植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇冬の金沢2020-5 兼六園④ 椿-2

2020-02-09 05:09:50 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1743)

◇冬の金沢2020-5 兼六園④ 椿-2

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。

〇兼六園の椿

兼六園には多くの椿がある、椿の種類は7,000品種がある言う、また、咲く時期が10月から翌年4月ごろまでと長期にわたり、かつ判定するのは難しい。現在の確認、撮影できたものは25種です。



4)カガコシボリ(加賀小絞)

産地:石川県。一重・椀咲き、中輪。淡桃地に小絞りが入る。時雨亭トイレ長谷坂左にある。
・来歴:金沢市内民家の加賀八朔の自然実生





■写真は加賀小絞り



5)ホウシュ(宝珠)

産地:富山県。宝珠・千重咲き、中輪。時雨亭の庭にある。
・来歴:婦負郡八尾町の民家の栽培種



■写真は宝珠



6)シロワビスケ(白侘助)

産地:江戸。一重・猪口咲き、侘芯、極小輪。時雨亭庭梅林側にある。
・来歴:『諸色花形帖』(1789)に“白侘助”の名で記載



■写真は白侘助(2019.12.25~2020.1.11)

(つづく)

◇冬の金沢2020-4  兼六園③ 椿-1

2020-02-07 04:25:29 | #金沢いしかわ#観光


金沢の観光スポットレポート(No.1742)

◇冬の金沢2020-4  兼六園③ 椿-1

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。

〇兼六園の椿

兼六園には多くの椿がある、椿の種類は7,000品種がある言う、また、咲く時期が10月から翌年4月ごろまでと長期にわたり、かつ判定するのは難しい。現在の確認、撮影できたものは25種です。



1)セイオウボ(西王母)

産地:石川県。一重・筒咲き、中輪。紅のぼかし花弁。蓮池門右外にある。・幕末に金沢で作出と伝えられ、加賀侘助の自然実生との推測もあるが、詳細不明。



■写真は西王母(2019.10.14)



2)コトジツバキ(ことじ椿)

一重・平開咲き,大輪。桂坂登り左ベンチ近くにある。







■写真はことじ椿(2019.11.6-12.10)



3)ロウゲツ(臘月)

産地:兵庫県。一重・ラッパ咲き、筒しべ、中輪。臘月は陰暦12月のこと。時雨亭庭兼六園事務所方面にある。







■写真は臘月(2019.12.10-22)

(つづく)

◇冬の金沢2020-3 兼六園②

2020-02-06 04:59:36 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1741)

◇冬の金沢2020-3 兼六園②

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。



○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。入場者数18年度入場者数275万人(前年比98.2%)であった。

■写真は南天(2019.12.25)







■写真は素心蝋梅(2019.12.25ー2020.1.21)



■写真は四手辛夷(2019.12.25)





■写真は志那満作(2019.12.25-2020.1.21)





■写真は法生池のウメモドキ(2020.1.21)

(つづく)

◇冬の金沢2020-2 兼六園①

2020-02-05 04:31:19 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1740)

◇冬の金沢2020-2 兼六園①

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。例年の約2%とかで累計積雪2Cmで観測史上最低となった。(20.2.3現在)今年は雪のない金沢を紹介します。



○兼六園の概要

加賀百万石の文化を映す、歴史的文化遺産である。水戸偕楽園、岡山後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。

兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれている。入場者数18年度入場者数275万人(前年比98.2%)であった。



■写真は霞が池(2019.12.25~2020.1.24)





■写真は2019.1.21日の兼六園









■写真はユズリハ



■写真は山崎山



〇レンガ塀
明治42年(1909)に東宮殿下(大正天皇)北陸行啓の際に宿泊施設となった成巽閣の改修工事と併せて設置されたレンガ塀(約118m)の残された一部である。イギリス積で施工され、石川県内の明治期における古いレンガ積の一つである。

■写真はレンガ塀





■写真は改修工事が完了した成巽閣の塀

撮影日:2019.12.25~2020.1.24

(つづく)

◇冬の金沢2020-1 尾山神社おついたち参り

2020-02-03 05:16:46 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1739)

◇冬の金沢2020-1 尾山神社おついたち参り

例年は「雪の金沢」を紹介しているが、2/2現在金沢市内には永住12年目で初めて積雪がありません。今年は雪のない金沢を紹介します。



2月1日「尾山神社おついたち参りの会」に21名が参加した。初詣は各個人で行っているので、今年初めてのおついたち参りです。私はこの会が2015年9月よりスタートと同時の参加なので、約4年半になる。

〇由緒:
 前田利家公薨去後、英霊奉祀の企てありしも憚る所あり、越中国射水郡守山海老坂烏帽子峰鎮座の八幡大神を遷座すると揚言し、公の英霊を卯辰山麓に祀り卯辰八幡社と称す。明治維新後藩士及加越能三州の人士相計り明治5年出願。翌6年許可と同時に尾山神社と改称郷社に列格、同年現今の社地に遷座。翌7年県社に昇格。明治10年聖上北陸御巡幸金沢に御駐輦に際し、御幣物奉納爾後数回御幣帛下賜。明治35年別格官幣社に昇格。尚、重文神門は明治8年和漢洋混用の特殊の建築物として異彩を放つ。神苑、金沢市指定文化財。泉山築山を設け、池泉廻遊の様式にて、楽器に型どり、写実的表現の妙をつくしている。重文、朱塗雲龍文蒔絵大小、桃山時代の作風を示している。
〇御祭神:前田利家公、まつ(芳春院)
〇摂社金谷神社御祭神:
 二代藩主・利長公から最後の十四代藩主・慶寧公、そして十五代当主~十七代当主、さらに歴代藩主・当主の夫人。



