晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
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【日常】 まいまい京都 「中世都市嵯峨をあるく」 に参加しました♪

2014年12月11日 | 日記
 11月の京都旅行でのこと。

11月29日(土)の午前中は
住民がガイドする京都のミニツアー
「まいまい京都」に初めて参加しました。

 ※まいまい京都
 ⇒ http://www.maimai-kyoto.jp/


ツアー名はこちら!

【嵯峨】考古学研究者とめぐる、幻の巨大都市・嵯峨
 ~今も残る中世の都市計画!600年前の地図で嵯峨を歩く~



ガイドは、考古学・歴史学研究者で
同志社女子大学の教授 山田邦和先生でした。


いつか参加したいと思っていた「まいまい京都」。
やっと念願叶いました。

とても楽しかったです!!




 コースルート 【距離:約3.0km】

JR「嵯峨嵐山」駅→ 1.龍門橋 → 2.長慶天皇陵(慶寿院跡) →
3.晴明塚 → 4.渡月橋北詰 → 5.天龍寺山門 → 6.長辻通 →
7.毘沙門堂 → 8.嵯峨釈迦堂(清涼寺)  → (解散)






JR「嵯峨嵐山」駅から嵐山方面を見ると
霧がかかっているようで
これから始まるツアーがより楽しみに♪

嵯峨都市全体のメイン・ゲートであった
「天下龍門」が建っていたあたりは龍門町という地名が残り、
そこに架かる橋には龍門橋の名が付けられていました。

南朝の三代目の天皇・長慶天皇の陵墓へ。
(個人的には、宮内庁による説明板での謎が解けたことがツボにはまりました。)

平安時代の陰陽師・安倍晴明の墓所と伝わる
晴明塚も初めて訪ねました。






雨上がりの渡月橋と嵐山の景色が美しい!
葛野大堰に興味津々。

謡曲史跡「小督塚」を見つつ、次は天龍寺へ。






中世都市嵯峨の中心だった天龍寺。
今回、拝観はしていませんが境内の紅葉が綺麗でした。

嵐電「嵐山」駅の前、南北方向に伸びる長辻通は
中世には「朱雀大路」、「出釈迦<しゅしゃか>大路」と
呼ばれていたのだとか。
中世都市嵯峨のメイン・ストリートだったそうです。

長辻通と丸太町通の交差点の西南に毘沙門堂があります。
ふだん歩いていたら見逃しそうな小さなお堂でした。

最後に嵯峨釈迦堂の名で知られる清凉寺へ。
平安時代前期の左大臣・源融の別業である
栖霞観(せいかかん)を寺院としたもの。
もともとは栖霞寺と呼ばれていました。

今回のツアーはここで解散となりました。

ご一緒した皆さま、ありがとうございました。
また機会あれば「まいまい京都」に参加したいです。






 昼食。

まいまい京都アフターにて。

お時間のご都合がよかった皆さまと
清凉寺近くの「めん茶屋かかし」で昼食をとりました。


私がいただいた「湯葉うどん」。

大きなエビの天ぷらに湯葉、生麩など
乙女の心をわしづかみ。







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