いしかわの観光スポットレポート(No.1961)
◇加賀藩 金沢城元旦登城 - ①(ユーチューブ連動解説版)
〇金沢城元旦登城
藩主在国中の元旦、藩士たちは登城し、二の丸御殿で藩主に年頭の「御礼」(拝礼)行った。まずは奥書院において、叙爵(じょしゃく)年寄衆が一人ずつ「御礼」を申し上げ、舟の間の二の間行われた鶴の包丁式を見たあと、場所を小書院移し、そのほかの年寄りや家老、若年寄が「御礼」を申し上げた。それが終わると、藩主は大広間へと移り、上段に着座して人持組ら藩士一人一人の「御礼」を受けた。ついでに同じ間の下段に着座しなおして平士、平士並の「御礼」をうけ、重臣たちに吸い物や酒、雑煮などを振る舞うなどして元旦の規式を終えた。
〇大手門(尾坂口門)
佐久間盛政の頃、大手門は西丁口にあったが、前田利家が入城した後に大手門を尾坂口に改めた。尾坂門も大きな枡形で城内でも屈指の大きな櫓台を備えているのが、現在残っている絵図ではすべて「櫓台」として表記され、櫓がのっている事実は確認されていない。
〇新丸広場
新丸には、次々と藩の重臣の屋敷が建てられ、戦時には早くこの場で防御できるように考えられていた。しかし、藩の役所が増えてきて、重臣の数も多くなってくると、この場所だけでは狭くなり、 重臣の屋敷を次々に城外へ移した。そこで、藩ではここの空き地ができたところに細工所を設け、 甲冑、大小刀、弓矢等の修理や製造も行い、多くの細工者を集め、禄を給させた。しかし、これら細工所も宝暦9年(1759)の大火で焼け失せ、その後、再建することなく、 堂形辺(現在の県庁のある所)に仮屋を建て、細工所とした。この新丸のあと地が現在の「新丸広場」である。
〇河北門
平成22年復元された「河北門」は、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれている。 宝暦の大火(1759)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772)に再建された重要な門です。
(つづく)
ユーチューブ「金沢城元旦登城ルート」