、少々高い金を払えば新米が入手できるのですから供給が逼迫しているとも思えません。このように今回の米不足は本当の意味での米不足にはあたらないものと考えます。
大災害や大凶作などによって本当に米不足が起こればこれ位の事では済まないでしょう。そもそも政府備蓄米は100万t程度ですので、年間消費量の12.5%程度(日数換算で約41日分)でしかありません。米の緊急輸入と国内米の増産で賄えるようになるまでの備蓄米は重要なのであって、これ位のことで放出するような性質のものではないと考えます。
そもそも米の生産量は1,200万t程度は潜在的にあろうと思われますが、実際には生産調整で780万t程度に抑制させられ、残りはミニマムアクセス米を含む輸入米で賄っております。
その結果、離農が多くなり耕作放棄地などの増加となっております。それを急に増産ということになった場合、耕作適地が減少しているとはいえ国内消費量は数年でカバーできるものと思われます。ですからそれ迄食つなぐためにも備蓄米は重要な役割を果たすことになります。
さて、今般マスコミが大騒動してくれたお陰で、現在の農業が置かれている状況が浮き彫りになったことは良かったのではないかと思います。
これまでにも本年2月の投稿で「食料供給困難事態対策法」なるものが閣議決定されたと記事にしておりますが、この法案は本年6月の国会において修正のうえ可決成立しております。その内容については後日議論するかも知れませんが、今日のテーマはもっと切実な問題を取扱いたいと思います。
それは農業生産者の減少という大問題です。以前より農業従事者の高齢化が指摘されております。私を含めた高齢者は自然と消えていく運命にあります。ですから新規就農者が増加しない限り生産者が減少していくのは当然の結果です。
では何故に新規就農者が増加しないのでしょうか。
このことに関しては「なぜ農業従事者数が減少したのか?」や「農業への企業参入~できないのか、しようとしないのか?」で指摘済です。
要は農業は儲からないからです。私は昭和30年代に中規模農家の長男として生まれました。小学生の頃までは祖父から百姓の子は百姓、学問なんて邪魔になるだけだ。それより体を動かせと言われてきました。おそらくその頃までは農業で何とか食える時代だったのでしょう。しかし、経済が高度成長をするに従い農家の子弟は労働力として都会に流出するようになります。それまで農業の手伝い手として駆り出されていた人達は故郷を離れ都会で給与生活者となります。人手が少なくなる分、機械、肥料、農薬に頼るようになり経費負担が増加し、収益性が低下します。この頃になると農家の世帯所得は給与所得者の所得より低いものとなっていたのではないでしょうか。
私の両親も米麦・い草主体の生産から蔬菜・イチゴ栽培などに転換を図りましたが、時代の流れには逆らえず最終的には兼業農家になってしまいました。私も親の苦労を身近で見ていると農業の跡継ぎをしようなどといった考えは全くなくなってしまいました。
これは私だけの特殊事情だったのでしょうか。であれば一農家の衰退史として片付けられるのでしょうが、多くの農家は似たり寄ったりの状況ではなかったのではないかと思われます。現在農家が置かれている状況を見れば明らかなことだと思われるのです。
報道によれば米農家の倒産・廃業が23年は35件で過去最多だったものが、24年通年ではそれを上回り過去最多を更新する見通しとなるようです。このデータは農業生産法人などの大規模なものだけのものと思われるので、中小零細農家まで併せると相当な数になるでしょう。このように産業としての農業はとてもではありませんが、他の産業に太刀打ちできるものではありません。故に衰退の一途を辿るのは必然の理なのです。
本当の米騒動はこれからです。今回のコメ不足は単なる序章に過ぎません。農業就労人口がが減少すれば必然的に生産量も減少します。機械化・自動化が進展したにしても、それには限度があります。また、灌漑設備等の整備がされた農地ばかりではありません。依然として人手に頼らざるを得ない地域があります。そのような地域は農地の集積化が出来たとしても農地の管理が難しくなってきます。
これに対して政府はどのような政策をとってきたのでしょうか。そして今後の農政は如何になるのでなるのでしょうか。
