曜日のない暮らし

日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間
暮らしと心を癒してくれる生き物たち
山本弘三の写真を中心にした日記帳

廃屋と1本の山桜

2019年03月21日 | 日記

今日の花

夕日に椿

 


 今日は彼岸の中日ですね。昼夜の時間がほぼ同じとなり、これからは太陽が北半球にやって来て昼間の時間が長くなってまいります。わたしは夜も好きなのですがそれでも昼間が長いのは嬉しいことです。

今日満開に近い桜の木を見つけました。私の住む町でどちらを向いてもまだ満開の桜は見当たりません。なのに一軒の家を覆うほどの大きな桜の木が真っ白に輝いているのを見つけたので思わず車を停めてしまいました。

そこのお家はもう長い間人の住まない廃屋となっていますが、昔は私の知っている人たちの家族が暮らしていたお家です。そこのご家族とはそれ程親しかったわけではありませんが、子供の頃一度だけお家にお邪魔したことがありました。子供が何人かいて明るいお母さんが相手をしてくださったことはかすかに覚えています。言葉遣いが地元の人とすごく違っていたことが印象的でした。確か仕事のことで一家でこちらに越してきたご家族だったと思います。そして仕事がとても変わった仕事でしたので、すごく興味がありました。その仕事と言うのは真珠の養殖と言う、子供の私にとっては今まで見たことも聴いたこともないお仕事だったのです。私の叔母がそこのお家と付き合いがあったので叔母に頼んで仕事場の見学などさせていただきました。そして何年かして出来上がった本物の真珠も見せていただいたこともありました。真珠貝が作る真珠は全て完璧な真珠になるとは限らないことが分かりました。貝の中から取り出したばかりの真珠は黒っぽいものから淡いピンク色に輝くものまでいろんな変化があります。できた沢山の真珠の中から色合いの揃ったよく光り輝く真珠が選び抜かれ1本のネックレスが出来上がることも知りました。

そんな仕事をされていたご家族のお家だったのです。仕事場の方はもう崩れ落ちた棟もありますがお家はまだ原形をとどめていました。ただ庭木が見上げるほどの大きさに育っていましたが、その庭木たちはむしろ家を守っているよう二も見えました。大木となった山桜も昔からあったのかどうかは覚えていませんが60年以上たっているのですから大木になるのも無理はありません。

純白の山桜も、家の前の大きなモミの木も、わたしの記憶より昔住んでいたご家族のことをよく覚えているのかもしれません。

 


早咲きの山桜と廃屋

 

 

 

 

 

 

今は窓も塀もありませんが、昔出来たころには中で大勢の人が真珠の核入れや取り出しをやっていました。

 

桜の木の下辺りに犬小屋がありました。

真珠貝の殻がいまだ朽ち果てず残っていました。このアコヤガイ達の作った真珠は今でも何方かの胸の上で輝いているのでしょうか。それとも箪笥の中で静かに眠っているのでしょうか。

 

この目の前の海には真珠筏がびっしり敷き詰められていました。60年前の海は今よりきれいだったのでしょうね。