昨年12月に発売された「天上の虹」21巻の感想メモです。
思うままに書いているので文章が変です。
※ネタばれ注意
とにかく「天上の虹」って、愛!・愛!!・愛!!!なストーリーなので、登場人物たちは、恋愛感情に縛られなければ楽に生きられそうな気もしてしまいます。
氷高皇女のストイックな生き方・考え方は、のちに天皇になる人とはいえ、とても真似できません~~~。
長屋王と結婚した吉備皇女は「長屋王残照記」(里中満智子 作)での雰囲気に比べるとかなり幼いような
これから大人びてくるのかしら。
若いカップルを見ていると、数年後の悲劇<長屋王の変>を知っているのでやりきれないです。
天武天皇の夫人で天皇の崩御後、藤原不比等と結ばれた藤原五百重がどんどん老けこんで醜くなっているような。
ここまで貶めなくても・・・。かわいそうですよ!里中さん!。
忍壁皇子と明日香皇女のカップルは好きだったので、明日香の死は悲しかったですね。
そして、讃良サマ(持統天皇/上皇)が貫禄があってかっこよかったです。
讃良サマがいながら、どうして文武天皇(珂瑠皇子)はあれほどに幼く育ったものか・・・。
生まれもっての資質の問題だけではなく、周囲の接し方などで意識を修正できなかったのかしら。(あくまでも「天上の虹」での話です)
藤原宮子の母は物語に登場しませんが、すでに亡くなっているのでしょうか。
宮子は美千代とラブラブな父・不比等を見て、母は、父・不比等に愛されたのか?という疑問を娘の視点からもたないのかなと思いまして。
宮子が珂瑠皇子に愛されないのは悲しいですね。
珂瑠皇子が愛し続ける紀皇女に対して、宮子は皇族ではないので珂瑠とは対等な関係にもなれませんし。
出産って大変なことのはずなのに、わが子を疎ましく思うなんてせつないです。
讃良サマにとっては姪にもあたる大伯皇女が亡くなりました。
大伯皇女が孤独感や憎しみを抱えていなかったことが救いでした。
今回読みながら、当時の結婚・離婚の在り方、「ヒミコ」の存在、死生観はどうだったのだろうと思いました。
古代は、夜離れ(よがれ=夫が通ってくれない)が続くと自然に離婚となるような気がしていたので。。。
↑今、思うことはこれくらいでしょうか。
次回、22巻の発行を楽しみにしています。
余談。
三重県多気郡明和町にある史跡・斎宮跡に、大伯皇女の歌碑があります。
わが背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて
あかとき露に わが立ち濡れし
この歌碑は、大伯皇女の弟・大津皇子が眠る二上山のほうを向いて建てられているそうです。
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