去り行く私にとってはあまり関係ないこととはいえ、これから日本を支えていく皆様方にとっては切実な問題として捉えていただきたいと思います。
大災害や大凶作などによって本当に米不足が起こればこれ位の事では済まないでしょう。そもそも政府備蓄米は100万t程度ですので、年間消費量の12.5%程度(日数換算で約41日分)でしかありません。米の緊急輸入と国内米の増産で賄えるようになるまでの備蓄米は重要なのであって、これ位のことで放出するような性質のものではないと考えます。
そもそも米の生産量は1,200万t程度は潜在的にあろうと思われますが、実際には生産調整で780万t程度に抑制させられ、残りはミニマムアクセス米を含む輸入米で賄っております。
その結果、離農が多くなり耕作放棄地などの増加となっております。それを急に増産ということになった場合、耕作適地が減少しているとはいえ国内消費量は数年でカバーできるものと思われます。ですからそれ迄食つなぐためにも備蓄米は重要な役割を果たすことになります。
さて、今般マスコミが大騒動してくれたお陰で、現在の農業が置かれている状況が浮き彫りになったことは良かったのではないかと思います。
これまでにも本年2月の投稿で「食料供給困難事態対策法」なるものが閣議決定されたと記事にしておりますが、この法案は本年6月の国会において修正のうえ可決成立しております。その内容については後日議論するかも知れませんが、今日のテーマはもっと切実な問題を取扱いたいと思います。
それは農業生産者の減少という大問題です。以前より農業従事者の高齢化が指摘されております。私を含めた高齢者は自然と消えていく運命にあります。ですから新規就農者が増加しない限り生産者が減少していくのは当然の結果です。
では何故に新規就農者が増加しないのでしょうか。
このことに関しては「なぜ農業従事者数が減少したのか?」や「農業への企業参入~できないのか、しようとしないのか?」で指摘済です。
要は農業は儲からないからです。私は昭和30年代に中規模農家の長男として生まれました。小学生の頃までは祖父から百姓の子は百姓、学問なんて邪魔になるだけだ。それより体を動かせと言われてきました。おそらくその頃までは農業で何とか食える時代だったのでしょう。しかし、経済が高度成長をするに従い農家の子弟は労働力として都会に流出するようになります。それまで農業の手伝い手として駆り出されていた人達は故郷を離れ都会で給与生活者となります。人手が少なくなる分、機械、肥料、農薬に頼るようになり経費負担が増加し、収益性が低下します。この頃になると農家の世帯所得は給与所得者の所得より低いものとなっていたのではないでしょうか。
私の両親も米麦・い草主体の生産から蔬菜・イチゴ栽培などに転換を図りましたが、時代の流れには逆らえず最終的には兼業農家になってしまいました。私も親の苦労を身近で見ていると農業の跡継ぎをしようなどといった考えは全くなくなってしまいました。
これは私だけの特殊事情だったのでしょうか。であれば一農家の衰退史として片付けられるのでしょうが、多くの農家は似たり寄ったりの状況ではなかったのではないかと思われます。現在農家が置かれている状況を見れば明らかなことだと思われるのです。
報道によれば米農家の倒産・廃業が23年は35件で過去最多だったものが、24年通年ではそれを上回り過去最多を更新する見通しとなるようです。このデータは農業生産法人などの大規模なものだけのものと思われるので、中小零細農家まで併せると相当な数になるでしょう。このように産業としての農業はとてもではありませんが、他の産業に太刀打ちできるものではありません。故に衰退の一途を辿るのは必然の理なのです。
本当の米騒動はこれからです。今回のコメ不足は単なる序章に過ぎません。農業就労人口がが減少すれば必然的に生産量も減少します。機械化・自動化が進展したにしても、それには限度があります。また、灌漑設備等の整備がされた農地ばかりではありません。依然として人手に頼らざるを得ない地域があります。そのような地域は農地の集積化が出来たとしても農地の管理が難しくなってきます。
これに対して政府はどのような政策をとってきたのでしょうか。そして今後の農政は如何になるのでなるのでしょうか。
去り行く私にとってはあまり関係ないこととはいえ、これから日本を支えていく皆様方にとっては切実な問題として捉えていただきたいと思います。