加藤宮司より拝殿扁額「歸厚」についてこの扁額は13代藩主前田斉泰公の公筆で、論語より「曾子曰く 終わりを慎み 遠きを追えば 民の徳 厚きに帰せん」訳)「亡くなった人を丁重に弔い、遠い祖先の祭祀を怠ることがなければ、人民の徳は自ずと厚くなる」と説明があった。
今年も己の穢れをながら精進いたします。おいしい打木「源助大根」をおさがりをいただきました。

■写真は加藤宮司







■写真は初場所活躍した炎鵬関のサイン



■写真は1月2日尾山神社近くの炎鵬関







■写真は2015年9月1日の発足時

(つづく)

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺

2020-02-02 04:34:55 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1738)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-10 本是寺、龍徳寺、林幽寺、龍雲寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。

*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



37)済生山本是寺(ほんぜじ)
宗派:日蓮宗
由緒:
 慶安二年(1649)、開山本是院日理上人が犀川河畔河原町のあたりに済生庵という草庵を創建したことに始まる。明暦三年(1657)、弟子の日寛上人が一宇建立を決意し、京都本山立本寺末寺として本是寺の寺号を賜り野田寺町に寺を建立する。寛文十三年(1673)、藩より現在地に寺地を拝領し移転する。当初、本堂、山門、鐘楼、客殿、庫裏等を建立し寺観を整えたが、現在は本堂、山門、庫裏のみで他の建物は現存しない。当山の守護神たる「七面大天女」像は、日蓮宗総本山美延山久遠寺第三十一世・一円院日脱上人より身延七面山の尊像と同体のものを遣わされ勧請されたものである。また、明治三年(1766)、日蓮聖人五百遠忌報恩のため、当山において初めて法華懺法会を厳修した。以後恒例となり、金沢の日蓮宗寺院において今日まで受け継がれている。その懺法本の版木は当山に保存されており、必要に応じて再版刊行している。その当山には、釈尊涅槃図、鬼子母神十羅刹女像、大黒天尊像、元禄年間(1688~1704)の身延山全景図扁額等がある。加賀藩士・佐々主殿の菩提所でもある。(看板より)
住所:金沢市野町3丁目18-4



■写真は本是寺



38)瑞雲山龍徳寺(りゅうとくじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
天保4年(1647)の創建で、天徳院二代竜睡が開山であり、僧恕竜が開基である。後一時無住の寺となったが、天徳院五代の良因によって再興された。
住所:金沢市弥生1-17-31

■写真は龍徳寺



39)一渓山林幽寺(りんゆうじ)

宗派:真宗大谷派
由緒:
慶長15年(1610)僧了善が石川郡窪村で創建した。享保17年(1732)、現在地に移転。鎌倉時代の作である聖徳太子2歳の木像を安置する。

住所:金沢市弥生1-20-5



■写真は林幽寺



40)本源山龍雲寺(りゅううんじ)

宗派:曹洞宗
由緒:
門前町にある大本山総持寺祖院内、芳春院の大昌文意和尚を開山とし、寛文元年(1661)、御供田村(現・神田町)の土屋勘四郎が創建した。土屋家先祖の土屋大学、同隼人は文明八年(1476)より当地に住んだが、天正八年(1580)、柴田勝家に滅せられる。その後、隼人の子が一向宗の教栄寺、慶覚寺を継いだが、勘四郎は武家寺ではなく(百姓ノ持チタル国)に徹し、藩主に忠誠を誓う証しとして禅宗に転宗した。十村役を筆頭に村肝煎、百姓の寺として、無住時代もあったが、明治四十四年(1911)二十六世・順全和尚の代、弘前市に移転の宗徳寺建物を移築再建。二十七世禅明和尚在住の戦中戦後四十五年に於いて、書院、社会福祉法人龍雲寺保育園を創建する。檀家・土屋又三郎(義休)は近世農政において、日本の三傑と云われる人物で、耕稼春秋、加越能大路水経等を著す。(看板より)
住所:金沢市寺町5-12-40



■写真は龍雲寺

(つづく)

〇寺町寺院群巡りバックナンバー(寺町寺院群巡り1~10)

◇寺町寺院群巡り-1 雨宝院、徳龍寺、神明宮、大蓮寺

◇寺町寺院群巡り-2 徳法寺、瑞泉寺、願念寺、因徳寺

◇寺町寺院群巡り-3 弘願院、妙立寺、本長寺、眞長寺

◇寺町寺院群巡り-4 寶勝寺、承証寺、極楽寺、西方寺

◇寺町寺院群巡り-5 三光寺、金剛寺、常松寺、香林寺

◇寺町寺院群巡り-6 国泰寺、少林寺、 全昌寺、千手院

◇寺町寺院群巡り-7 光専寺、堅正寺、立正寺、西然寺

◇寺町寺院群巡り-8 泉野菅原神社、玉泉寺、玉龍寺、月照時

◇寺町寺院群巡り-9 本覚寺、希翁院、開禅寺、龍渕寺