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加賀藩ゆかりの地を訪ねる(No.520)
◇富山県南砺市五箇山④ 菅沼合掌造り集落-2
今回は金沢ボランティアガイド「まいどさん」の同期生
グループ「よるまっし16会」で加賀藩のゆかりの地南
砺市の井波、五箇山を訪ねた。
■写真は塩硝の館
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◇五箇山の塩硝づくり
日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製
造されていたが、五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし
独活、麻殻、稗殻…など)と、蚕の糞などで製造する培
養法を使って、より多くの塩硝を製造した。
塩硝の生産地として加賀藩の重要な役割を担っていたの
が五箇山である。藩にとっては火薬原料の製造は軍事機
密となり、幕府や他藩の目をのがれるのに、山深い秘境
の地の五箇山は、豊富な塩硝を製造するための好条件で
あった。
■写真は塩硝床下断面
300年以上にわたって続いた塩硝製造は、水田のない
土地柄ゆえに五箇山全戸で製造に携わる一大産業となり、
質量ともに全国随一であったと云われてる。
この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米のチリからの
硝石(チリ硝石)の輸入によって廃れてしまう。
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■写真は塩硝づくりパネル・模型
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■写真は塩硝づくり鑑札
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■写真はあらい
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■写真は集落
加賀藩流刑地の一つだった五箇山には橋をかけることは
許可されなかった。そのため、対岸に渡るときにはぶど
うのつるで作った大綱を張り、それに取り付けた籠に乗
っていました。この移動は大変危険をともなうものだっ
たといいます。五箇山には13ヶ所このような籠の渡し
があった。
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■写真は籠渡し
(完 撮影2014.10.11)